3  恫喝

 人狼の民。

 そうした存在の「伝承」であれば、レクセリアも知っている。

 人の姿、そして狼の姿、さらには人型をした狼のような姿に変化すると言われている人々である。

 だが、彼らはある意味では当然のことながら、セルナーダの地の人々に恐れられていた。人狼の民はアルグ猿ほどではないが、危険な存在として恐れられているのだ。家畜の害などの他に、人をさらって喰うこともあるという……。


「リューン!」


 レクセリアは毛布から身を起こすと言った。


「この者たちに、気を許してはなりません! この者たちは……」


「わかってるよ」


 リューンが無造作に大剣を構えた。


「悪いけどな……この森じゃいろんな妖魅や魔獣の類を見てきた。そう簡単に、はいそうですかってあんたらを信じるわけにはいかないんだよ」


 すると、人狼の民の女が、くすりと笑った。

 白銀色の髪を持つ、なかなかの……否、大変な美女である。いまは全裸姿だというのに、羞恥を感じた様子もなく、その女性美に溢れる裸身をさらしている。


「陛下の仰る通りです」


 人狼の民の女は言った。


「ここは魔の森アスヴィン……ましてや、私たちは人々に忌まれる人狼の民。リューン陛下が私どもを信頼できずとも、無理からぬこと」


「よくわかってるじゃねえか」


 といいつつ、人狼の民の女の見つめるリューンの目にいつしか好色そうな輝きが宿っているのを見て、さりげなくアルヴェイア国王の王妹は「夫」に軽く蹴りを入れた。


「ちょっ……なにしやがる」


「さあ」


 レクセリアは肩をすくめた。


「そんなことより……リューン陛下の仰るとおりです。私たちは、あなたがたを信用できない」


「しかし」


 男のほうが、困惑したように言った。


「信じてもらわねば困るのです。我らは大いなるウォーザ神よりの命を……」


 それを聞いて、リューンが舌打ちした。

 またウォーザ神が関わってきたのか、と内心、面白くないのだろう。

 いままで嵐の神であるウォーザは、幾度も陰に日向にリューンを援助してきた。今回もまた、神からの救いの手がさしのべられたのだ。

 だが、それがリューンには不愉快……なのだろう。

 リューンは独立不羈の精神が強い。だが、気がつけばウォーザ神が用意した「嵐の王」としての道を歩かされている。

 それがきっと不満なのだ。

 いまは、一応、リューンはウォーザ神の意志を受け入れている。なにしろ相手は神……それも、かつてはこの大地の王だった相手なのだ。人の身では、神にあらがうことはできない。

 しかし、それでもリューンは、神にさえところどころで刃向かうようなそぶりを見せている。

 ときおり、リューンを見ていると空恐ろしいような気分になる。

 一介の傭兵から、名目だけとはいえグラワリア王となり、さらには神にさえ挑もうとしている。

 あるいは、後の世にリューンは英雄と呼ばれるような偉大な存在になるのか、それとも……。

 ふいに背後から、しゃがれた男の声が聞こえてきた。


「やれやれ。アスヴィンの森にきてから、兄者はよほど妙な連中に好かれるとみえる」


 そう言って、小柄な男がため息をもらした。

 リューンと比べると、大人と子供ほどの体格差がある小男である。顔も全く似てはいないが、彼は父親は違うらしいが、リューンの実の弟だという。

 目玉がぎょろりと大きく、ついでにいえば口もでかい。美男の兄とは顔つきも体躯も大違いだが、それでも二人が兄弟なのは、どうやら確かなようだ。

 名は、カグラーンという。

 彼は兄と違い、戦場で派手に戦うといったことはしない。だが、それでもカグラーンが、かつての雷鳴団、そしていまのリューン軍を影で支えているのは誰もが認めているところだった。

 カグラーンは部隊の編成や糧食の割り当てなど、いうなれば「裏方」に徹している。

 だが、カグラーンの才覚がなければ、たぶんリューン軍はアスヴィンの森の土になっていただろう。リューンの力と人格的魅力だけでは、軍隊というのはやっていけないのである。

 カグラーンはさまざまな魔獣の肉が食べられるか試し、腹を下したこともある。また流れる水が有毒かどうかも試し、貴重な水と食料を文字通り、体をはって確保していた。

 とはいうものの、すでにリューン軍は肉も水も、尽きつつある。


「失礼ながら、リューン陛下の配下のみなさまも、ずいぶんとまともなものを口にされてはいないご様子」


 人狼の民の女の言葉を聞いて、リューンが青と銀色の瞳をぎらりと輝かせた。

「だったら、なんだってんだ……」


「私どもなら、その双方を提供することができます」


 その言葉に呼応するかのように、周囲から澎湃と狼たちの遠吠えがわき起こった。

 一匹や二匹、といった数ではない。数十……あるいは百を超える狼たちが、一斉に遠吠えをあげはじめたのだ。


「これはどうにも、参りましたな」


 常時、レクセリアの傍らに控えている、青いローブに身をまとったヴィオスが吐息をついた。


「これはまるで……恫喝ではないですか」


 ヴィオスは、一見するとどこかの農家のおかみさんのような顔をしている。丸顔で、栗色の巻き毛を持ち、どこか柔和な感じがするのだ。

 だが、それも道理で、彼は男性機能を失った、いわゆる宦官なのである。

 しかもヴィオスは、ただの宦官ともまた異なる。

 ヴィオスは五大元素を直接、操作する超常の技……いわゆるネルサティア魔術の使い手なのだ。

 宦官の魔術師というのも珍しいが、さらに彼はレクセリア王女の教育役、という任を担っていた。実のところ、ヴィオスが去勢をしたのはその役職に就くためである。

 ヴィオスは「民のための政事」を常にレクセリアに説いてきた。そのためか、レクセリアはたとえば兄王シュタルティスよりも、はるかに民衆のことを考える性格になっている。

 いまもレクセリアの視線は、苛烈なアスヴィンの森の逃避行でぼろぼろに疲れきった、百人にまで数を減らした兵たちにむけられていた。

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