5  荒ぶる王

 このアスヴィン大森林のなかで、レクセリアはいままで知識としてしか知らなかったような魔獣や、書物にすら記されていない未知の魔獣を多数、目にしてきた。

 みな、恐ろしい怪物どもばかりである。そもそもなぜこれほどの恐ろしい生き物が存在するのか、否、それはまともな生き物なのかさえわからないほどにおぞましいものをたっぷりと目にしてきた。

 だが、実をいえば、このアスヴィンの森で一番、恐ろしい力を持つ者は、あのリューンヴァイスではないかとレクセリアは疑っている。

 彼の強さは、もはや人間離れしているとしかいいようのないものだった。

 むろん、リューンも無敵のキリコ神ではない。所詮は人の身にすぎず、長時間、戦えば疲労するし、怪物たちに傷つけられて派手な怪我を負ったこともある。たとえばイルディスのような高位の治癒法力を会得しているキリコの僧がいなければ、あるいはとうに命を失っていたかもしれないという深手すら何度か負っている。

 だが、それにしても強すぎる。

 人としての限度というものを、ほとんど踏み外しているようにすら見える。

 それがレクセリアだけの思いではないことは、うすうす勘づいていた。リューン軍にいるものはみな、リューンヴァイスという個人の異常な戦闘能力により自分たちが生かされていることを実感している。


(なんという男)


 いまも、リューンの前には一匹の奇怪な怪物が姿を現していた。巨大な体を持ち、六本の脚を使って移動する化け物じみた蟻である。

 しかも胴体の上には、まるで馬の手綱を操る騎士のように、アルグが乗っていた。どうやらアルグが巨大蟻を騎馬のように使っているようだ。

 だが、リューンが剣を一閃した瞬間、蟻の固いはずの甲殻が爆ぜ割れる。異様な臭気があたりに満ちるのは蟻の体を巡る血液のようなものが噴出したためだろうが、その上に乗ったアルグも信じられないような顔をしている。さらにリューンは頭を砕かれた巨大蟻の上に這い上がると、アルグの首根っこを無造作に掴み、そのまま凄まじい腕力で締め上げた。

 二の腕が太い木の根のようにたくましく盛り上がり、やがてばきんという男とともにアルグの頸骨が砕けていく。そのままアルグの体を捨て置いたまま、今度は横から襲いかかろうとしていた別の巨大蟻にむかって跳躍していく。

 蟻に騎乗していたアルグがあわててよけようとしたが、リューンの動きはさながら疾風だった。一陣の風のようにリューンが大剣をふるったその瞬間には、もうアルグの頭蓋から股間までが一息に断ち割られていた。真紅の鮮血や脳漿が吹き上げられていくうちに、リューンの大剣はその下の蟻までも唐竹割りに切断していく。

 重い音とともに巨大蟻が巨体を血に沈めたかと思うと、すでにリューンの体は三体目の巨大蟻に向かっていた。その口には、一人の元雷鳴団の傭兵がくわえ込まれている。蟻の口に頭を砕かれ、兵士はむさぼり食われているのだが、その仇をうつかのようにリューンは巨大蟻の甲殻の狭間の柔らかな結節を狙い、大剣を雷光の如く打ち下ろした。

 どこか金属質の音を伴って蟻の大きな頭がはじき飛ばされ、兵士の体をくわえたまま大きな頭がくるくると回転して木の枝にひっかかていく。それはもはや、あまりにも野放図な、とても人間業とは思えぬでたらめな強さだった。

 むろん、リューン一人が戦っているわけではない。ランサールの槍乙女たちは紫電の稲妻で近寄るアルグたちを追い払っていたし、元雷鳴団の兵士や、グラワリア王宮の近衛騎士あがりのものたちも、それぞれが忌まわしい猿じみた怪物どもと勇戦している。

 しかし、それもリューン一人の働きには、全員をあわせても及ばないのではないかと思えるくらいだった。さすがにそれはレクセリアの目の錯覚というものではあったが、リューン一人を注視していると、彼の強さは際だっているというのを越えて、やはり神がかっているとしかいいようがない。

 いや、あるいは事実そうなのか。


(リューンヴァイスは嵐の神、ウォーザ神の寵愛をうけている)


 ひょっとすると、本当にやはりリューンはウォーザ神の子、神の子なのか。

 遠い神代には、神々は人とも交わったという。そもそもいまの三王国の王家の者はみな、太陽神ソラリスを父とする初代太陽王ソラリオンの後裔である。つまり、レクセリア自身にも、太陽神ソラリスの血がごくわずかではあるが混じっている、ということになる。

 だが、いまではソラリスの力が弱まった。いまから数年前、もともとソラリスが信仰されていたネルサティアの地で、太陽神ソラリスは地上に実体化し、死と闇の女神ノーヴァと戦い、敗北したという。

 それと三王国の王権の弱体化はほぼ同時期である。つまり、三王国の王家はみな、ソラリス神の霊的な加護を失いつつあるということだ。


(もともとウォーザ神は先住民の神だった……あるいは、古きセルナーダの地の力が、ネルサティアからきた神々の力が弱体化している間に蘇りつつあるというのか)


 それはリューンの神話的とさえいってよい戦いぶりを見ている間に、何度も考えたことではあった。


(それにしても、まるでこのアスヴィンの森は……そう、まるで中に入るものを『鍛え上げるように』作られた……そう思えないこともない)


 実際、この森のなかを支配しているのは峻厳苛烈な弱肉強食の掟である。自然の世界でも似たようなことがあるのをレクセリアは理解しているが、アスヴィンの森はそうした自然の理ともまた違う凄みがある。

 怪物たちが互いに喰らいあう魔境。

 そのなかで、いままさに「リューンは鍛え上げられている」といえるのではないか。

 否、リューンだけではなく、「リューン軍に属するものたちがみな鍛えられている」と見ることも出来る……。

 あるいは、とレクセリアは思う。


(これも神の……ウォーザ神のご意志だというのか)


 ウォーザは荒ぶる天空神であり、嵐の神であり、武威を好む。まさに力業で敵を次々に屠っていくリューンの姿は、さながら地上に顕現したウォーザ神その人のようでもあった。


「やはりあのおかたこそ、真の嵐の王……」


「嵐の王が、いずれセルナーダを変えてしまう……」


 ウォーザ神の娘の女神、稲妻の神格ランサールに仕える槍乙女たちが口々につぶやいている。


(そうだ……我々は一つの軍勢というよりも、まるで……)


 聖者に率いられた巡礼者たち、というのは考え過ぎか。

 いや、もっと的確な表現がある。


(まるで……『嵐の王、リューンヴァイスを神と崇める教団』といったところか)

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