第四章  魔の森

1  ダルクス男爵領

 ダルクス男爵領は、グラワリア南部に位置する所領である。

 これといった特産品もない、田舎だ。

 当代の男爵は、グラワリア内戦ではガイナス派についてきた。

 とはいえ、小さな領地である。

 男爵家のもてる軍事力などたかがしれている。

 わずか十騎の騎士と二百の歩兵が、男爵領がガイナスに差し出せるすべてだった。

 が、彼のガイナスへの信奉ぶりは、一種、常軌を逸している。

 当代男爵ダクス・ダルクスは、すでに六十を超える老齢である。

 若い頃から病身であり、この歳まで生きながらえたのは神々の法力や大地魔術師の治癒術を計算にいれても、ほとんど奇蹟といっていい。

 なにしろ他に兄弟がいなかったし、親戚もほとんど途絶えていたのでダクスが爵位を継ぐしかなかった。

 だが、この時代、当主が病で寝台に伏せっているというのは、一種の恥である。

 その反動というべきか、彼は雄々しい武人に憧れた。

 ダクスにとって、ガイナス王とはまさに彼自身の理想を絵に描いたような人物だった。

 とにかく戦に強い。

 そして戦に強いということは、ダクスにとってはすなわち正義なのである。

 そのため、五人の子にも徹底して武人としての教育を施した。

 なかでも四男のダーナスはひどく小柄ではあるが優れた武人であり、ついにはガイナスの供回りをつとめる近衛兵として取り立てられた。

 ダクスは感極まり、その名誉ある知らせを聞いたときは寝台のなかで、泣いた。

 だから、ダーナスがその奇妙な一団を引き連れてきたときも、老男爵は彼らを追い払いはしなかった。

 むしろ、歓迎したといってもいい。

 なにしろダーナスの話によれば彼らは「ガイナス王が正当な時代のグラワリアと認めたもの」を首領としていたからだ。

 とはいえ、正直にいえばリューンには不安があった。


(しっかし……本当に、そんなにダルクス男爵ってのを信じていいものかな)


 とはいえ「ダルクスの秘密」が真実であれば、彼に頼るしかない。

 グラワリアスを出てからというもの、リューンたち一行はさまざまな集団との小規模な戦闘を経験していた。

 まず、もっとも多かったのが傭兵から野盗になった連中である。

 彼らはもともとグラワリア各地で狼藉を働いていたのだが、いままではガイナス王の存在がいわば重石となって、派手な行動は行っていなかった。

 しかし重石が取れた以上、なにも容赦する必要はない、というわけだ。

 少なくとも十回は、複数の野盗化した傭兵たちの集団に襲われていたが、リューンたちの「軍勢」はその敵をことごとく撃退した。

 実際、傭兵とはいえまとまりを欠く連中であり、雷鳴団とグラワリアの近衛騎士、そしてランサールの槍乙女からなる「リューン軍」の敵ではなかったのだ。

 問題は、諸侯が有している軍勢だった。

 ガルヴァス候の二千の軍勢、そしてアンシャス伯の千五百の兵たちに追われたときは、さしものリューンも死を覚悟したものだ。

 だが、彼らはなんとか敵の手をすりぬけ、このアルヴェイア国境にほど近いダルクス男爵領まで辿り着いたのである。


(いや……正確にいえば、追い込まれたっていったほうがいいかもしれねえなあ)


 それがリューンの率直な感想である。

 事実、アンシャス伯の軍勢は、いまダルクスの南にいる。

 つまり、リューンたちがアルヴェイア側に越境しようとしていると見なしているのだ。

 さらに北東からはガルヴァス候の軍が近づいていた。

 もしガルヴァス候とアンシャス伯が連携をとっているとすれば、彼らはダルクスにリューンを追いつめた……そう思っているはずだ。

 長い一月だった。

 その間、リューンたちの仲間はともによく戦った、といえるだろう。

 当初リューンには不安があった。

 もともとの雷鳴団の仲間と、ランサールの槍乙女、そして紅蓮宮でリューンに忠誠を誓った宮廷仕えの近衛騎士では、それぞれにいままでの生活も習慣も立場も思想も、なにもかもが違ったからだ。

 雷鳴団の軍勢はこの半年ほどのグラワリア内戦で集めた傭兵たちだが、彼らはあくまで傭兵の首領としてリューンを慕っていた。

 そこに予言により嵐の王に仕えることになっていた主張するランサールの尼僧たちと、もともとお堅い近衛騎士連中がくわわってきたのだから、当然、うまくいくはずがない。

 あるいは常時、散発的にやってくる野盗たちの戦闘や、諸侯軍から逃げ回るという極限状態にいなければ、リューンたちの軍勢はあっという間に瓦解していたかもしれない。

 皮肉なことに、幾度もの野盗たちの襲撃はちょうど良い全体としての「戦闘訓練」となったし、諸侯軍からの逃走は、彼ら全員の仲間意識を高めることになった。

 はじめは仲の悪かった傭兵や近衛騎士たちも、いつしかうちとけ互いに名前で呼び合うようになっている。

 また、女たちだけのランサールの槍乙女たちも、それぞれ自分にあう「恋人」を見つけたようだった。

 軍隊内での恋愛は、基本的には厳禁である。

 恋愛とは実のところ、多くの騒動のもととなることが多いからだ。

 金を払って娼婦を買うのとはわけが違うのである。

 だが、ランサールの槍乙女は傭兵などではなく、彼女たちなりに誇り高い尼僧であり、同時に戦士だった。

 たいていはグラワリアの貧農階層出身の彼女たちは、槍の扱いにかけては男たちにもひけをとらぬうえ、なにより稲妻を放つ法力を持っていた。

 この超常の力がなければ、あるいはリューンたちも生きのびることが出来なかったかもしれない。

 彼女たちを最初に軍事に利用したのは、他ならぬガイナス王である。

 とはいえ今ではランサールの槍乙女の忠誠はまっすぐリューンにむけられていた。

 彼女たちを束ねるメルセナは、相変わらずリューンのことが気にくわないのか鋭い舌鋒でいろいろと文句を言ってくるが、それでも彼に仕えていることには変わりがない。

 いくら兵を集めても、きちんとした規律がなければただの烏合の衆である。

 そのあたりのところは、細々とした雑務を雷鳴団時代からこなしてきたカグラーンが働いてくれた。

 彼らは雷鳴団の傭兵と近衛騎士、そしてランサールの槍乙女をわけへだてなく扱った。

 全員の意見を聞き、公平に部隊編成を行い、それぞれの隊を編成することで、見事に一つの機能的な軍隊を造りあげたのである。

 その総勢、リューンの他にレクセリアやヴィオスをいれて、三二一人。

 決して多いとはいえない。

 傭兵団だとしたらかなりの大所帯だが、千人をこえる場合もある諸侯の軍隊と正面からやりあうにはいささか頼りない。

 しかしもともとが優秀な戦士たちの上、逃亡……リューン自体はあくまで撤退戦と言っていたが……の間に鍛え上げられている。

 いまでは野戦でも、あるいは三倍くらい数の多い敵となら渡り合えるかもれしない、とリューンなどは考えていた。

 とはいうものの。


(しかし……これでいいのかな……)


 と思わぬ事がないこともない。

 特にレクセリア姫との「夫婦関係」については。

 夫婦。

 一夫一婦制がセルナーダの地の基本的な婚姻の形態である。

 だが、まさか自分がこんな奇妙な形で、しかも三王国の王妹を嫁に迎えるとは考えたこともなかった。

 しかも夫婦とはいえ、レクセリアとは唇を重ねたことすらない。

 あまりにもいままで戦闘と逃亡とに忙しく、そんな呑気なことを言っている暇はなかったのだ。


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