8  疑惑

「ほう……」


 シュタルティス二世の顔に、やがて驚きと理解の色が広がっていった。


「シャルマニア嬢……おお、貴女のことは覚えている。以前、青玉宮にも一度いらしたことがおありのはずだ」


「覚えていてくださるとは、光栄ですわ」


 シャルマニアが、まだ十六の娘とも思えぬどこか蠱惑的な笑みを浮かべた。


「お久しゅうございます……陛下。陛下は、お若い頃よりも見事な殿方になられましたわ……」


 それはあからさまな追従だったが、シュタルティスは悪い気はしないようだった。


「まさに国王陛下たるにふさわしい威厳……陛下こそ、いずれはアルヴェイア一の名君として後世に名を残すおかたとなりましょう」


「そう……かな?」


 シャルマニアは、一見すると無邪気にさえ見える微笑を浮かべた。


「私はこれでも、幼い頃より未来を見通す目を備えていると評判でしたのよ? 陛下からは、王者の相が感じられます。まさにアルヴェイア王にふさわしい大いなる霊気……」


 思わずウフヴォルティアは失笑しそうになった。

 セムロス伯と、シャルマニアの意図が明らかに明々白々だったからだ。

 要するに、これは娘の売り込みである。

 なにしろ国王は、何人、妻をめとってもかまわないのだ。

 それこそが、太陽神ソラリスの血、黄金の血をひく三王国王家の王の特権なのである。


(セムロス伯は艶福家で、娘も四人いるとか……なるほど、やはり第二、第三王妃あたりを狙っているというわけね)


 いま現在、シュタルティスには実の妹であるミトゥーリアが、王妃として嫁いでいる。

 三王国王家としてはありがちな、近親婚である。

 むろん、こんな結婚が許されるのは神の血をひく王だけだ。

 とはいえ、言うなればこの結婚は既定のものであり、二人がまだ幼い頃から取り決められていたものだ。

 三王国王家の歴史を見ても、近親婚の場合、子供が生まれる例が少ない。

 また血があまりに近しい場合、子供が身体に障害をもって生まれてくること珍しくはない。

 故にというべきか、直接の血縁がない第二、第三王妃といった妻の腹から、次代の国王が生まれることが多いのである。

 かつて、ラシェンズ候ドロウズは、グラワリア王家の血をひく自らの息子と王女たちをめあわせ、自らの子を王たらしめようとした、という噂が流れている。

 これは、理由はどうあれ王位簒奪であり、もし事態がそのように推移していれば、三王国始まって以来の新たな王朝……さしずめラシェンズ朝とでもいうべきものの始まりとなっただろう。

 三王国では、原則として父系による王位継承が一般的だからだ。

 父系とは、すなわち父の家系をたどっていけば必ず先王にたどりつく、ということである。

 ラシェンズ候とは違い、これからセムロス伯がやろうとしていることは、アルヴェイアの長い歴史では何度かあったことだ。

 つまりは娘を国王に嫁がせ、その子らに王統を繋げるというものだ。

 これだと、父系相続の原則に反せずに、自らの親族を王位につけることができる。

 気の早い話ではあるが、もしシュタルティスがシャルマニアを気に入って第二王妃に迎え、その子が長男だった場合、セムロス伯が次代の王の祖父となる可能性は、きわめて高い。

 少なくとも家格からして、正妃たる第一王妃はともかく、第二王妃であれば、セムロス伯家出身のシャルマニアはじゅうぶんに国王の妻となる可能性はある。


(セムロス伯ディーリン……非常にわかりやすいけど、効果的な手を使う男)


 それが、ウフヴォルティアのセムロス伯に対する評価だった。

 こうして文官たちを集めた宴を開いて官僚たちに人脈を作り、さらにはその宴に王を招いて、自らの娘と紹介する。

 意図も目的も明快だ。

 セムロス伯ディーリンというこの男は、セムロス伯家による実質的な王家の支配を目論んでいるのである。

 だが、そこには権勢欲や名誉欲はあっても、悪意はない。

 また貴族社会では、こうしたことはよくあることでもある。

 シュタルティスはいつしか隣の椅子にシャルマニアを座らせ、ともに杯を交わしていた。

 どうやら、国王陛下はセムロス伯の娘が気に入ったらしい。

 自分の思い通りに事が進み、セムロス伯としては得意満面というところだろうか。

 とはいえ、ここは権謀術数渦巻く王宮の深奥である。

 ことがそう簡単に、セムロス伯の思い通りに進むとはとても思えない。

 特に、セムロス伯の政敵であるエルナス公が、どんな手をしかけてくるか、わからない。


「ヴィンス侯爵夫人」


 そのセムロス伯ディーリンが、ヴィンスの葡萄酒をなみなみとたたえた銀杯を片手にこちらに歩み寄ってきた。


「今宵の宴は、愉しんでいただけておりましょうか」


「ええ」


 ウフヴォルティアは宛然と微笑んだ。


「素晴らしい宴ですわ……それと、ことと次第によれば、この宴は長きにわたり、人々の記憶に残るかもしれませんわね。『新たなる国王の誕生のきっかけとなった』……宴として」


 その言葉に、ディーリンがうっすらと笑みを浮かべた。


「いえいえ、そのような。畏れ多いことではございますが……父として、娘がもし陛下の寵愛を授かるようなことがあれば、まさに恐懼の極みというのものですな」


 ふいに、すっとディーリンが目を細めた。


「ところで……奇妙な噂を耳にしたのですが、侯爵夫人はご存じですかな? 以前……諸侯会議のおり、青玉宮に登城しようとしたエルナス公が、暴漢に襲われたとか」


 その話なら、聞いたことがある。


「確かどこかの傭兵隊長があやういところでエルナス公の命を助けた、とかそういう話でしたわね。それが……なにか?」


「その、暴漢というのがいまも青玉宮の地下牢に捕らえられているのですが、妙なことを主張しているというのですよ」


 ふいに、ディーリンがいままでの温顔をかなぐりすてたような、冷え冷えとした微笑を浮かべると言った。


「その暴漢によると……なんと、エルナス公はあのおぞましい、死の女神の信者だというのですよ! ウフヴォルティア夫人は……この噂、どうお考えですかな? このアルヴェイアでは、ゼムナリア信者としれたものはすべからく死罪に処すべしと決まっておりますが……」


 ディーリンの顔には、冷ややかな笑顔がはりついたままだった。

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