9 ガイナスの狂気
ガイナスの傍らにしつらえられた椅子の上から、レクセリアはひどく非現実的な感覚を味わいながら火炎の間の人々の間に動揺が広がっていくさまを見つめていた。
誰もが、困惑したような、あるいはガイナスが発狂したと思ったのか、恐怖するような顔をしている。
だが、そのなかで三人の諸侯が、ただざわめくだけの連中とは違い、なにやら考え込むような顔をしていた。
タキス伯アヴァール。
ダルフェイン候ボルルス。
そしてゼヒューイナス候アルヴァドスの三人である。
(なるほど……)
レクセリアは夢のなかにいるような心地でいながら、冷静に考えを巡らせていた。
(あの三人は、みな父方の血筋をたどれば、だいぶ遡らねばならないとはいえグラワリア王家の血をひいている……)
ということは、彼らには一応、血統でいえばグラワリア王家を継ぐ資格はないこともない、ということになる。
父方で王家に連なる、いわゆる「黄金の血」をひいているのだから。
(だがガイナス王のあの申しようは、戯れ言とは思えない。ということは……)
レクセリアは、改めて三人のグラワリアの大貴族たちの姿を見やった。
タキス伯アヴァールは長身痩躯だが、それなりの武人として知られている。
剣や弓の腕もかなりのものだ。
また、ゼヒューイナス候アルヴァドスは、なにしろ山のような巨漢なのである。
彼は戦場では、異常なほどの大剣を使って、鎧ごと敵を切断した、などという話も伝わっている。
単純な戦闘能力としては、アルヴァドスにかなうものはそうはいないだろう。
これに対しゼヒュインの禿頭伯ボルルスは、知将であり、兵を率いる際は勇戦するが、肥満伯という二つ名もある通り、本人はとてもではないが実戦向きの人物とはいえない。
つまりは、ガイナス王は、自分の跡継ぎとなるべき有力諸侯三人のうちから、ボルルスを外した、ということだろうか。
常識的に考えれば、そういうことになるだろう。
残るアヴァールとアルヴァドスで雌雄を決せよ、ということか。
だが、それこそ常識的すぎる判断ではないか。
いまのガイナスは、どうみてもまともではない。
さらにいえば、そもそも王たる者は血統で決まるのか、戴冠されて決まるのか、あるいは王の証たる玉爾の指輪を持っているから決まるのか、といった意味深長なことを言っていたではないか。
「陛下」
ボルルスが、すっと目を細めると言った。
「陛下のご発言の真意のほどがわかりませぬ。陛下は……つまりは、いまこの火炎の間にいる者たちのなかで、『もっとも強い者』を王とする所存でございますか?」
「いかにも」
ガイナスはうなずいた。
「ちゃんとわかっているではないか。ダルフェイン伯、貴卿の言う通りだ。世は強さ以外の、一切を問わぬ……血も、生まれも、なにも関係ない。世が次代の王に求めるのは純粋なる力だ……」
「しかしながら」
ボルルスはあくまで穏やかな口調で言った。
「それでは……王統が途絶えます。初代グラワリア王、さらにはセルナディス帝国皇帝、否、古代ネルサティアの太陽王にまで遡るこの神聖なるグラワリアの王統が……」
「はん」
ガイナスが、鼻で笑った。
「王統だと? その理屈でいえば、余が死ねば跡を継ぐのはスィーラヴァスという理屈になる」
びんとはりつめた声が、火炎の間にこだました。
「グラワリア王位をスィーラヴァスに渡すくらいであれば、新たな王朝を、余の後継者が興せばよいではないか」
再び、広間にどよめきが走った。
「新たな王朝だと?」
「グラワリアの……否、三王国の歴史でこのような馬鹿げたことは……」
ガイナスの言っていることは、この時代の常識を、根底からひっくり返すようなことだったのである。
王は、古代からの血統をまず第一にする。
それが常識というものであり、その血統を無視して個人の強さだけで王位を決めるなどというのは、狂気の沙汰としかいいようがない。
ある意味ではガイナスらしいともいえるやり方だが、さすがにこれは度がすぎている。
(やはりガイナス王は、正気を失われているのか)
レクセリアはそんなことを考えていた。
だが、同時にやはりガイナスらしい、という思いもある。
そもそもヴォルテミス渓谷の戦いでの虐殺といい、ガイナスはいままでの理性や常識といったものではとても計りきれるような男ではない。
従来からの価値観をすべて破壊する狂気を内包しているのだ。
その狂気を理解しなければ、ガイナスという人物を理解することは出来ない。
(そう……いまに始まった話ではない。もともとが、ガイナス王には獰猛な狂気が巣くっている。それだけの話かもしれない)
だが、その王によって勝手に未来の婿を決められるというのは、正直にいってレクセリアには愉快ではなかった。当たり前といえば当たり前の話であるが。
(しかしなぜ、ガイナス王はわざわざ私を時代の王の嫁に……)
その瞬間、ようやくレクセリアはガイナスの真意を理解した。
ガイナスは、戦の終結など求めてはいない。
それどころか、自らの死によってつくであろう火に油を注ぐような真似をしようとしている。
(私は……その油ということか!)
誰が次代のグラワリア王になるにせよ、その者は従来の、全うなやり方で王位についたわけではない。
となれば、スィーラヴァス派はむろんのこと、いままでガイナスに付き従っていたガイナス派諸侯からも、偽王、王を僭称する者、と見なされるだろう。
だが、その「新王」の妻は、アルヴェイア王の王妹、レクセリアなのである。
そうなればことと次第によれば、アルヴェイア側からも「新王が正統な王として認められない以上、王妃であるレクセリアに王位継承権がある」といった理屈が飛び出すかもしれない。
無茶な理屈ではあるが、王家の血を一滴もひいていない王を王と認めるよりは、まだましというものだ。
(つまりは私が新王の妻であること自体……グラワリア、アルヴェイア両国にとっての、火種となる……)
背筋に冷たいものが走るのをレクセリアは感じた。
やられた。
完全にガイナスにたばかられた。
ガイナスは最初から、まったく戦を平和裡におさめるつもりなどなかったのだ。
最初から自らの死後も、果てしのない流血にグラワリアを、あるいはアルヴェイアも巻き込むつもりだったのだ。
そのガイナスの狂気に、レクセリアは引きずり込まれた。
ここで新王となった者に、果たしてどれだけのグラワリア諸侯がついていくかは疑問である。
となれば、勝手にその妻とされたレクセリアも、これから相当の波乱を覚悟せねばならぬだろう。
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