4  微妙な存在

「リューン陛下。このままでは……我々も、食料も水も補給できずに、アスヴィンの森でやがて力つきるやもしれません」


 レクセリアの言葉に、リューンが苛立ったように言った。

「そんなことはわかってる! わかってるが……」


 やはりリューンは、ウォーザ神に使わされた人狼の民が、気にくわないようだった。

 人狼の民が悪い、というわけではない。

 彼らが「ウォーザ神の使い」だという事実が、リューンには不快なのだ。

 いままで、幾度か「ウォーザの奇蹟」により、リューンたちは助けられてきた。たとえばこの地図のないアスヴィンの森を迷わず通過できるのも、リューンとレクセリアに「ダールの道」と呼ばれる魔術的な経路が「見える」からだ。

 この道は、遙かな古から、いずれ現れるであろう「嵐の王」のために、設けられていたものである。

 確かにリューンならずとも、特に己を頼みとする人間であれば、考え込んでしまうことではある。

 リューンとしては、自分の力で王位に就きたかったのだろう。だが、そのすべてが、実はウォーザ神が影でお膳立てしたものだとすれば……。

 それこそリューンからすれば、「ダールの道」のように、自分の運命までウォーザ神に決定されているように思うだろう。そしてリューンはなにより、そういったことを嫌う男なのである。

 だが、いまはそんな悠長なことを言っていられる場合ではない。


「陛下」


 レクセリアは言った。


「陛下のお気持ち、わからないではありません。しかし、いまは……」


 リューンは渋い顔で、背後に付き従う兵士たちを見ていた。

 雷鳴団時代からの者や、「嵐の王」に忠誠を誓うランサールの槍乙女、さらにはもともとはグラワリアの紅蓮宮の近衛兵、と出自も性別もばらばらである。

 だが、初めのうちにあった彼らの間のいざこざは、いまではすっかりなくなっていた。仲間うちで争っている余裕などなかった、というのもあるし……さらにいえば、魔獣の襲撃と戦い続けることで、彼らはいつしか強烈な連帯感で結ばれていたのである。

 実に全体の三分の二を失った。

 決してそれは、少ない数ではない。

 そのことは、リューン自身、よくわかっているはずだ。

 このままでは、果たして森に出られるまで皆が持つか、わからない。リューンも馬鹿ではないのだから現実は認識しているはずだ。


「気にくわねえ。実に気にくわねえ」


 リューンの言葉に、ついレクセリアはかっとなった。


「陛下! 陛下には、この現状が……」


「ああ、わかってる……わかってるよ!」


 いきなり、リューンが怒声を放った。

 歴戦の傭兵であるリューンにとっては、自分の「部隊」がどうなっているか、ある意味ではもともとがお姫様育ちのレクセリアなどより、遙かに理解できているのだろう。


「仕方ねえ……背に、腹は替えられねえってことか」


 忌々しげにリューンは舌打ちした。


「ええと、そこのお前ら」


 リューンは、人狼の民にむかって尋ねた。


「名前……なんていったっけ?」


 その問いに男が答えた。


「私は、レキルといいます」

「私は、レキャルと申します」


 こちらは女だ。

 二人とも、よく見れば名前だけではなく顔立ちなども似ている。


「ひょっとして、お前ら、兄妹かなにかか」


 それを聞いて、レキャルが答えた。


「私たちは、双子です。ここは、ネスの地が近いために、双子が多いのです……」


 ネス。

 その名を聞いて、レクセリアは体に震えが走るのを感じた。


「ネス……ネスというと、あの……ネス伯爵領ですか?」


 ネスはアルヴェイア北部にある、伯爵領である。領主のネスファーも、弟のネスヴィールのことも、レクセリアは知っている。


「その、ネス伯領です。ここから、距離にして二日というところでしょうか」


 レキャルの問いに、兵たちから歓声があがった。


「二日!」


「二日たてば……ここから出られるのか!」


「おい……俺たちはじゃあ、アスヴィン越えをやり遂げたってことか……いままで、誰もやったことのない、とんでもないことをやったってことか!」


 興奮が兵たちを饒舌にさせていた。


「ようやく……このうっとうしい森とも、おさらばってわけか……」


 さしものリューンも、安堵の吐息らしいものを漏らしていた。

 ついに、レクセリアたちは、アルヴェイアの領内にたどり着いたということになる。いや、厳密にいえば、あと二日で、ということになるが。

 とはいえ、森を出たら出たで、新たな問題が起きることをレクセリアは理解していた。

 リューンが素直に森から出られる歓びを表に出せないのも、そのためだろう。

 なるほど、めでたくアルヴェイアに静観することは出来た。

 だが、本当の問題は、これから始まるのだ。

 リューンもレクセリアも、あまりにも「政治的に微妙な存在」なのだ。

 まず、リューンは名目だけとはいえ、グラワリア王なのだ。少なくとも、玉璽はリューンがいまも持っている。それを狙って、グラワリア諸侯たちが動き出すだろう。

 さらにいえば、レクセリアの立場もまた微妙なものだ。彼女は仮にも一国の王妹という立場にある。

 いま、アルヴェイアがどのような状況になっているかはわからない。だが、すでにセムロス伯とエルナス公の対立が深刻化していることは確かだ。

 あるいは、すでに内戦が始まっているかもしれない。

 そんなところに、「グラワリア王」と「その妻である国王の妹」がひょっこり姿を表したら……アルヴェイア国内に、どれだけの混乱が起きるのだろうか。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る