9 国王派の混迷
しかしよくもこれだけ派手に「割れた」ものだと、卓上の巨大な地図を見ながらハルメス伯ネルトゥスは、感嘆にも似たため息を漏らした。
アルヴェイア全土の地勢と行政区分が描かれた地図の上には、それぞれ青と赤に着色された、アルコーンの駒が置かれている。
アルコーンとは、盤上で行うゲームの一種である。
その駒を、敵味方を識別するために地図の上に置いているのだが、アルヴェイア王国の至る所に青と赤の駒が入り乱れていた。
青の駒は、国王派の領主が支配する地域に置かれている。もともと、青はアルヴェイア王国を意味する色でもある。
それに対し、赤はアルヴェイアでは、敵対者を意味することが多かった。
なにしろ、長年に渡り争っているグラワリア王国の色は、赤なのだ。今回は、エルナス公派……国王派からは「賊軍」と呼ばれている領主たちの支配地域に、赤い駒が載せられていた。
情勢は、ほぼ互角といっていい。青と赤、ともにほぼ勢力は拮抗している。
王国北辺のネス伯領も、一応、今は青い駒が置かれている。
だが、果たしていつまでここに青い駒が置かれるのか、ネルトゥスには疑問だった。
「これは、いささか面倒なことになりましたなあ」
セヴァスティスが、例によって赤鶏の股肉をくちゃくちゃと音をたてて喰らいながら言った。
「レクセリア殿下の処遇……これは厄介ですぞ。エルナス公も、彼らを放置しているとは限らない」
確かに、セヴァスティスの言うとおりである。
ネルトゥスも自分がエルナス公派なら、アルヴェイア北辺、グラワリア国境に忽然と出現した「新勢力」を決して無視はできないはずだ。
「しかしまさか、ネスヴィール殿が……いやはや、ネスの双子といえば、アルヴェイア諸侯のなかでも、『諸侯の家内の融和の象徴』として見られていた存在。そのネスヴィール殿がこのような大それた真似をするというのは、ちとまずいですな」
セヴァスティスの言葉に、ネスヴィールの双子の兄であるネス伯ネスファーが叫び声をあげた。
「待たれよ、セヴァスティス殿! 別にネスヴィールは王家に対し、叛意を抱いたわけでも、エルナス公に寝返ったわけでもない!」
ネスファーの目には、明らかな怒りの色があった。
むろん、セヴァスティスの一種の侮辱に対して反応している部分もあるのだろうが、決してこの怒りはそんな単純ものではあるまい。
(ネスの双子……一心同体のはずの者が、自分の意にそわぬ行動をとれば……さて、どんな気分になるものかな)
そのあたりの感情は、正直にいってネルトゥスにはわからない。
ネルトゥスのハルメス伯家の長男として生まれた。弟が二人、妹が三人いるが、弟は二人とも幼少の頃に死んでしまった。
神々からの治癒法力を多く使える貴族階層は民衆に比べれば乳幼児の死亡率は低いが、それでも兄弟全員が十六の成人を迎えることは稀である。
おかげでネルトゥスは、兄弟同士の跡継ぎ争いを経験せずに、すんなりと爵位を継いだ。男兄弟を幼いうちに失っているので、ネスファーの気持ちは正直、よくわからない。
「しかしネスヴィールのもとに……レクセリアがきた!」
国王シュタルティス二世が金杯になみなみとつがれた葡萄酒を一気に飲み干すと叫んだ。
「レクセリアだ! あのレクセリアだ! ヴォルテミス渓谷では余の王国軍一万も失った馬鹿者が!」
シュタルティスの声は、怒りのためか裏返っていた。
「グラワリアでの騒ぎで死んだかと思っていたが……一体、なにを考えていきなりネスに現れた?」
「間者の報告によると、レクセリア殿下は、アスヴィンの森をこえてネス伯領に辿り着いたとのことですが」
セムロス伯ディーリンが、生気のない声で言った。
やはりディーリンの様子は、どこかおかしい。かつての覇気や迫力がなく、すっかり力を失ってしまったように見える。
ディーリンがなぜこのようになってしまったのか、ネルトゥスにはわからない。だが、刻々と変化する状況に、いまのディーリンがついていけてないのは明らかだった。
やはり老人に特有の状態なのか、それともなにか理由があるのか。
いずれにせよ、いまはそんなことを考えている場合ではなかった。
「ネスヴィール殿はレクセリア殿下を受け入れているご様子。さらにいえば……例の、ガイナス王から王位を譲られたリューンとかいう傭兵も」
「ネス伯!」
シュタルティスが、甲高い声を放った。
「これはいかなることか、余に申してみよ! 貴殿の弟は、一体、なにを考えている? それともよもや、貴殿もこの件に裏で通じているわけではあるまいな?」
「畏れながら、陛下」
ネス伯ネスファーは、凄まじい目つきで国王を冷然と睨みつけた。
途端に、いままで怒りに我を忘れていたシュタルティスも「本当にこの場で力をもっているのは誰か」ということに思い至ったようだ。
「臣の陛下に対する忠節をもしお疑いであれば、私自ら二千の兵を率いて、ネスヴィールを討伐に参ります」
だが、シュタルティスとしては、それは困るのである。
二千の兵は、国王派の軍勢としてはどうしても、温存しておきたい。むろん、実際にネスファーもいまからネスに戻ってそんな真似をしようなどとは考えていないだろう。
むしろこれは、露骨な恫喝に近い発言なのだ。
「いや……その、貴卿の忠節を疑ったわけではない」
途端に、シュタルティスはしどろもどろになり言葉を濁した。
青玉宮の支配者……否、アルヴェイア王国の支配者であるはずの者が、このていたらくなのである。
本当であれば、これで別にかまいはしなかった。セムロス伯ディーリンがしっかりしていたうちは、所詮は国王は飾りであり、セムロス伯が実質的に国王派の指揮をとっていればよかったのだ。
だが、ディーリンは気力の衰えかかつての覇気を失い、いまでは誰が見ても、国王派の中心人物はセヴァスティスとなっている。
メディルナス近郊からやってきた諸侯たちも、ディーリンの人変わりに少なからず驚いたようだったが、世故長けた諸侯たちはさっそく、セヴァスティスに巧妙に取り入り始めていた。
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