第二章  思惑

1  セヴァスティスの食卓

 分厚い鉛硝子の窓を通して、陽光が室内に射し込んでいる。

 室内は暗いが、窓から入り込む陽光がその淡い闇のなかに幾筋もの光条を描いていた。

 部屋をまうわずかな埃が、きらきらとまばゆく輝いて見える。

 広い豪華な内装で飾られた部屋の壁は、青を基調としたものだった。

 このアルヴェイア王国の王城、青玉宮は国家の色である青系統の色で内装も外観も統一されているのだ。

 いま、部屋の中央の長い、大きな卓には清潔な純白の亜麻布が敷かれ、その上には量はさほどでもないが贅をこらした料理が並べられていた。

 アルヴェイア王国の支配社会層の頂点にたつものたちの、ごく内輪でのささやかな昼食会だった。

 上座に座るのは、アルヴェイア王国国王シュタルティス二世である。

 黒い巻き毛がかった神と、どこか怯えたような瞳が印象的な若者だ。

 衣装こそ豪華なものをまとっており、それなりの品位は感じさせるが、正直にいって王たるにふさわしい威厳のようなものは感じられない。

 シュタルティスの傍らには、金色の髪に緑のドレスをまとった娘が控えていた。

 今年で齢、十六になるシャルマニア姫である。

 彼女はセムロス伯の息女であり、現在はシュタルティスの寵姫となっていた。

 実質的には、いまでは彼女がこの青玉宮の女性たちの頂点にいるといっていい。


「それにしても……陛下」


 そのシャルマニアが、どこか媚を含んだ笑みを浮かべて言った。


「陛下はもっとお食べにならないと、お体に障りますわ。陛下には、『未来の国王をつくる』という神聖なお役目があるのですから」


「あ、ああ」


 シュタルティスは弱々しくうなずいたが、目の前の料理にはほとんど手をつけてはいなかった。


「もう……そんなことでは」


 シャルマニアが、くすくすと笑う。


「さあ、陛下……お口を開けて」


 そう言うと、シャルマニアは国王の前に置かれた銀の皿から、牛肉の頬肉の冷製をナイフで切り取り、ショスと呼ばれる濃厚なソースをつけ、シュタルティスの口に入れさせた。

 そのまま、なんとも微妙な表情をしたシュタルティスが、料理を咀嚼する。

 あるいはなにも事情が知らぬ者が見れば若い恋人同士の微笑ましい情景と思ったかもしれないが、あいにくとこの青玉宮では王族や貴族のこうした行為一つ一つに、政治的な意味が込められることが多い。

 今回もその例に漏れなかった。


「いやはや……噂には伺っておりましたが、実に、実にうるわしい姿ですな。シュタルティス陛下も、シャルマニア嬢もまさに似合いのお二人と申すべきか」


 そう言って、一人の長身の男が、にいっと凄まじい笑みを浮かべた。

 金色の豊かな髪に、鮮やかな緑の瞳の持ち主である。

 ぬけるような白皙のうえ、男とも思えぬ大変な美貌が見る者の目を惹きつける。

 さらに緑の礼装をまとうその姿は、一見すると絵に描いた貴公子のように見える。

 だがなぜか彼は一種、悽愴な、まるで野生の飢えた獣のような、下品さと貪欲さが混じり合った独特の霊気を放っていた。

 食事の仕方も、どこか汚らしい。

 もともとこの時代、料理は手づかみにするのが当たり前とはいえ、ばりばりと音をたてて肉を引き裂き、肉汁をすするその姿は、とても高位の貴族の家の出の者とも思えない。

 なにか異様な、野生の獣の血でもひいているのではないかと思われるほどだ。

 彼こそはアルヴェイアの東の隣国、ネヴィオン王国の西方鎮撫将軍セヴァスティスだった。

 セヴァスティスはネヴィオン四公家の一つ、リュナクルス公家の出身である。

 彼の父はリュナクルス侯爵位の所有者だが、実質的には現在のネヴィオン王国の支配者はリュナクルス公といえた。

 ネヴィオン王国では、本来ならば王家を守護するための四つの公家が、互いに激烈な政争を長年にわたり続けていた。

 だが現在ではその権力は、リュナクルス公家に集中し始めているのだ。

 ネヴィオン王国の重要な役職は、ほとんどすべてがリュナクルス公家の縁続きの者か、その息のかかった者に湿られていた。

 現在の国王アーティウス三世はいまだ八歳の幼さであり、王国宰相を兼任するリュナクルス公こそが、ネヴィオンの政事をしきっているのだ。

 セヴァスティスはその、老齢のリュナクルス公の男子の一人だった。

 彼の姉は、実はこのアルヴェイアのセムロス伯家に嫁ぎ、シャルマニアという子を産んでいる。

 つまり、シャルマニアにとってはセヴァスティスは母方の叔父にあたるというわけだ。

 セムロス伯家はリュナクルス公家と縁続き、ということになる。

 むろん、この結婚も政略が裏に絡んでいた。


「これならば、アルヴェイアの未来は安泰ですな。私めが、ネヴィオンよりアルヴェイア王家を守るための義勇の兵を率いてきた甲斐があると申すもの」


 それを聞いた途端、シュタルティスが神経質な仕草で、銀杯に入れられた葡萄酒をぐっと飲み干した。

 事実、アルヴェイア王都メディルナスの郊外には、いまセヴァスティスの率いてきた二千五百もの兵が駐留している。

 それは一歩間違えればアルヴェイア王家にとって致命的ともなりうる兵力だった。

 なにしろ現在、王家はほとんどの兵を失っている。

 レクセリア姫がガイナス王に負けたヴォルテミス渓谷の戦いで、王家と王国に忠誠を誓う王国軍の兵卒はほとんどが殺されてしまったからだ。

 通常、この時代の戦では惨敗しても死者が三割を越えることはまずありえない。

 だが、ヴォルテミス渓谷の戦の場合、火炎王ガイナスは無惨にも投降して捕虜となったアルヴェイア王国軍の兵を皆殺しにしたのだった。

 ガイナスらしいといえばガイナスらしいが、まさに狂気の沙汰である。

 おかげで完全に、アルヴェイア王家は自らの軍事力を失ってしまった。

 となれば貴族諸侯の軍事力に頼るしかない。

 そのころ、宮廷ではセムロス伯が急激に権力を伸張させていた。

 セムロス伯家はその富裕さを誇示するように毎夜のように宮廷内で晩餐会を主催し、王国の官僚たちを歓待し、籠絡した。

 王国の官僚は、貴族の出身でも爵位を告げなかった諸侯の次男、三男などが多い。

 彼らを籠絡すれば、その親、もしくは兄である貴族諸侯にもセムロス伯の政治力を及ぼすことができる。

 つまり王国官僚を味方につけるということは、王国の地方行政官である貴族たちにも影響力を得られるということなのだ。

 そのため、昔から有力な貴族はこうした手段をとってきたが、現在のセムロス伯のようにここまで露骨に王家と王国に支配力を行使しようとした者はあまりいない。

 なにしろ権謀術数渦巻く複雑怪奇な政事が現在の三王国ではまかり通っている。

 あまりに表だってことを行えば、かえって敵をつくることにもなりかねないのだ。

 だが、相手があのセムロス伯ディーリンとなると、さしものアルヴェイアの諸侯も、迂闊なことは出来なかった。

 それだけの実力をセムロス伯家の当主は備えているのだ。

 その、セムロス伯ディーリンがシュタルティスにむかって言った。


「陛下の御身もネヴィオンよりの『義勇軍』の力があれば、安泰というものでしょう」


 それを聞いて、シュタルティスは弱々しく笑った。

 

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