第三章  変転

1  失望

 リューンにとって、戦いとは人生の重要な一部である。

 というよりも、戦いこそが人生といっても過言ではない。

 傭兵という稼業が、リューンには天職のように思えた。連日、敵と斬り結ぶことはリューンにとっては歓びであり、同時に生を実感させてくれる行為だった。

 だが今はもうかつてのようにとりあえず敵と戦っていれば許される、という状況ではない。

 誰と、何のために戦うか。

 それを自ら決めなければならない。

 とはいえさしあたって今夜は、自らの身と妻であるレクセリア、そしてリューン軍そのものを守るために、戦えばいいようだ。


「兄者」


 村長の家を出たリューンにむかって、カグラーンが言った。


「どうも、敵は大したことはないみたいだ。ただ……数がわりと多い。合計、三百」


 三百。

 戦場においては寡兵だが、こちらの数がせいぜい百と考えれば、実に三倍ということになる。


「そいつはまた……案外、多いじゃねえか。で、どいつが送り込んだと思う?」


「それはまだわからない」


 カグラーンが答えた。


「ただ、偶然この村を襲撃にきたってわけじゃあないだろうな。いくらなんでも数が多いし……」


「となると」


 リューンは大剣を担ぎながら笑った。


「俺か、レクセリアの身柄か……狙いはそんなところか」


「だろうな」


 カグラーンは背伸びをして長身の兄の耳元に口を寄せようとしたが、とうてい届くものではない。


「ひょっとすると……この村の誰かが、情報を漏らしたのかもしれない」


「ま、そんなものだろ」


 とはいえ、村人たちを責める気にはリューンはなれなかった。

 なにしろこんなご時世である。人の命は恐ろしく軽い。リューンたちの知らせをネス領内でうろつく野盗たちに流す者も、生きるためにやっているのだ。


「けど、俺たちもただやられるわけにはいかねえがな……」


 そのとき村の北側のあたりから、青い稲妻のような光が立て続けに見えた。

 おそらくはランサールの槍乙女たちが、女神より賜った法力を使っているのだろう。

 ウォーザの娘ランサールは稲妻の女神であり、槍の先から電撃を放つ法力を自らに仕える尼僧たちに与えるのだ。


「全員に伝えろ! 『あらかじめ命じておいた通り』、なるべくなら敵を殺すなって」


「了解」


 カグラーンが笑った。

 弟とともにリューンも不敵な笑みを浮かべる。


「さて……じゃあ、俺もちっくら、運動してくるかね」


 なにしろアスヴィンの森では、連日、魔獣やアルグ猿と戦っていたのである。

 そうなればいい加減、戦いそのものに倦み疲れそうなものだが、それでもどこかで戦うという行為そのものを愉しむのがリューンヴァイスという男なのだった。

 基本的に、アスヴィンでは戦いといってもいわば「怪物退治」に近い戦闘を余儀なくされた。

 魔力をもった獣との戦いは、人間との剣を交える戦いとは、まるで異質なものである。


「さあっいくぞっ!」


 空では銀の月が煌々と輝いている。青の月や赤の月の姿もあり、あたりは淡い紫色に染まっていた。その光をうけて、幾つもの農家が黒い塊となって闇のなかにわだかまっている。

 そのなかを、リューンは一陣の風のように駆けた。

 すでに乱戦は始まっているらしい。

 本来、一応はリューン軍の大将であるリューンがこうして前線にでるなどありえないことなのだが、そもそもリューン軍はまともな軍隊ではない。

 とはいえ、さすがにリューンの姿を見つけたランサールの槍乙女たちが、驚いたような顔をして近づいてくる。


「陛下! なにをなさっておいでですか!」


「ここは我らが……」


 リューンは呵々大笑すると吼えた。


「うるせえ! こちとら、人間と戦うのは久しぶりなんだ! お前ら、俺の愉しみを奪うんじゃねえ!」


 彼らの会話を聞きつけたのか、敵兵らしい連中の声が聞こえてきた。


「あれだ! 嵐の王だぞ!」


「レクセリア殿下はおられないのか?」


 それを聞いて、リューンは眉をひそめた。


「こいつら……レクセリアのことも知ってやがる」


 さらにはレクセリア「殿下」と呼んだ。

 つまり、彼らにはまだ全員がそうと決まったわけではないが、グラワリア人ではなくアルヴェイア人がいる、ということになる。グラワリア人の野盗や傭兵ならレクセリアをわざわざ殿下とつけて呼ぶかは疑問だった。

 そのとき、ふいに眼前に一人の傭兵らしい男が現れた。

 どうやら、すでにリューン軍が築いている前線をうまく具合にすりぬけてきたらしい。長剣を手にしていたが、鎧は鎖帷子や革鎧を組み合わせた、雑然としたものだ。

 流れ者かなにかだと、即座にリューンは判断した。


「お前が、『嵐の王』か! 十ソラリーサ、もらった!」


 十ソラリーサといえば、金貨十枚である。決して少ない額ではないが、とてつもない大金というにはほど遠い。


「おいおい、俺はたったの十ソラリーサってことかよ!」


 なかば呆れながら、リューンは大剣をふるった。

 まったく、勝負にもならない。

 リューンの大剣が一閃した刹那、金属同士が激突する音が鳴り響く。次の瞬間には、敵の剣は大地に突き刺さっていた。


「ひっ」


 あわてて予備の短剣を腰から引き抜こうとした男にむかって、リューンは大剣を構えた。


「おい、馬鹿なこと考えると、その首、すぐにたたき落とすぞ!」


 むろん、リューンは本気である。そしてそれは、相手にもすぐに伝わったようだ。

 なにしろ軽く六エフテ(約一八0センチ)を越える蓬髪の巨漢が、巨大な剣を構えて眼前に立ちはだかっているのだ。その青と銀の瞳は、凶暴さを帯びてぎらぎらとした光を発している。


「ひっ……ひえっ」


 続いて水が迸るような音と、戦場でときおり嗅がれる悪臭がした。

 失禁したのだ。


「ちっ……ったく」


 リューンは思わず失望の吐息を漏らした。

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