14  極限

本心から死を覚悟した兵士ほど、戦場でたちの悪いものはない。

 なにしろ自らの死を怖がらないのだから、どんな無茶なことでも彼らは平気で行う。

 また、その異常な精神状態により、常識では考えられないような動きをとることもある。


「貴様……面白い! 死兵と化したか!」


 即座にリューンの変化を見破ったあたり、アルヴァドスも自らの体躯を頼みにするだけの男ではなく、立派な将軍であり、そして戦士だった。


「ならば侮りはせんぞ! リューンヴァイスとやら! 私が貴様を、死の女神ゼムナリアの死人の地獄にたたき込んでやる!」


 次の瞬間、ごうっという巨大な鉄塊が風を切る轟音とともに、アルヴァドスが正面からとてつもない斬撃を繰り出してきた。

 だが、いまのリューンにはかろうじてではあるが、その軌道が見切れる。

 切っ先の動きがわかる。

 再び激烈な金属音が鳴り、リューンの大剣はしっかりとアルヴァドスの巨大な剣を受け止めていた。

 しかしアルヴァドスはすぐに剣を戻すと休む間もなく次の一撃を繰り出してくる。


(この化け物が!)


 再度、金属同士が高速で激突する悲鳴のような甲高い音響があたりに鳴り響いた。

 とはいえこれはアルヴァドスという名の怪物が生み出す恐怖の始まりにすぎなかった。


「ぬおっ!」


 大の大人でも持ち上げることができるかどうか、というようなとてつもない巨大さを誇る剣が、さながら嵐のように次々と、しかも信じられないような高速でリューンめがけて立て続けに撃ちこまれた。

 そのたびに火花が散り、刀身と刀身が違いにかみ合う金属音が決闘場に鳴り響く。

 もはやそれはある種の音楽のような、凄惨ながらもどこか美しさすら帯びた音に聞こえた。

 事実、観覧席の貴族たちは、固唾を呑んで目の前で行われている死闘を見つめていた。

 いや、現実にどのような剣戟のやりとりが行われていたか理解できたのは、おそらくはこの場ではガイナス王とタキス伯アヴァールくらいのものだっただろう。

 並はずれた視力と実戦経験の持ち主でないと、あまりの速度にそもそも剣がどういうふうに動いているのかさえよくわからない。

 ある種の、それは鉄と鉄との激突する舞踏だった。

 アルヴァドスの豪腕が巨大な、巨大すぎる剣を振り下ろすが、相手のものからみれば細身の剣のように頼りなく見えるリューンの大剣は、しなやかにその一撃を一つ残らず受け止めていく。

 剛と柔とが激突し、互いに磁石で惹きつけられるように刀身同士がぶつかりあう。


「なんという……」


「なんなのだ、これは……」


 貴族たちは眼前で行われている戦いのあまりのすさまじさに、驚き、ほとんど恐怖していた。

 もはやこれは、常人の戦いの領域を遙かに凌駕している。

 剣術の力量がどうとかそういった段階も越えている。

 まるで二柱の闘神が地上に実体化し、互いに世界を破壊する戦いを繰り広げているかのような、ほとんど神話的とすらいえる眺めだった。

 しかし、それでも誰もが、勝負全体の趨勢については冷静な判断を下していた。

 一言で言えば、アルヴァドスが一方的に押している。

 さきほどから休むことなく、神速で打ち込みを続けるアルヴァドスに対し、リューンはあくまで防戦一方だ。


「あの傭兵……なかなかやるが……」


「やはり、アルヴァドス殿にはかなわぬか」


 いつしかリューンはじりじりと、決闘場の端である炎の壁のすぐ近くにまで追い込まれていた。

 確かにリューンは善戦はしている。

 しかしながら、決定的な攻めの決め手に欠ける。

 少なくとも、多くの貴族たちはそう見ていたはずだ。

 だが、ガイナス王にはなにか別の光景が見えているのか、さきほどからの笑みが次第に大きくなっていく。

 リューンはといえば、ほとんど心が空っぽになってアルヴァドスの攻撃を凌ぎ続けていた。

 いわゆる無心、というものだ。

 だがその無になった心のなかで、ある考えが揺曳している。

 もし、そのリューンのその心の声を聞くものがいるとすれば、この場に居合わせる者は驚愕することだろう。


(このままいけば……勝機はある)


 じりじりと、後退を余儀なくされ、背にはすぐそばに炎の壁が近づいているというのに、リューンは確かに勝機を見いだしている。

 やがて、さきほどからのアルヴァドスの動きに変化が生じてきたことに、観覧席の貴族たちも気づき始めていた。


「なにかこう……」


「斬撃の速度が……遅くなって……」


 ふいに、貴族たちはいま、自分たちの眼前でなにが起きているのかを理解した。


(ふん……やっぱりこうなったか……)


 いまだリューンの目と手は絶えることなく繰り出される、まるで土石流にも似た斬撃の連打を大剣を使って守り抜いている。

 すでに両手の筋肉はひきつり、骨にはおそらく微細のひびも入っていることだろう。

 いや、腕も肩の付け根ではずれてしまいそうなほどだ。一撃ものがさず攻撃を受け止めているというのに、アルヴァドスの恐るべき斬撃はそれだけの損傷をリューンの肉体にもたらしていたのだ。

 しかし、傷ついているのはリューンだけではなかった。

 否、それは厳密には傷というものではない。

 ある意味では、多少の傷よりも深刻な問題といえるだろう。

 アルヴァドスの攻撃は、もはや誰の目にも明らかなほどに、ゆっくりと速度を落としていたのである。

 これは、ある意味では当然といえば当然のことだった。

 だが、おそらく一番驚いていたのは、アルヴァドス当人だろう。

 アルヴァドスはいままでたいてい、ほとんど一撃にして相手を切断していた。

 何合か打ち合える剛の者もいないではなかったが、それでもアルヴァドスの巨大な剣の前では敵ではなかった。

 さらにいえば、リューンとは違い、アルヴァドスは貴族であり、つまりは軍勢を率いる将という立場である。

 これほど長い間、連続して攻撃を行った経験はないのだ。

 いままではもし乱戦になっても、勝負は一瞬してついたため、問題にはならなかった。

 また敵将の首を狙ってきた連中も、アルヴァドスの凄まじい戦いぶりに逃げだしてしまう者がほとんどだった。

 つまりアルヴァドスは長時間、敵と「戦い続けた経験がない」のだ。

 さらにいえば鎖帷子の重量と、春先にしては奇妙なほどに苛烈な陽光、そして周囲で焚かれる炎の壁からの熱とが、アルヴァドスから急激な速度で体力を奪っていた。

 なにしろ鎖帷子の下には、二重に重ねた縮充した羊毛を詰めているのだ。

 その蒸し暑さたるや、尋常なものではない。

 対してリューンは、防戦にまわっているぶん、筋肉の使用量は相手に比べれば少ない。

 さらにいえば軽い鎧をまとっているため、体力の消耗も少ない。

 より正確にいえば、リューンはこと持久力にかけてはアルヴァドスとはとうてい比べ者にならないものを持っている。

 なにしろふだんから戦場を駆け回り、嵐のように大剣を振り回すということをしているので、その体力はアルヴァドスよりも遙かに長持ちするのである。


(これは……いけるか!)


 絶叫とともにリューンが、ついにアルヴァドスめがけて大剣を振り下ろす。

 だが、リューンの長剣はアルヴァドスの巨大な剛剣にぶつかった瞬間、凄まじい音をたてて刀身の根本のあたりから、折れた。

 あまりにも激烈な猛攻を受け続けたため、ついに刀身の金属が負荷に耐えかねたのだ。

 四エフテ(約一・二メートル)ほどの刀身はくるくると回転すると、リューンから少し離れた決闘場の白い砂の上に、切っ先を下にして突き刺さった。

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