8 諸侯たち
王都メディルナスに、王国各地から諸侯が参集しつつあった。
名目は、ウィクセリア六世が発した「諸侯会議」に参加するため、ということになっている。
領主たちは地方の統治者であり、いつも王都にいるわけではない。
だが、王の命があれば、ただちに集まらねばならないのである。
とはいえ、この諸侯会議もすでに有名無実化して久しかった。
かつては招集を無視した者には、厳しい罰が与えられた。
王が絶対者であった頃は、諸侯などは世襲制とはいえ、その土地を管理する行政官に過ぎなかったのだ。
しかし、長い年月の間に自らが封ぜられた地でそれぞれ力を蓄えてきた諸侯たちは、もはや簡単には王の言いなりにならないようになっている。
今回、招集をうけた諸侯は、王国の貴族たちのなかでも有力者に限られていた。
この会議に出席するかどうかで、彼らが王家をどう考えているか、ある程度はわかる。
すでに王家は……正確にいえば、レクセリアはというべきかもしれないが……王国軍を用いてラシェンズ候を筆頭とする林檎酒軍こと南部諸侯連合軍を討ち果たしている。
レクセリアは、南部諸侯をたおす際、王国そのものに属する兵士である王国軍の兵しか使わなかった。
これは、他の諸侯につけこまれるのを防ぐためだ。
むろん、貴族たちもそんなことは先刻、承知である。
彼らは自領で、戦の趨勢を見守っていたのだった。
もしラシェンズ候が勝利をおさめていたら、事情はまた違ったことになっていたかもしれない。
ラシェンズ候に対抗するため、他の地方の有力貴族が連合し、結果的には王国を分裂させるような内戦になっていたかもしれないのだ。
だが、レクセリアが見事に勝利を収めたことで、その最悪の事態は防がれた。
とはいえ、南部以外の地域の有力貴族たちも、みなそれなりの腹は抱えている。
確かに王家は王国軍を使って勝利を収めた。
その威信はかつてよりはだいぶ、高まったといえる。
しかし、戦はただ勝てばいいというものではない。
厳密にいえば、レクセリアはフィーオン野の会戦では戦術的に南部諸侯には完勝したといえる。
が、戦略的には、まだ戦は続いているのだ。
ラシェンズ候をはじめとする南部諸侯を下したのはいいが、戦後処理をきちんと行わねば、かえって火種を残すことになる。
さらには南部以外の地域の諸侯の意向を汲み取り、彼らをうまく操ることで、かつてのように王家を中心とした国家にアルヴェイアを変えていかねばならないのだ。
そのために、レクセリアは諸侯会議を招集した。
アルヴェイア全土から集まる有力貴族たちと、まず南部諸侯に対する今後の措置を相談する。
そして彼らの協力をとりつけ、進んで王家を支えるようにし向けなければならない。
もし執拗に王家に反抗する貴族がいれば、さらなる討伐軍を送ることすら考えに入れておかねばならないのである。
とりあえず、王家からすれば目の上のこぶであったラシェンズ候は取り除いた。
だが、依然としてメディルナスでは政治の季節が続いている。
レクセリアからすれば、まるで綱渡りをしているようなものだ。
とはいえ、王都に住まう人々にとっては、そんなことはどうでも良かった。
極論してしまえば、支配者が王家であろうが誰であろうが、日々の暮らし向きさえうまくいけば人々にとってはどうでもいいことなのだ。
この一週間の間に、何人もの有力諸侯が王都入りを果たしている。
物見高いメディルナスの庶民たちは、ほとんど珍奇な動物や魔獣を見物するような気分で、地方からやってきた貴族たちを出迎えたのだった。
大貴族のなかでも王都に一番乗りを果たしたのは、メディルナスにほど近い、アルヴェイス河の下流に位置するあたりに領土を持つナイアス候ラファルだった。
ナイアス候家は、黒と青とに染め抜かれた地の上に、巨大な橋の形の紋章を持つ名家である。
人々はナイアス候の姿を見ようと道端におしかけたが、彼はあまり人目に自分の顔をさらしたがらないことで有名だった。
生まれつき、右目のまわりを奇怪な形の痣があるので、自分の醜い……と彼は信じ込んでいる……顔を衆目にさらしたくなかったのである。
ナイアス候は、配下の「橋桁騎士団」に守られたまま、例の橋をかたどった家紋を彫り込ませた巨大な箱馬車に乗ったまま、ついに王宮に入るまでに人々に姿をさらさず、メディルナスの庶民たちを落胆させた。
続いて王都を訪れたのは、ヴィンス侯爵夫人ウフヴォルティアである。
ヴィンス候本人は老齢で床に伏しているため、夫人が代理で訪れたのだが、彼女の姿は人々を驚かせた。
「噂には聞いていたが……まだ若い……というか、若すぎるな」
「確か二十四か五だったはずだ。ヴィンス候も後妻とはいえ、娘よりも若い女を娶るとはなあ」
「なんでもあっちのほうがお盛んすぎて、ヴィンス候のじいさん、精気を奥方に吸い取られちまったんだとよ」
「いや、俺が聞いた話だと、あのウフヴォルティアってのはウォイヤの信徒らしいぞ。女ばかり集めて毎晩、いろいろとやってるらしい」
口さがない王都の人々は無責任な噂を交わしていたが、それでも彼女が侯爵夫人にふさわしい品位と美貌の持ち主であることは、誰の目にも明らかだった。
ぬばたまの黒髪を高く結い上げ、銀と黒真珠をあしらった髪飾りで頭を飾っている。
その肌は絹のように白くなめらかで、瞳はさながら黒真珠のようだ。
「ヴィンスの黒真珠」という異名を持つのもうなずけようというものである。
ヴィンス候夫人は葡萄酒色の外套をまとった騎士に守られて、しずしずと王宮へ向かった。
さらに翌日、王都にたどり着いたウナス伯家の格好は、さしもの王都の人々をも驚かせた。
彼らは全員、陶製の白い仮面をかぶっていたのである。
「なんだありゃ……みんな、ネーリル信者だってのか」
とメディルナスの人々は口々にささやきかわしたものだ。
ネーリルとはセルナーダの地で信じられている数多くの神々の一柱で、死後の安息を司る神である。
ネーリルの僧は無表情な陶器の仮面をかぶり、黒いローブをまとうことで知られていた。
ネーリルの僧侶は亡者や亡霊を祓い、昇天させる法力を使うというが、あまりにも死を直接的に思い起こさせる姿のため、人々に恐れの目をもって見られることが多い。
そんな格好をした連中をウナス伯は集団で引き連れてきたのだから、メディルナスの民もさすがにこれには驚いたのである。
「なんでも、ウナス伯はひどく幽霊嫌いらしい。それで、本人も僧侶でもないのにネーリルの僧侶の格好をしてるんだってよ」
「幽霊ねえ……本当にそんなものいるのかなあ?」
「目には見えないけど、幽霊話ってのはよくあるからな。おまけに幽霊祓い専門の神様なんてのがいるんだから、そりゃいるんだろうさ」
セルナーダの地では魔術や法力といった超常の力が日常的なため、たえとば幽霊のような超自然の存在も信じられていることが多い。
ただし、亡霊の類は神の力の顕現である法力、あるいはネルサティア魔術の呪文のように、目に見える形で現れるわけではないため、そんなものは迷信だと言い切る者も少なくはない。
そもそも魔術の力からして、一般の人間は薄気味の悪いものとして、あまり話したがらないものだ。
失せ物探しなど、なにか困ったことがあれば、庶民も一般で商いをしている魔術師のもとに通うことがあるが、それでも超常の力は教育のない者からはやはりどこかうさんくさい目でみられている。
不吉な、それこそ幽霊の一団のようなウナス伯に続いてやってきたのは、これまた奇妙な一団だった。
二頭の馬車を中心にして、左右にそれぞれ一列になって騎士が警護をしてメディルナスの城門をくぐってくる。
だが、奇怪なことに列の右と左にいる者は、二人一対となって、まったく同じ顔をした者ばかりなのだ。
「な、なんだこりゃ」
「みんな双子か……あれは、ネス伯の『双子騎士団』だろうよ」
ネスは、アルヴェイアの北辺、グラワリアと隣接している一帯である。
古来からなんらかの魔力が土地に宿っているらしく、この土地で生まれる者は他の地域に比べて格段に一卵性双生児が多いのだ。
彼らの領主たるネス伯もまた、双子だった。
兄のネスファーがネス伯だが、弟のネスヴィールとしょっちゅう、入れ替わっては周囲の人間をからかっているという。
馬車の窓は大きく開かれ、ネスの双子たちはまるで自分たちの姿をメディルナスの人々に見せつけるようにしていた。
栗色の髪と緑の瞳を持つ、二十代半ばといった若者が二人、馬車に乗っているが二人の顔は瓜二つで、果たしてどちらがネス伯なのかもちろん王都の人々にはわからない。
他にもセムロス伯にエーリン候、アルメレ伯といった王国の大貴族たちが連日、王都を訪れたが、まだ最後の大物が残っていた。
王国一の大貴族、王家につぐ……あるいはそれ以上とすらいえる力を持つ……エルナス公ゼルファナスである。
エルナス公は、アルヴェイス河を遡って船に乗ってやってくるという。
ついに公爵が王都を訪れるとあって、メディルナスの物見高い市民たちはアルヴェイス河沿いの港に集まっていた。
そのなかには、リューンの姿もある。
「へっ……エルナス公ゼルファナス、どんな男なのか、きっちりその面、拝んでやるぜ」
道端で買った甘酸っぱいイマムの実を囓りながら、リューンは人混みをかきわけるようにして「荷揚げ大路」にむかっていた。
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