12  秘密通路

 青玉宮は、もともとが王城である。

 それゆえに、常にその歴史には黒い側面を孕んでいる。

 王族同士の抗争、あるいは王権を巡っての暗闘や暗殺など、青玉宮の影の歴史を語ればそれだけで一冊の分厚い書物ができあがるだろう。

 そうしたなかで、重要な役割を果たしてきたのが、隠し通路である。

 もともとは王族の緊急時の脱出用であり、その存在そのものが厳重に秘されてきた。

 青玉宮は、かつての帝国期の頃からの建物に何度もの増改築を繰り返しているため、それ自体、迷路じみた構造をもっている。

 その迷路の狭間、たとえば壁のなかや天井の間に隠し通路があっても、ちょっと見ただけではとうてい、わからない。

 この影の通路網は、魔術でも検知されないように厳重な結界が張られている。

 実のところ、ゼルファナスも青玉宮に張られた秘密の通路網の全容を知っているわけではない。

 彼が知っているのは、万一のときのために、エルナス公家の者が逗留することが多い「海の間」に秘密裡に作られた隠し通路の存在だけだった。

 この秘密通路は、いざというとき王家がエルナス公家の者を暗殺するために作られたとも、またエルナス公家が危難にあった際、逃亡するために作られたともいわれているが真偽のほどは定かではない。

 いずれにせよ、緊急時に使えるとゼルファナスは判断し、普段からフィニスを使って隠し通路の探索を行わせていたのだった。

 おそらく、この秘密通路網の全貌を知る者はいないだろう。

 フィニスが作り上げた地図も、あくまで不完全なものでしかない。

 なにしろこの通路の存在そのものが、ごく一部の貴人にしか知らされていないのである。


「それにしても狭くて、不健康な空間だね」


 ゼルファナスが首からかけた小さな金で装飾された象牙の首飾りは、「明かり」の術を使えるようになっている魔呪物である。

 なにしろ魔力減衰期にあって、大した光量とはいえないが、真っ暗闇のなかを歩くよりははるかにましというものだ。

 通路はごく狭く、あちこちに蜘蛛の巣が張っていた。

 ときおり、ネズミの木乃伊らしいものが転がったりもしている。

 そのうえくねくねと曲がりくねったり、あるいは上に昇ったり、段を下に下ったりということを繰り返しており、フィニスのようにあらかじめこの通路に精通している者がいなければ、とっくに迷子になっていたかもしれない。


「やはり……ミトゥーリア妃もお連れするんですか?」


 フィニスの問いに、ゼルファナスはうなずいた。


「そのつもりだ。なにしろ、ミトゥーリア妃のお腹の子は、これからいろいろと役にたってくれるだろうからね」


「それにしても……なんていうか、あっさり隠し通路に入れましたね。追っ手もきてないみたいだし……」


 それを聞いて、ゼルファナスが笑った。


「まあ……今は、ね。ただ用心したほうがいい。セムロス伯ディーリン……あの御仁は、そう一筋縄ではいかないようだからね」


 そうこうしているうちに、彼らは一つの扉の前へと辿り着いた。


「ここが……ええと、ミトゥーリア殿下の寝室につながっているはずです」


「なるほど、では、間男の参上といくかな」


 冗談めかしてそういうと、エルナス公は扉を開いて、静かに外の空間に出た。

 淡い魔術照明のかけられた、豪奢な空間である。

 室の中央には、天蓋つきの巨大な寝台が置かれていた。

 その他には衣装箪笥や鏡台といった、いかにも女性の部屋といった調度の類が置かれている。

 ゼルファナスはそっと寝台に歩み寄っていった。


「ミトゥーリア殿下……不肖、エルナス公ゼルファナスがお迎えに参りました」


 それを聞いて、布団のなかからミトゥーリアが顔を出した。


「ゼ……ゼルファナス卿!」


 ミトゥーリアの驚きは、本物だった。

 彼女はどうやってこの部屋にいきなりゼルファナスが現れたのかも、理解できていないようだ。


「どういうことです? あなたは……」


「いまは時間がないので、細かい事情を説明している暇はありません。ただ、私はあなたをお救いにきたのです」


 ゼルファナスは言った。


「このままいけば、国王陛下のご命令で私はいずれ、精神走査をかけられることとなる……しかしながら、その結果を陛下に報告するのは王国法務院の官僚たちだ。彼らが、私の『本当の心』をそのまま陛下にお伝えするでしょうか?」


 エルナス公は話を続けた。


「あるいは彼らは……この私がゼムナリア信者だと、あるいは王家に弓引くつもりあり、と偽りを陛下にのべるかもしれません。なにしろ王国法務院は、いまではセムロス伯が支配しているようなもの……となれば、私が処罰されるだけではなく……ミトゥーリア妃、あなたも大変なことに巻き込まれますぞ」


 さっとミトゥーリアの顔が青ざめた。


「それは……私の、私の子が……」


「さよう」


 ゼルファナスは首肯した。


「セムロス伯の究極の目的は、シャルマニア嬢に王子を懐妊させ、その者を次代のアルヴェイア国王に就けることでしょう。ですが、そのためには……」


「私が……私の子が、邪魔になる」


 ミトゥーリアが、震える声で言った。


「その通りです。以前、ミトゥーリア殿下が心配されていたことが、いま、現実のこととなろうとしているのです。もはや、青玉宮はすっかりセムロス伯に牛耳られている……ここは、あなたにとって危険です」


 ゼルファナスの言葉に、ミトゥーリアがうなずいた。


「では……私は、どうすれば……」


「なに、簡単なことです」


 ゼルファナスが、闇色の瞳でミトゥーリアを凝視した。


「エルナスにおいでになれば、それでよろしい。エルナス……我が公爵家の領地であれば、ミトゥーリア殿下は誰にはばかることなく、御子を産むことができましょう」


「エ……エルナス、ですか?」


 ミトゥーリアが、おびえたように言った。


「ですがエルナスは……遠いし、それに、そうなったら……いつ、青玉宮に戻れるか……だいたい、ゼルファナス卿、あなたは陛下のご命令を破って、エルナスに逃亡しようとしている。これは……」


「反逆では、ございません」


 ゼルファナスは言った。


「いま、陛下はセムロス伯やシャルマニア嬢といった悪い病に取り憑かれているようなもの……失礼ながら現在、陛下は正気を失っておられる。しかしながら、もしエルナスでミトゥーリア殿下が御子を出産されれば、きっと陛下ももとの明敏さを取り戻すはずです」


 長い長い沈黙の後、ミトゥーリアは言った。


「わかりました。では、参りましょう……従兄弟殿。あなたの統治する、エルナスへ」

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