6 腐敗 

「あのね……あのね……」


 彼女は今年で十一になる。

 レクセリアを除く他の兄や姉と同様、黒い髪の持ち主である。

 顔立ちも、なかなかに可愛らしい。

 だが、ファルマイアの顔は十一歳にしては、あまりに幼すぎた。

 王家の長年に渡る近親婚の結果だろうか、彼女は知的発育が異常に遅れているのだ。

 精神だけではなく、体のほうの発育も決してよくない。

 一目彼女を見れば、たいていの者はまだ七歳前後ではないかと考えるだろう。

 唇の端のあたりが、奇妙に緩んだ、まるで赤子のように顔つきをしている。


「あのね……なんか……兎、こわいの……顔、こわいの……」


 ファルマイアはそう言うと、丸焼きになった大兎の顔を見て派手な泣き声をあげ始めた。

 確かに不気味といえば不気味な眺めだが、十一歳でこんなに怖がるというのはやはり尋常ではない。


「ああもう! ファルマイア! また始まった! 本当に、そんなことくらいで泣くんじゃない!」


 向かいに座っていたネシェリアが、露骨に不快げな顔をしてそう言った。

 彼女は、良くも悪くも思ったことがそのまま外に出てしまうたちである。


「まあまあ、仕方ないじゃないの」


 ミトゥーリアがおっとりした口調で言うと、軽く手を叩くと、すぐ傍に控えていた給仕に命じた。


「あの大兎の丸焼きをさげて下さい。あと、ファルマイアにいつものものを」


 すぐに卓の上から、女官たちに手によって銀の盆ごと大兎の丸焼きが運ばれていった。

 続いて女官の一人が、第四王女に蜂蜜を固めた菓子を持ってくる。


「甘いの! 甘いの!」


 ファルマイアは口の端から涎の雫を垂らしながら、菓子をむさぼりはじめた。

 口のまわりが蜜で汚れることなどお構いなしの、どこか恐くなるような必死さで無心に菓子を囓り続ける。


「あーもう! みんなファルマイアに甘いんだから!」


 大きな声をあげると、ネシェリアも負けじと猪の肉をほうばり始めた。

 彼女はなかなかの健啖家なのだが、本人がのぞむようには胸や尻がなかなか発育してくれないのを気に病んでいるらしい。


「ミトゥーリアお姉様までとはいかなくても、せめてレクセリアお姉様くらいの胸が欲しいなあ」


 と常々、公言しているほどだ。

 ちなみにミトゥリーアはかなり豊かな胸の持ち主だが、レクセリアは小柄ながら均整のとれた体をしており、乳房はそこそこのふくらみを見せている。


「ところでレクセリア……例の林檎酒税の話だが」


 シュタルティスが、ヴィンス産の最上級葡萄酒の注がれた杯を傾けながら言った。


「あれはやはり、撤廃したほうがいいのかな。私は、残したほうがいいと思うんだが。王国の財源として、これから酒税をもっと増やそうと思うんだ。なにしろ、酒は小さな子供でもない限り誰でも呑むからな」


 王太子は呑気な口調でそう言った。

 シュタルティスは決して、愚かなわけではないと思う。

 だが、兄が見せるある種の無神経さのようなものは果たして育ちのせいなのだろうか、とレクセリアには不思議でならない。


「お兄さま。確かに庶民も、私たちと同様、お酒を飲みます。ですが酒は日々の疲れをいやすための人々のささやかな愉しみになっていると聞いています。酒税をあまり増やせば、また庶民が不満を抱くことになりますよ」


 それを聞いて、シュタルティスが笑った。


「はは……酒の値段が高くなれば、みんな飲む量を減らす。そうなれば、庶民の健康にもいいと思わないか? 私だって、普段からミトゥーリアに飲みすぎで体をこわすと叱れているんだからな」


 そういう問題ではないのだが、このあたりの理屈がシュタルティスにはわからないのだ。

 一言でいえば、兄に欠如しているのは「想像力」ではないか、とレクセリアは思った。

 いくら彼らが王家の生まれであるとはいえ、庶民の生活を知識としては知っている。

 シュタルティス自身、おそらくレクセリアより遙かに博学だろう。

 だが彼は、知識をただ知っているというだけで、それがなにを意味するのか理解しようとしない。

 論理的な思考力に欠けているわけではない。

 たとえばシュルタティスはネルサティア幾何学にかけては天才とも言われている。だが、知識と論理力があっても、その知識が持つ本質的な意味を把握する力が彼にはないのだ。

 酒の価格が上がれば庶民は用意に酒を手に入れられなくなる。

 そうなれば、当然、税をかけた者に対して不満と怒りを抱くようになる。

 ちょっと想像すればわかることだが、シュタルティスはこれが出来ない。

 だからこそ、あの林檎酒税のような馬鹿げた税を思いついたのだ。

 当初は、レクセリアもこの愚かな税を止めようとしたが、その税に別の使い方があることに気づいて、自らの戦略に利用した。

 もともと南部諸侯のなかでも王家への野心をむきだしにしていたラシェンズ候を戦場に誘い出し、「狩る」ために。

 だが、もはや林檎酒税は不要である。

 一時的な増収よりも、林檎酒を飲む習慣のある南部一帯の庶民の恨みを買うほうがはるかに恐ろしい。

 だからレクセリアはさっさと林檎酒税を撤廃したいのだが、兄は自分の発案になるこの悪税にあくまでこだわっている。


「林檎酒税は、廃します」


「どうしてもか?」


 不満げな口調で、シュタルティスが言った。


「葡萄酒税とか麦酒税とかどんどんあげていけば、税収は増えるだろうに。酒税をいまの五倍くらいにしたら、収入は五倍になるぞ」


 空恐ろしいことをシュタルティスは平然と口にした。

 確かに税収は増える。だがそれは一時的なものだ。

 結果的には高すぎる酒税は酒類の消費量を減らし、下手をすればかえって減収にすらなる可能性がある。

 おまけにますます庶民の恨みを買うことになる。


(やはりお兄さまは、国王にはむいていないのかもしれない)


 レクセリアは暗澹たる思いでそう思った。

 むろん王族に生まれたからといって、皆が支配者にふさわしい資質を持つわけではない。

 しかしそれにしても、シュタルティスはやはり酷すぎた。

 たとえば南部諸侯が決起した際……もっともこれは当初からレクセリアは予想していたことなのだが……シュタルティスは、王国軍を率いることを拒絶した。

 当たり前の話だが、男子が軍勢を率いるべきなのである。

 ましてやシュタルティスは王太子なのだ。

 父王ウィクセリス六世が病に伏している今、王国軍を率いることができる王家の男子は彼だけだ。

 その責務から、シュタルティスは逃げた。

 実際、あのときのことを思い出すだけでレクセリアは情けなくなる。

 南部諸侯の決起を聞いたシュタルティスは具合が悪い、といって自室に閉じこもった。

 それきり、なにもしない。

 本人は病気と主張していたが、呆れたことに実際には腹を下す薬剤を癒しの女神であるイリアミスの尼僧に調合してもらったのだった。

 それを飲んで、要するに仮病を使ったのである。

 まるで子供だ。

 現在、実質的に王国を仕切っているのは王国宰相のカトゥレスである。

 だが、カトゥレスもすでに六十を超える老人であるし、軍事にかけては素人だ。

 国王と王太子不在の閣議の結果、レクセリアは自らが軍勢を率いることを決断した。

 南部諸侯が兵を集めていることはかなり以前から掴んでいたし、いずれ彼らと戦わねば王家の威信が地に落ちることも理解していた。

 相手はいわば反乱軍である。

 どんな大義をたてようが、王家の下にいるはずの貴族たちが王家に兵馬をさしむければ、それを処罰するしかない。

 もしレクセリアがいなければ、南部諸侯の軍勢五千はそのまま王都メディルナスに達していたかもしれない。

 そうなればあとはラシェンズ候の天下だ。

 国王に退位を要求し、王太子であるシュタルティスを廃嫡させ、自分の子を王位につけるくらいのことはやってのけただろう。


(やはりアルヴェイアは王国として腐りつつある)


 それがレクセリアの本音だった。

 

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