7 王国の黄昏
もともとアルヴェイア王国は王のもと、中央集権国家であったはずだ。
そのために、王の政務を補佐するための大量の文官たちもいるのだが、これがまたそろって慣習を踏襲することしか能がない連中揃いときている。
財務院の徴税官は賄賂をとって私服を肥やし、法務院の判事たちもろくに仕事をしようとはしない。
王国の文官は王立研鑽所と呼ばれる学問の府で学んだ選良揃いのはずなのだが、実際には領地を告げぬ諸侯の次男や三男坊が遊んでいるだけの場所と化している。
また彼らは諸侯たちとも馴れ合いのつきあいをしており、重要な政策はすべて有力諸侯の腹づもり一つで決まってしまう。
だが、それでもウィクセリス六世が病床に就くまではまだ良かった。
国王は自分が諸侯が担ぐ御輿に過ぎぬとは理解していても、重要な政務を精力的にこなしていたからだ。
ところがウィクセリスが病に倒れてからこの三年というもの、王国は衰退の一途を辿っている。
そもそも文官たちの官僚機構が果たしてどこまで機能しているのか、レクセリアにも把握できていない。
財務院の債務がどれだけなのか、予算として組まれている数字が正確なのか、そもそもどれほどの額の税が国庫に流れこんできているかさえ、本当のところはわからないのだ。
個人的に国家の金を流用している者も少なからずいるようだが、実態調査すら出来ていない。
さらに恐ろしいのは、王国軍の現状である。
中央集権国家として、アルヴェイアは王国としての軍隊を持っている。
諸侯の領地の広さや人口に基づいて、一定の割合の兵を集めることになっているのだ。
ところが実際の部隊の充足率たるや、四割を切っていた。
つまり兵になるべき者が、十人中四人しか集まっていないのだ。
そのぶんの、本来は王国に直接、奉仕するはずの兵士たちがみな諸侯の私兵として徴用されているらしい。
この間の南部諸侯との戦いで動員した三千という歩兵も、ネヴィオンやグラワリア国境、あるいは辺境を警備する兵たちから引き抜いてなんとかやりくりしたのである。
実際、ラシェンズ候がグラワリアと裏で手を結び、グラワリア軍も動いていたらどうなっていたかわからない。
まさに薄氷を踏む思いだった。
だが、アルヴェイアの惨状は、ネヴィオンとグラワリアでも同じことである。
かつてのセルナディス帝国を祖とするセルナーダの地の三大国家すべてが、じわじわと弱りつつあるのだ。
まさに黄昏の時代だった。
だからこそ、王家の一員として現状をなんとかしなければならない。
そのはずなのだが、肝心の長兄、王太子シュタルティスはあのていたらくである。
「ところで……みんな」
シュルタティスが、こほんと咳払いをした。
「実は、新しいフィレネッタを披露しようと思うんだが、どうかな」
「まあ」
ミトゥーリアが微笑んだ。
「お兄さま……どんな曲ですの?」
「ネクティレスの『帝都の落日』だ」
ちなみにフィレネッタとは、ネルサティア四行詩に曲をつけた歌のことである。
ネクティレスは帝国期末期の音楽家にして詩人であり、多くの優れたフィレネッタを世に残している。
「えー、またネクティレス?」
ネシェリアがうんざりしたように言った。
「私、ネクティレスのフィレネッタってあまり好きじゃないな。なんていうか、暗い曲ばかりが多くてさ。もっとこう、賑やかな奴のほうがいいよ」
「まあまあ、そう言わずに」
王太子は手を叩くと、女官にお気に入りの竪琴を持ってこさせた。
彼は政事はともかくとして、少なくとも音楽の才には恵まれている。
かるく弦をかき鳴らすと、シュタルティスは甘い声で歌い始めた。
我が帝国の光は黄昏の茜
我が帝国の夜はやがてきたりぬ
騎士の武勲はいにしえの夢となりて
宮廷の楽の音はやがてとだえん
哀切な調べが、広間にこだましたが、その詩を聞いてレクセリアはどこかうすら寒いものを覚えた。
友よ、ともに一杯の美酒を
我が盃に茜色の美し酒を
噴水の水は途絶え鳥すらも声はなく
ただ甘き夢だけが我を酔わせる
我が帝国は夜を迎え
やがて哀しき剣の音が宮廷に鳴りひびかん
我が帝国の剣は折れ矢はつき
ただライカの銀の月影が死せるつわどもを照らしたり
一言でいえば、不吉としか言いようのない歌だった。
ネクティレスのフィレネッタのなかでも、この曲は帝国の滅亡を歌ったものとされる。
いずれ国家は滅ぶのだから、その前におとなしく酒でも呑んで過ぎし日の栄光を思い浮かべよう。
そういう曲なのだ。
兄の顔を見たが、歌の内容のためか、あるいは別の理由があるのか、その面は憂愁に曇っていた。
白き骨を鴉がついばみ
渺々と風が石の都を吹き渡りぬ
友よ一杯の甘し酒を
汝の盃に血の色の酒を
シュタルティスの音楽に、いつしか王女たちも引き込まれていた。
あの賑やかなネシェリアでさえ、黙然と耳を傾けている。
やはりそうなのだ。
誰もがうすうす気づいているのだ。
もうこのアルヴェイアは衰亡の時を迎えていることを。
兄のシュタルティスだけではなく、ミトゥーリアも、そしてネシェリアでさえ滅びの時はそう遠くないかも知れないということを知っているのだ。
だが、とレクセリアは思った。
自分はそんな運命は受け入れられない。
なぜかわからないが、滅びの運命を甘受しようとしている兄妹たちには同調できない。
だから自分は、兄妹たちのなかでどこか浮いた存在なのだろう。
彼らは王族として、王国の滅びを容認している。それに殉ずるつもりかもしれない。
(でも、私は違う)
王家の血は古くなり、すでに腐りつつあるのかもしれない。
あるいは王国は新しい血を必要としているのかもしれない。
それはいままでの慣習や慣例にとらわれない、野蛮とすらいえるなにかだ。
古くからの伝統を破壊し、新しい未来を築くなにかだ。
ふと、なぜか、フィーオン野で出逢ったあの傭兵のことを思いだした。
自分と同じ、青と銀の瞳を持つ若者。力強く、粗暴だが、過去ではなく未来を見つめている若者。
(確か……名は、リューンと)
ああいう人間を、いまのアルヴェイアは必要しているのではないか。
己の欲得づくで動く官僚や自らの権勢を誇る諸侯たちではない、真の戦士とでも呼べるような存在。
あの男なら、滅びなど笑い飛ばしてしまうだろう。
滅びたんならまた新しいものを作ればいいじゃないか、とさえ言い出すかもしれない。
いままでほとんど思い出すこともなかったのに、滅びの歌を聴いた途端になぜリューンの顔を思い浮かべたのか、レクセリアにはよくわからなかった。
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