9 ゼルファナス公


 荷揚げ大路はその名の通り、王都の北、アルヴェイス河の港で荷揚げされた産物を運ぶ道である。

 古い歴史と人口を誇るメディルナスの都は街路もごちゃごちゃと入り組んでおりどこか迷路じみていたが、この通りは都のなかでも最も幅の広い通りの一つだった。

 さしわたし、二十エフテ(約六メートル)ほどもある通りには敷石がびっしりと敷き詰められている。

 数百年に渡り使われ続けていた通りのため、荷馬車の轍の幅の溝が、固い石を穿って筋となっているほどだ。

 なにしろエルナス公といえば大貴族であり、王国でも重要人物の一人である。

 万が一のことがないようにと、警備もかなり厳重なものだった。

 青い軍装に身を包んだ王国軍の兵卒たちが、槍を片手に荷揚げ大路の両脇にずらりと並んでいる。

 一般市民が道に入り込んで、公爵の通行を妨げるのを防ぐためだ。

 メディルナス市民たちは兵士たちに文句を言いながらも、きっちり道の両脇の宿屋を借りたり、勝手に商家の屋根に登って見物場所を確保していた。

 どこにでも目端の利く人間はいるもので、ゼルファナスの姿がよく見える場所を高い金で貸し出す者まで出る始末である。

 もっとも、リューンたちはそんなことで余計な金を使ったりはしない。

 荷揚げ通りの脇にある一軒の指物師の店の壁を伝って猿のように屋根の上に登ると、自分で見物場所を確保してしまった。

 リューンだけではなく、カグラーンや雷鳴団の他の部下たち、おまけに例の娼婦の少女ミシアまでなぜかちゃっかりそばにいる。


「やれやれ、まったく世の中、馬鹿ばっかだな」


 周囲を見渡したリューンが、嘆息した。

 荷揚げ大路の脇に軒を連ねる建物の上に、それこそ人々が鈴なりになっている。

 青灰色のスレート屋根の上に、老いも若きも男も女も、果物にたかる蠅か蟻のようにむらがっていた。

 なかには間が抜けたことに建物の上から路地に転がり落ちる者までいる。

 まるで祭りのような賑やかさだった。

 実際、メディルナス庶民はひさびさのエルナス公のおでましとあって、ほとんど祭りのような気分で浮かれていた。

 裏路地では甘い焼き菓子や蜜漬けの林檎、あるいは薄焼きパンやちょっとした肉料理などを売っている。さらには昼日中から酒まで喰らっている者までいた。

 そろそろ季節も春から夏へと移り変わりつつある。

 爽やかな風がリューンの長い髪をなぶっていた。

 本人が自慢しているだけあって、なりこそみすぼらしいものの、髪を髪あげるさまなどはなかなかの男ぶりである。

「ま、でもいくらあんたがいい男でもゼルファナス閣下にはかなわないわ」

 ミシアがわがことのように自慢げに言った。

「なんたってゼルファナス閣下っていえば、ライカの御子って言われているくらいなんだから」

「へっ……ライカの御子、ねえ」

 ちなみにライカとは銀の月の女神であり、美と愛を司るとされている。

「どれだけ美男なんだか、この目できっちり確かめやらあ。でも男ウォイヤってんだから、どうせなよっとした女みたいな野郎なんだろうよ」

 エルナス公爵。

 あのレクセリアが嫁ぐかも知れないという話もあるという。

 なぜか、そう考えるだけでリューンの心は落ち着かなくなるのだ。

 公爵といえば、いわば雲上人である。帝国期よりこのかた、身分の差というのは基本的には絶対的なものだ。

 たとえば騎士階級のものが武勲をたてて爵位を与えられたりすることはあるが、平民はどこまでいっても平民である。

 たとえば富裕な商人などが大貴族相手に金を貸し付けるようなことがあっても、貴族が相手に頭を下げるようなことは絶対にない。

 王は王であり、貴族は貴族であり、騎士は騎士で、その下に庶民がいる。庶民は天地がひっくり返っても庶民のままだ、と人々は信じ込んでいるし、事実そうした時代が何百年も続いてきたのだ。

 そうした「常識」からみれば、リューンのような卑しい傭兵風情が「王になる」などと言ったところでただの駄法螺としか思えない。

 だが、これからやってくるエルナス公は、違う。

 そもそもエルナス公は、もとを遡ればアルヴェイア王家の分家の親王家、ということになる。

 王になることはまずないだろうが、その血にはかつての王の血が……つまりはいわゆる「黄金の血」が流れているのだ。

 つまりこの時代の常識として、王になるための血は備えている、ということになる。


(気にくわねえな)


 生まれつき高貴な血筋をひき、さらには美貌にも恵まれているという。

 少年たちを引き連れた男ウォイヤという話もあるから、それなりに色事も愉しんでいるのだろう。

 リューン自身、生まれつき見事な体格と容貌に恵まれ、戦士としての腕は一流と自負している。

 だが、生まれ、すなわち血というものだけはどうにもならない。

 そのときだった。

 先触れを果たす、エルナス公家の青と白の紋に黄金の剣の紋章を身につけた麗々しい騎士が二旗、北の波止場のあたりから馬を進ませてきた。

 いかにも富裕を誇るエルナス公家の騎士らしく、騎士たちのまとう板金鎧も金銀で細工された美しいものだ。


「おおっ……」


 さらに何騎もの騎士が、続いてやってくる。

 二列縦隊の騎士たちに先導されるようにして、一台の大型馬車の姿が見えた。

 馬車の行きすぎるあたりから、わあっという人々の歓声があげられる。馬車に乗っているが誰なのか、その正体は明らかだった。


(いよいよ、か)


 がらにもなく、リューンが緊張に唾を飲み込んだそのときだった。

 通りの向かいの指物師の家の二階の上にいた男が、たまたま視界の隅に入った。


(ん……?)


 一見すると、ごく普通の中年男に見える。

 砂色の髭と頭の天辺のあたりが禿げ上がった頭を持つ、がっしりとした体躯の男だ。

 年の頃は、四十を超えるかどうかといったところだろう。

 だが、なぜか男がリューンには気にかかった。

 周囲の人々は、みな通りに身を乗り出すようにしてエルナス公がやってくるのをいまかいまかと待ちかまえている。

 そのなかにあって、中年男は一人、ぎらぎらとした目で近づきつつある馬車を注視していた。

 尋常な目つきではない。

 なにしろ広い通りの向かい側であり、距離にすれば二十エフテ(約六メートル)も離れているのだが、男が放っている空気の正体をリューンは直観的に理解した。


(ありゃ……殺気だ)


 さすがに今日はエルナス公を見物にきたということで、戦場のように背に大剣を背負っているわけではない。

 だが、それでも腰には短剣を差したベルトを巻いている。

 短剣の柄に手をかけながら、リューンは中年男を凝視した。


(暗殺者か……? でも、そのわりにはなんていうか、素人くさいな)

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