13  罠

 「トカゲ通り」はアルヴェイア河岸にほど近い、ささやかな路地だった。

 その名のしめす通り、河に住むトカゲの民ゼルヴェイアがよく見受けられる界隈である。

 周囲には、河を船で旅してきた者たち向けの旅籠や、河の港で働く労働者向けの酒場がずらりと軒を連ねている。

 そうした建物の一つ、花崗岩づくりの堂々した倉庫の影から、奇妙な三人組が姿を現した。

 まず、最初に現れたのは黒髪の、品の良い顔立ちをした少年である。

 続いて銀色の髪と闇色の瞳を持つ、男とも女ともつかぬ、とうていこの世のものとも思われぬような美貌をもつ者と、巻き毛がかった黒髪の若い女が姿を現した。


「どうやら……無事、外に出られたみたいですね」


 黒髪の少年が、銀の月の月影に照らされたあたりを見渡しながら言った。

 路地には魚や、その他、下町の繁華街につきものの独特の悪臭が満ちている。

 巻き毛がかった黒髪の女が夜着に上着をはおった姿で、鼻を押さえながらつぶやいた。


「それにしても……まさか、あの通路がこんなところまで続いていただなんて……」


「通路によっては、このメディルナスの城壁の外まで続いていたようですよ」


 世にも美しい人影が、かすかに微笑をうかべながらそう言った。

 言うまでもなくこの三人は、小姓のフィニスとエルナス公ゼルファナス、そして国王の正妃ミトゥーリアである。

 だが、いまこの光景を見ている者がいるとすれば、とうていそんなことは信じられないだろう。

 なにしろ小姓のフィニスはともかくとして、ゼルファナスにしろミトゥーリアにしろ、王位継承権を持つ王国の貴顕なのである。

 とても、こんな庶民のための酒場や旅籠が並んでいるような場所を歩いているような者たちではないのだ。


「しかし……」


 ゼルファナスが整った眉宇をしかめた。


「どうにもこう……妙だな。なんというか……」


「そうですね」


 フィニスがうなずいた。


「閣下のおっしゃりたいことはわかりますよ。つまりはこういうことでしょう? なにもかもが……」


「そうだ」


 ゼルファナスはうなずいた。


「なにもかもが、こう……『うまく行きすぎている』」


 もともとゼルファナスは、猜疑心の強いたちである。

 そんな彼にすれば、こうもあっさりと青玉宮を脱出できたことが信じられないのだ。


「もし私であれば……」


 その瞬間、ゼルファナスが夜色の目をすっと細めた。


「なるほど……やはり、セムロス伯も愚物ではない……どころか、なかなか大した御仁ではないか」


 ゼルファナスの視線の先には、何人もの黒衣に身を包んだ男たちがいた。

 ぱっと見た限りでは、野盗や物取りの類に見える。

 実際、その通りなのかもしれないし、あるいはセムロス伯家の騎士が、そうした格好に偽装しているのかもしれない。


「どうする、フィニス」


 野盗の一人が、長剣を引き抜くと刀身がぎらりと銀の月の月影を照り返した。


「彼らはどうやら……『野盗として』私たちを襲う腹づもりのようだ」


「それは困りましたね」


 まったく困っていない様子で、フィニスが答えた。


「つまり我々は、野盗の手により殺された……そうやって、セムロス伯は始末をつけるつもりということでしょうか」


 要するに、最初からゼルファナスが逃亡する可能性を、セムロス伯は考慮していたのだろう。

 だが逃亡途中、たとえばこのトカゲ通りのようなもともと治安の悪い場所で殺されれば、犯人は野盗の類、と人々は見るかもしれない。

 つまりは「エルナス公は精神走査により心を読まれてゼムナリア信者であると知られるのを恐れ逃げようとしたが、運悪く野盗の襲撃にあい命を落とした」という筋書きがすでに出来上がっているということだろう。

 実際、なにも事情を知らぬ者が見れば、そう思っても文句は言えない状況である。

 おそらくセムロス伯も青玉宮内部の通路についてはすでにある程度の情報を得ており、主要な出口にはみな、野盗か、あるいはそれに偽装した兵たちを配置しているに違いなかった。

 言うなれば、ゼルファナスたちは見事にセムロス伯の仕掛けた罠にかかってしまったのだ。


「さて、困った困った」


 それどころかひどく気楽な口調でゼルファナスが言った。


「これじゃあ、我々はゼムナリア信者という不名誉な勘違いをうけたまま、殺されてしまう……」


「さっきから、なにをわけのわからんことを行っている」


 野盗たちの首領らしい、黒い覆面から目を出した男が低い声で言った。


「お前たち……俺たちとここであったのが運のつきと思え。あいにくと俺たちは、ただ金品をさしだせばそれですますような、生ぬるい手合いとも違うからな」


「まあ、待ちたまえ」


 ゼルファナスが、まるで相手をからかうような口ぶりで言った。


「君たち……こう見えても、私は王国一の大貴族にして第五王位継承権者、エルナスの都にその人ありとしられたエルナス公ゼルファナスだ。もし君たちがここをおとなしく通し……いや、いっそのことエルナスまでの護衛も頼もうかな、そうしてくれるのであれば一人につき金貨百枚払ってもいいぞ」


 だが、それを聞いても、野盗たちはぴくりともしなかった。

 一言でいえば、異様である。

 もし本物の野盗であれば、突然の申し出に、あるいは金貨百枚という破格も破格の報酬に、なにがしかの反応をしめすのが普通なのだ。

 にもかかわらず、彼らはまるで厳しく訓練された職業軍人のように、微動だにしない。


「痴れ言を」


 一行の首領が、小さく肩をすくめた。


「エルナス公がこんな夜中に、トカゲ通りでなにをしている? そんな馬鹿げた話を、俺たちが信じると思うか?」


 それを聞いて、ゼルファナスがいささか大仰に嘆息した。


「やれやれ……もう少し、こっちにあわせて芝居をするくらいの機転もきかんのかね。セムロス伯家の兵というのは、どうも生真面目すぎるきらいがあるようだ!」


「セ……セムロス伯など!」


 途端に、露骨な動揺をしめして首領が怒声を放った。


「セムロス伯など、我々とは関係がない! 我々はこのあたりを根城にする野盗なのだからな!」


 もはや田舎芝居もきわまれり、といった感じである。

 実は、この間、ゼルファナスが時間を稼いでいたことに果たして首領たちが気づいていたかどうか。

 この貴重な時間を利用として、ゼルファナスの小姓のフィニスは、自らが仕えるとある神……否、「女神」に対して、長い長い祈りの文句を捧げていたのだ。

 それは、法力と呼ばれる神聖魔術の一種だった。

 法力は神の力が僧侶の肉体を通して現世に発動するものである。


「さて……では、フィニス……そろそろ、やってくれないか?」


 ゼルファナスの言葉に、フィニスがうなずくと言った。


「……大いなる我が守護女神よ、この者たちに絶対の死を与えたまえ」


 その瞬間だった。

 フィニスの小柄な体から、見えざる漆黒の波動が発散された。

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