9 獅子奮迅

 黒い雨が降るかのように天が翳ったが、それはリューンが待ち望んだウォーザ神の恵みではなかった。

 左右から、傭兵隊にむかってそれこそ嵐のような矢の雨が降りそそいできたのだ。


「なんだっこりゃっ!」


 我知らず、リューンは大声をあげていた。戦なのだから、敵兵が矢を放ってくることくらいは当然、覚悟している。

 だが、この状況でなぜ傭兵隊である自分たちに敵は矢を射かけてきたというのだ。

 普通であれば、まず矢は突撃を始めた騎士たちに浴びせるものだ。

 大量の弓兵を集めれば、騎士の突撃の力を削ぐ力になる。

 それなのに、三段重ねの二段目である傭兵になぜ、矢をこれだけ集中してこなければならないのか。


「くそっ!」


 そう叫んだ瞬間には、もう何百本もの矢が傭兵たちの周囲に降りそそいでいた。

 リューンのすぐ前を歩いていた部下の一人が、頭上から矢を受けた。

 放物線を描くようにして放たれた矢は、横に動いて距離をかせぐぶんの力を、そのまま上方からの打撃力に変えている。

 ざっ、という肉が弾ける音が聞こえたかと思うと、眼前の彼の部下は肩のあたりからごっそりと肉をもっていかれていた。

 硬式革の鎧をまとっていたというのに、矢の雨の前ではほとんど効果がなかったのだ。


「があっ」


 目の前にいた部下の右肩から血の色をした花が咲いたように見える。

 さらに二本目、三本目の矢がそれぞれ左右の手に刺さっていた。


「あっ」


 おそらくなにが起きているか本人にもわからなかったろう。

 そのままリューンの名も知らぬ部下は、大地に頽れていった。

 脳天に一本、矢が突き立っている。即死に近かったに違いない。


「兄者! 兄者!」


 弟のカグラーンの悲鳴じみた声がどこからともなく聞こえてくる。

 本能的に、リューンは前で倒れた部下の体の下に、体を潜り込ませた。

 死体からは早くも悪臭が発されている。

 死によって脱尿しているのだ。猛烈な臭気にさらされてはいるが、それでも矢の雨のなかに出るよりはまだこちらのほうがましというものだった。


「くそっ……」


 しばらくの間、リューンは死体の下にうずくまっていた。

 なぜ敵の弓兵は騎士ではなく傭兵隊である自分たちに集中して矢を射かけてくるのか。


(まずいな……)


 さまざまな戦場を転戦してきた傭兵としての直感が、そう告げていた。


(普通なら、突進してくる騎士たちに矢を浴びせるに決まってる。それなのに、後ろに控えている俺たちを狙っているということは……)


 結論はすぐに出た。

 前方の騎士と、後方の歩兵たちの間にいるのが傭兵隊である。


(騎士と歩兵を、分断するつもりか!)


 だが、敵はこちらより寡兵だ。

 そもそも一千もの騎士の突撃をうけて、わずか三千の歩兵がその攻撃に耐えられるとは思えない。

 騎士たちの攻撃を受ければ、間違いなく敵は壊乱する。


(だったら……そうか。なにも騎士連中とまともに戦う必要はない、と敵が考えていたとしたら……)


 リューンの脳裏に一つの絵図が浮かんだ。

 頭のなかの絵図では、敵歩兵の塊は二手に分かれると、突撃してきた騎士たちの側面をすりぬけていた。

 するするとウナギのようにを騎士たちをやり過ごした敵歩兵が、そのまま左右からリューンたち傭兵隊を挟撃していく。

 二本の鋭い短剣の刃が、林檎酒軍の騎士と歩兵の狭間を挟んで、ぶちんと切りちぎろうとしているのだ。

 だが、このままでは、敵歩兵は背後から反転した騎兵の攻撃にさらされることになりはしないか?

 いくら騎士の突撃を交わしても、放置しておけば無傷の騎兵に背を襲われることになるはずである。


(ということは……騎士たちの行く手になにか罠でもしかけられてるってのか? 勇ましく突っ込んでいった殿様連中が罠で右往左往としているうちに、敵の歩兵が俺たち傭兵どもと混戦になれば……)


 想像しただけで背筋が震えるのがわかった。

 このままでは、林檎酒軍の騎士と歩兵は完全に分断されてしまう。

 そのために、両者をつなぐ箇所に位置している自分たち傭兵隊に、敵は猛攻をしかけているのだ。

 そして一度、両者が分かたれてしまえば攻守は逆転する。

 なにしろ林檎酒軍の軍勢の指揮官である諸侯のほとんどは、騎士として先頭で敵に突撃をかけているのだ。

 いくら三千の歩兵が後ろに控えているとはいえ、騎士たちと二つにされては本来の力を発揮できない。

 そもそも林檎酒軍の歩兵たちは諸侯が農民から強引に徴用した兵なのである。

 自らを指揮する貴族連中の指揮がなければ、彼らは動けない。

 それこそが敵の狙いとみて、まず間違いあるまい。


「くそったれがっ!」


 リューンはそう叫ぶと、部下の死体を抱え上げるようにして立ち上がった。

 人一人の体を持ち上げるとは、凄まじい筋力である。


「このままじゃこの戦、まずいぞ!」


 まだ矢の雨は続いている。ひゅっひゅっという矢の降りそそぐ音を耳にしながら、リューンは担ぎ上げた死体を盾替わりにして敵に向かって駆けていった。


「雷鳴団! 続け、俺に続け!」


 咆吼をあげながら、部下の死体を担いで敵陣めがけて疾駆を続ける。


「兄者!」


「団長!」


 背後からカグラーンとイルディスとおぼしき声が聞こえてくる。


「続け! いまのうちに敵軍を突破しておかないと、俺たちは全滅させられるぞ! 王国軍は騎士連中と後続の歩兵を分断して、頭の騎士からつぶすつもりだ!」


 青い軍装をまとった王国軍の兵たちとしだいしだいに近づいてくる。

 リューンの予想した通り、彼らが矛先をむけているのは騎士たちでない。

 騎士をやりすごして、彼らは全力を林檎酒軍の傭兵隊にむけているのだ。


「おおおおおおおおおおっ!」


 猛る声をあげると、リューンは無数の矢をうけた部下の死体を、敵にむかって投げつけた。

 無茶苦茶としかいいようがないが、戦場の興奮が彼の頭から理性をすっかり奪い去っている。


「おおおおおおおおおおおおおっ!」


 リューンは背に背負っていた長大な剣を、革の鞘から引き抜いた。


「俺が雷鳴団の団長、リューンだ! てめえら、ゼムナリア女神の死人の地獄に落ちやがれ!」


 そう吼えると、リューンは巨大な剣を振りかぶった。


「アルヴァーーーールッ!」


 鬨の声をあげた王国軍の兵たちが、一斉にこちらに群がってくる。

 何本もの槍が突き出されたが、そのことごとくをリューンは大剣の一降りで薙ぎ払った。

 何本もの槍の穂先がものすごい勢いで虚空に舞いちっていく。

 次の刹那、リューンが振り下ろした剣先は王国軍の兵の首を宙に飛ばしていた。


「!」


 血しぶきをまき散らしながら、兜をかぶったままの人の頭が空をくるくると回転していく。

 相手の首を失った胴を横に跳ね飛ばしながら、リューンは敵に向かって二撃目を繰り出していた。

 がっ、という鈍い音とともに剣が敵兵の兜に激突する。

 衝撃のあまり、敵兵はその場に蹲った。

 リューンの繰り出した一撃はその衝撃だけで、相手の頭蓋骨を揺さぶり、脳に打撃を与えたのだ。

 もの凄い速度で、一人の兵士が槍を突きだしてくる。

 リューンは危ういところで長柄の槍をたばさむと、渾身の力を込めて樫材の柄をへし折った。

 あわてて槍から手を放した敵のあごに、下方から長剣の剣先を跳ね上げる。


「ぎゃっ」


 ぶつんという音とともに首の動脈が切断され、兵士はあごの下からもの凄い量の血液を迸らせた。

 その背後から、味方の体を盾にするようにしてまた新たな敵兵が現れる。


(くそ……こりゃ、きりがねえ)

 

リューンは思わず舌打ちした。

 すでにあたりは大混戦に陥っていた。

 天にかざされた槍の穂先が陽光を浴びてぎらぎらと輝いている。

 すでに槍の穂には血に濡れているものもあった。

 戦場特有の大地が鳴動するような雄叫びがこだまし、耳が痛くなるほどだ。

 鎧の金属部分同士があたるじゃらじゃらという音に混じって、剣と盾とがぶつかる甲高い音が鳴る。

 林檎酒軍の軍勢は、左右から敵歩兵に挟撃されて、どちらかといえば劣勢だった。

 そもそも数そのものが、敵のほうが多いのだ。こちらは一千なのに、敵は三千もいる。

 剣を振り下ろし、槍の柄を跳ねあげる。


「くそ……どうなってんだ!」


 リューンが怒鳴り声をあげながら、敵の兵士の胴体に横様に大剣による一撃を繰飛ばし、斬撃を回避する。

 流れる汗が鎧の下に籠もり、独特の革の匂いと混じり合う。

 さらには鉄臭い臭気もあたりには漂っていた。戦場の血臭である。

 リューンは怒鳴り声をあげながら、敵の兵士の胴体に横様に大剣による一撃を繰り出した。

 圧倒的な力をうけて槍をもったアルヴェイア王国軍の歩兵が、背後へと吹き飛ばされる。

 いつしか、リューンの周囲には小さな空間が出来ていた。

 あまりの戦いぶりの凄まじさに、敵兵が物怖じしてしまったのだ。

 だが、全体的な戦況は自軍に有利とは思えない。

 傭兵隊はなかなか奮戦してはいるが、それでも規律正しい敵の猛攻にいつまで耐えられるかはわかったものではない。

 いつしかリューンのなかでは時の感覚がなくなりはじめていた。

 戦の興奮が全身にまわり、なかば意識が麻痺したようになっているのだ。

 まるでなにかに憑かれたかのようにリューンは長剣を振るい始めた。

 敵の攻撃は続いている。

 いつしか何人もの敵兵が接近することを恐れ、遠巻きに長い柄を持つ槍を連携して繰り出すようになってきた。

 リューンが大剣を振り回すたびに、凄まじい暴力と死の旋風がわき起こるのだ。

 彼らの戦術も、無理からぬことではある。

 だが、リューンは並はずれて、強かった。


「なめるなお前ら!」


 聞く者がたまげるような咆吼を放ったかと思うと、次々に突き出される槍の狭間を縫って稲妻のごとく大地を駆ける。

 敵兵が驚愕により間が抜けた様子でぽかんと口をあけた瞬間には、もうその頭は切り飛ばされているのだ。

 まるで狂戦士の神オルァもかくや、というぐらいの、それは見事な戦いぶりだった。

 すでに全身は凄まじい量の血を浴びている。

 むろん、ほとんどは返り血だが、そのなかには彼自身の傷から出たものもわずかに含まれていた。

 もし、キリコ神からの盾替わりの法力をかけてもらっていなければ、そろそろ出血で動きが鈍ってきたところだろう。

 腕を振り、禍々しい輝きを持つ槍の穂先や剣の刀身をかわし、敵に肉薄して大剣で相手を切り伏せる。

 もちろん、立ち止まったりはしない。

 戦場で立ち止まることは、すなわち死を意味するということを傭兵のリューンは鉄則として知っているのだ。

 凄まじい量の血液のなかを、嵐のようにリューンが駆け抜ける。

 血しぶきを浴び、肉を削がれる。

 何人もの肉をたち割り、骨まで切断したせいでリューンの剣の刀身はすでに刃こぼれをおこし始めていた。

 だが、所詮はこれも戦である。

 いくら凄絶な戦いぶりをみせる傭兵が一人いたところで、戦況そのものがひっくりかえることなどありえない。


「アルヴァール!」


「アルヴァールッ!」


 青い軍装に身を包んだ王国軍の兵に、傭兵隊は押しに押されていた。

 気がつくと、周囲はほとんど敵兵という有様だ。

 そのなかでも、リューンは獅子奮迅の戦いぶりをみせていたが、さすがの彼も人間である。


(これ以上は、さすがにまずいか……)


 しだいに手先が鉛でもつけられたかのように重くなってくる。

 視界もぼんやりとかすみ始めていた。

 幾つもの槍が突き出される。

 陽光を浴びて輝く無数の剣の刃がむけられる。


(くそっ……なんで、こんなことになったんだ!)


 腹立たしさと同時に、こんな状況に追いつめられていることでなぜか愉快になっている自分がいる。

 昔からそうだ。

 自分が追い込まれるほど、生命の危険にさらされるほどかえってリューンのなかの生命の炎は燃えさかるのだ。

 まさに血がたぎる、とでもしか表現しようのない状態にどんな強烈な酒を呑んだとはよりも快い酩酊感を味わうことができる。


(やばいけど……面白いなあ)


 リューンは、我知らず笑っていた。

 敵兵からみれば不気味としかいいよがない。

 なにしろ全身、これ筋肉でよろわれた巨漢が金色の蓬髪を振り乱し、顔に血や肉片をこびりつかせながらも、歯をむきだしにしてみせるのだ。

 青と銀との不可思議な色合いの瞳がらんらんと輝かせて。


「なんだ、こいつ……!」


「あの化け物を止めろ……!」


 戦線のごく一部とはいえ、ここだけはリューンの戦が出来る場所だった。

 しかし、それにもやはり限度がある。


(おっと、このままじゃさすがに命が……大丈夫かな、こりゃ)


 もう確実に、十人は仕留めているはずだ。

 十一人目か、あるいは十二人目の首を大剣で落としながら、リューンは思った。


(畜生……やっぱり、奴ら、騎士たちになにか罠でも仕掛けていたのか。いくら騎士をやりすごしてこちらに襲いかかってきたとしたって、騎士どもが反転して後ろにまわられたら終わりだからな。でも、まだ敵の歩兵が崩壊してないっことは……)


 そのとき、視界の隅にオレンジ色のなにかが揺れていることに気づいた。


 まるで生きた蛇のようだが、熱を伴っている。

 錯覚ではなく、戦場の大気そのものが明らかに熱を帯びているのだ。


 敵兵を切れ味の鈍くなった大剣で殴りつけながら、リューンは思った。


(あれは……敵は、野戦で火攻めをかけてきたってのか!)

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