14  決断

 激しい雨は当然のことながら、レクセリア軍の本陣にも降りしきっていた。

 ときおり、稲妻が宙を駆けるたびに、あるいはあれは敵軍のランサール雷槍団が放ったものではないか、と緊張してしまう。

 レクセリア軍にとって、戦況は最悪といっても良かった。

 南の戦線では騎士たちがそれなりに前線してくれてはいたが、スィーラヴァス軍はゼルファナス軍とほとんどまともに戦わなかったため、兵力を温存していた。

 その大兵力でヴォルテミス渓谷の南から一気に北進され、ほとんど押しまくられているというありさまである。

 さらに北のガイナス軍とぶつかりあうあたりでは、少しずつ戦線が後退し始めていた。

 つまり、レクセリア軍は、敵に圧倒されつつあるのだ。

 本陣だけでなく、この狭い谷間に押し込められた兵士たちはみな、ぴりぴりとした空気を発している。

 それは緊張というよりは、むしろ恐怖に近いものだ。

 一万五千……いや、すでに戦闘でかなりの死傷者が出ているので実数はもっと下だろうが……もの人間が、この狭い谷で迫りくる最後におびえつつある。

 そして、彼らを率いる将である自分は、なに一つ、有効な手をうてないでいる。


(なにか……なにか策が……)


 ない。

 完全に、レクセリアは追い込まれていた。

 あるいは自らこの谷にこもった時点で、命運は決していたのかもしれない。

 もしあの爆発の威力がもっとあれば、と思わぬこともない。

 だが、そんなことはいまさら言っても仕方ないことだ。

 このままでは、比喩表現ではなく、一万五千のレクセリア軍は全滅するかもしれない。

 そしてそのすべての責任は、レクセリアにあるのだ。

 あるいはスィーラヴァスがガイナスから裏切れば。レクセリアに唯一、存在する望みはそれだけだが、スィーラヴァスも勝ち戦を捨ててまでここでいきなりこちら側に寝返るとは思えない。

 もしスィーラヴァスがガイナスの首を欲しているのなら、ここで彼はガイナスを裏切るべきなのである。


(それとも……そんな勇気もない男なのか)


 スィーラヴァスのことをさして知っているわけではないが、その知略や経済運営についての声望は高いとはいえ、彼が「剛胆だ」という話はついぞ聞いたことがない。

 むしろ石橋を叩いてわたる種類の男といった感じがする。

 もし自分がスィーラヴァスなら、ここでレクセリア軍との交戦を停止し、一時的な和睦の使者をよこす。

 そうなれば、レクセリア軍は疲弊したガイナス軍の隙をついて、南に後退して陣を立て直すなり、あるいはゼルファナス軍と連携して一気に反攻をかけ、南北からガイナス軍を撃滅させることが出来るのだ。


(スィーラヴァス……だからあなたは、五年もガイナスと戦っていながら、いままで決定的な勝利をえることができなかったのです)


 レクセリアは怒りにも似た思いで、顔もしらぬガイナス王の異母弟を憎んだ。

 ガイナスにしてみれば、長年にわたって戦ってきた相手なのだ。

 最後の最後で、スィーラヴァスが裏切りを躊躇することくらい最初からわかっていたのだろう。

 あるいはだからこそ、常に裏切られる危険があるというのにスィーラヴァスと休戦を結び、こうしてネルディに侵攻してきたのかもしれない。

 だが、ここでいくらスィーラヴァスを憎んだところで、それこそお門違いというものだ。

 問題が自分の作戦指揮にあったことを、レクセリアは痛感していた。

 その瞬間だった。

 突如、北のほうの戦線で何百もの雷が一度に落ちたかのようなすさまじい轟音が轟いた。

 同時に世界が白く染まり、しばらくの間、目の奥に緑の光の蔭のようなものが焼き付いてしまった。


「伝令! 敵軍は、ランサール雷槍団を投入してきた模様です!」


 さすがに後方にいるレクセリアからは直接、目視は出来なかったが、稲妻の乙女たちは驚くべき力を秘めた法力を放っていた。

 実をいえば彼女たちの使う稲妻は、自然界の、いま天で荒れ狂っているそれにくらべればごくごく、威力が弱いものである。

 だが、それでも特定の方向に指向性をもって電撃を放つことができるのだ。

 兵器として集中活用すれば、すさまじい力を持つ。


「わあああああああああああ!」


 稲妻の直撃を受けたアルヴェイア兵は、首筋から足下まで高圧の電流を流されたせいで神経機能に異常をきたしていた。

 意味不明の悲鳴をあげながら、その場にうずくまって手足をびくんびくんとけいれんさせている。

 他にも雷撃のせいで皮膚に派手な火傷をおったものが、仰向けになりながら苦痛にうめき声をあげていた。

 さらには電流が心臓を直撃したらしく、一見するとまるで無傷なのにこときれている者もいる。

 ランサール雷槍団は、稲妻を一点に集中して放った。

 神の力である法力の常で、この稲妻を放つと彼女たちは心身ともに非常に消耗する。

 だが、槍を携えた女たちは喚声をあげながら稲妻で敵兵をなぎ倒したあたりにむかって、一斉にかけ始めた。

 縦深の奥深くにまで、槍の穂先のようにランサール雷槍団を先駆けとしてグラワリア兵が突入してくる。


「ガーガール!」


「ガーガーールッ!」


「ランサール!」


「ガーガール!」


「アルヴァーーールッ!」


「ガーガールッ!」


 グラワリア兵とランサール雷槍団の鬨の声に、アルヴェイア兵は完全に圧倒されていた。

 この時点でランサールの乙女たちを投入したガイナスの戦術眼は正しかったといえる。

 レクセリア軍全軍が、恐怖と混乱に包まれ始めていた。

 兵からすれば北はガイナス軍に、南はスィーラヴァス軍に挟まれていてどこにも逃げ場所がないのだ。

 あるいは皮肉な話ではあるが、この時点でレクセリア軍が完全に敗走を始めなかったのは、逃げ場が存在しなかったため、といえるかもしれない。

 どのみち恐慌にとらわれたところで、彼らに出来ることはただ戦うことしかないのだ。


「わあっ……殺される! 俺たちはみんなガイナスの犬に殺される!」


 まだ若い一人の兵が、恐慌にとらわれて泣き叫び始めた。

 そのあごを狙って、傍らにいた王国軍の中年の十人隊長が、思い切り殴りつける。

 発作がおさまったかのように、若年兵はぽかんと口をあけた。


「なにやってる! こんなところで泣き叫んだってどうにもならないだろう! 生き残りたければ戦え!」


「おまえら、なにを恐れている! いいか、どのみち俺たちには逃げ場がねえ! つまり、いやでも戦うしかないんだよ! 生き残りたければ、戦え! 戦って、戦って、戦いまくれ!」


「くそったれ! こんなところで死んでたまるか! 俺は、故郷の許嫁を残してるんだ」


「俺だって、息子が二人に娘が三人いる! ここで俺が死んだら、誰が奴らを養うってえんだ!」


 すでにアルヴェイア兵たちの精神状態は、極限にまで追い込まれていた。

 その極限の壁を突破したレクセリア軍の兵士たちは、一種、異様な状況へと陥っていた。

 いわゆる窮鼠猫をかむ、に近い心理である。

 逃げ場も与えられずに追い込まれたレクセリア軍の兵士たちは、狂ったような獰猛さで戦い始めていた。


「アルヴァール!」


「アルヴァーーーールッ!!!」


「アルヴァール! アルヴァールッ!!」


 また、いつしかアルヴェイア王国軍の鬨の声だけではなく、彼らを率いる王妹殿下をたたえる声も上がりはじめていた。


「レクセリア殿下のために!」


「レクセリア殿下、万歳!」


「レクセリア殿下のためにいいいいいっ!」


 むろん、そうした兵たちのあげる声は、レクセリアの耳にも届いていた。


(なんて愚かな……)


 レクセリアはきつく唇を噛みしめていた。


(あなたたち兵士をこんな窮地に追い込んだのは、この私だというのに! それなのになんて愚かな!)


 兵たちはほとんど絶望的な状況で、最後の死力を振り絞って戦いを始めていた。

 南のスィーラヴァス軍と戦っている騎士たちは、すでにその半ば近くを失いながら、十二度目の突撃を行うべく馬列を再び整えていた。

 またランサールの槍乙女と戦うアルヴェイア兵たちは、理性もなにもかも忘れただ圧倒的な暴力衝動だけで剣をふるい、彼女たちの髪をつかんでひきずりたおし、その喉を短剣でかききっていた。

 さらにガイナス軍との激突が依然、続いている北の最前線では、足下に無数の死体が転がるなか、レクセリア軍の兵たちが槍を敢然を構え、長剣を振り下ろし、肉片と返り血にまみれながらも果てしなく現れる赤い軍装の兵たちを次々に殺していく。


「レクセリア殿下のために!」


「レクセリア殿下のためにぃぃぃぃ!」


 壮烈な戦だった。

 いまのレクセリア軍は、北のガイナス軍と南のスィーラヴァス軍という二軍のあごにがっちりとくわえ込まれている。

 いずれ、両軍に挟まれたままレクセリア軍は壊滅するだろう。

 一万五千の兵たちは、このままいけば全滅する。

 だが、それはガイナス軍も同じことだ。

 しかし、ガイナス軍のほうが幾分、兵の数は多い。

 兵がつきるのは当然のことながら、レクセリア軍のほうが早いはずだ。

 このままでは、レクセリア軍は一兵も残さず、壊乱する。

 だが、それまでにガイナス軍のほうも激甚な被害をうけるはずだ。

 なぜガイナスは、こんな愚かな戦をやめないのか。

 そのときだった。

 レクセリアは突然、なにかの天啓のように理解した。


(ガイナス王は、この不毛な戦を最後まで戦い抜く自信がある……それだけの、覚悟がある。おそらくあの王は、兵がいなくなれば自ら剣をとって死ぬまで戦い続けるだろう……そしてガイナス王は、私にもその覚悟があるのか、と問うているのだ)


 そんな覚悟が自分にあるのか。

 答えはわかっている。

 ガイナス王は、兵がいなくなっても戦うだろう。

 だが、自分はそこまで恐ろしい真似は出来ない。

 いくらこれが戦とはいえ、そんな不毛な殺戮には耐えられない。

 ガイナス軍とレクセリア軍の一見、不毛に見える消耗戦は、同時にガイナス王とレクセリアの精神戦でもあったのだ。

 これだけ莫大な数の兵を殺し、それでも戦を続けられるかという戦いだったのだ。

 その戦に自分が負けたことを、レクセリアは理解した。


「レクセリア殿下のために!」


「レクセリア殿下のために!」


 これ以上、いたずらに兵を失うことに、レクセリアの心は耐えられない。

 自分はガイナス王とは違う。

 それが良いことか悪いことかはわからない。

 ガイナス王は兵卒が一人残らず死んでも平然としていられるだろう。

 だが、自分には無理だ。

 ガイナス王に敗北したことを、レクセリアは実感した。

 彼女は覚悟を決めると、伝令を呼び始めた。

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