10  笑うリューンヴァイス

 本来であれば、落ち込みこそすれ、喜ぶべきことは一つもないはずだ。

 にもかかわらず、体の内側から立ち上ってくるこの一種、言いようのない高揚感めいたものはなんだろう。


(おかしい……私は……民の安定を、平和をこそ望んでいたはずなのに)


 だとすればこの胸の高鳴りは一体、なんだというのだろう?

 とにかく、ガイナスのこの狂気じみた決断によって、自分の運命は大きく狂わされた。

 それなのに、その事実に歓喜しているもう一人の自分がいるのではないか。

 レクセリアが己の心の変化に慄然としたそのときだった。


「陛下!」


 一人の偉丈夫が、大きな声を放ったのは。

 いかつい、四角張った顔と、太く濃い眉をもつ男である。

 だが、なんといっても人目をひくのは、ゆうに七エフテ(約二・一メートル)は越えようかというその長身だった。


「陛下は仰せられましたな! この場で、もっとも強きものこそが、次代のグラワリアの王者たる資格があると!」


 言うまでもなく、それはゼヒューイナス候アルヴァドスだった。


「であるならば……私は、あてえ言おう。私こそが、この場で最強の『男』であると! 誰も私の剣を受けることはできますまい!」


 それは、事実上の国王への立候補宣言だった。


「おお」


「やはり、アルヴァドスどのが……」


 グラワリアの貴顕たちは、口々にアルヴァドスの巨体を見やりながら言った。


「あのおかたは……ごく薄いとはいえ、王家の血もひいておられる」


「確かに、次代の王としては……あるいは、適任か」


 実際、アルヴァドスはガイナス派のグラワリア諸侯の信望も篤い。

 まさに、次代の国王にはうってつけというものだ。

 さらにいえば、ガイナス王の提示した「もっとも強き者」という資格もそなえている。


「いや、あるいは……」


「初めから、ガイナス王はそのつもりであったのかも……」


 ひそやかなささやき声が、火炎の間を流れていった。


「三人の諸侯から、ガイナス王が直接、後継者を選べばかどがたつかもしれない」


「だから間接的に、『もっとも強き者』ということでアルヴァドス殿を後継者として指名したのかも……」


 確かにアルヴァドスはグラワリアの勇将でもあり、国王としての血筋もかろうじてではあるがひいている。

 さらにいえば、いかにもガイナス好みの猛攻を得意とする。

 自然と人々の視線は、いま一人の有力候補であるタキス伯アヴァールへと向けられていた。

 だが、タキス伯の顔はあいかわらずこわばったままだ。

 もしここで王に立候補すれば、アヴァールルはあの小山の如きアルヴァドスと、実戦で戦うことになるだろう。

 アヴァール自身、戦士としてはかなりのものだがいかんせん、相手が悪すぎる。

 アルヴァドスの巨体と長い手足は、それ自体がこの時代の戦いではきわめて強力な武器となりうるのだった。

 さらにいえば、アヴァールの治めるタキス伯領はグラワリアの北西隅にある小領であり、貴族としての権勢のほども領内に豊かな農場や耕作地を持つゼヒューイナス候にはだいぶ劣る。


「いかがなされた、アヴゥールどの!」


 アルヴァドスが、余裕の笑みを浮かべて言った。


「いささか顔色が悪いようだが……貴殿は、グラワリア王になるつもりはない、ということでよろしいか?」


 タキス伯は相変わらず沈黙を保ったままだ。


「諸卿はどうだ? グラワリア王となろうとする者は、私の他にいないのか?」


 アルヴァドスの問いに、他の諸侯たちも視線をそらせた。あの巨人と戦えば、自分などすぐにたたきつぶされるとわかっているのだろう。


「どうやら……決まったようだ」


 アルヴァドスがそう言った瞬間、ガイナスがかぶりを振った。


「待て。ゼヒューイナス候。少なくともグラワリア貴族には貴殿と戦おうとする者はいないようだ。だが……この広間にいるのは、貴族だけではない」


 それを聞いて、アルヴァドスが顔をしかめた。


「お戯れを、陛下。あとは残る者はといえば、賎しい傭兵あがりの連中どもばかりではありませぬか」


「傭兵だろうがなんであろうが」


 ガイナスは笑った。


「そんなことは、なんの関係もないことだ。言ったはずだぞ、俺は。王たるにふさわしいのは、この広間にいる者でもっとも強きもの……純粋に力のみが、すべてを決するのだ」


 ガイナスは傭兵たちを見ると、叫んだ。


「余のために勇戦してくれた傭兵諸君! 諸君らにはいないのか! 自らの腕で、王位を勝ち取ろうとする者は!」


 そのときだった。

 信じられないことに、一人の、アルヴァドスほどではないとはいえやはり人目をひかずにはいられない巨漢が、にいっと笑ったのは。

 その男の目に、レクセリアは見覚えがあった。

 自分と同じ、青い右目と、銀色にも見える灰色の瞳……いわゆる「ウォーザの目」を持った男である。


(リューン……リューンヴァイス!)


 レクセリアはあやうく叫び声をあげそうになった。

 リューンは、不敵な笑みを浮かべたまま、大音声で叫んだ。


「待て! ゼヒューイナス候の旦那! この俺が、リューンヴァイスがあんたに挑戦するぜ? ガイナス王は、傭兵でもいいとおっしゃった! だとすれば、この俺にも戦いに勝ちさえすれば王になる権利はある……そういうことだろう?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る