2  温顔伯

 セムロス伯ディーリンは、一言で言えば異相の持ち主である。

 目や鼻や口や耳といった顔を形作る部品の一つ一つが、異様に大ぶりなのである。

 その大きな目玉に見据えられると、並みの心胆の者では耐えることも出来ない。

 とはいえ、ディーリンは自らの生み出す一種の「迫力」の力を知っているのか、普段は温厚な笑顔を浮かべていることが多かった。

 彼が「温顔伯」なる二つ名を持つ理由である。

 だが「セムロス伯が笑いをやめたときは恐ろしい」とアルヴェイアの上流階級の者であれば、誰もが知っている。

 いままでは比較的、動きのおとなしかったセムロス伯が、南部諸侯の乱、そしてヴォルテミス渓谷の戦いの後から急激に宮廷工作を行い始めていた。

 自らの娘、シャルマニアを若き王の愛人とさせ、さらには外戚であるネヴィオンのリュナクルス公家の力を借りて、異国の軍勢までもアルヴェイアに引き込んだ。

 それがなぜかといえば、むろん理由はある。


「しかし……あの、反逆者は盛んに檄を飛ばしているようで」


 ディーリンが、ふと微笑みを凍りつかせると巨眼で国王を睨みつけた。

 シュタルティスはといえば、まさに蛇ににらまれた蛙といった趣である。


「ら、らしいな。あの者は……エルナス公は、あろうことか、世を悪王、愚王と決めつけ、謀反を起こした。しかも……」


 シュタルティスはどこか芝居がかった仕草で、拳を卓に叩きつけた。


「あの者は死の女神ゼムナリアの信徒に通じ、さらには我が妹にして妻、ミトゥーリアを拉致した! なんという暴挙! あの者は、余のいまだ生まれてもおらぬ子こそ次代の王にせよと、たわけたことを申しておる!」


「まさに、たわけですな」


 セヴァスティスが、肉の脂でべとべとになった指をぺちゃぺちゃと音をたてて舐めると言った。


「かつてはエルナス公ゼルファナスといえば、アルヴェイア一の大貴族にして王左の臣として知られたものですが……まさに狼が羊の皮をかぶっていた、としか言いようがない」


「いや、その狼どもは一匹ではない」


 ディーリンが、分厚い唇の端をつり上げるようにして笑った。


「ウナス伯ユーナス……そしてナイアス候ラファル……さらにも地方で、幾つかの諸侯が、エルナス公支持を叫び、蜂起しております。いまだ数は少ないとはいえ、このままエルナス公を放置していれば、反逆者どもが増長し、その数は増えかねません」


「悪逆なる反逆者には……」


 可愛らしい顔をしていたシャルマニアの顔に、すっと冷酷な笑みを浮かべた。


「死の鉄槌を振り下ろすしかございません。ねえ……陛下?」


 そう言うと、シャルマニアが露骨に国王にむかって媚びたような笑みを浮かべた。


「そ、その通りだ。皆の申す通りだ!」


 アルヴェイア王国の若き国王は、再び卓を叩いた。

 だが、その音はいかにも弱々しく、そのまま彼の精神状態を表している。


「エルナス公は討たれねばならぬ! あの者はいまだ生まれざる余の子を王位に就けると主張しているが……こ、このようなたわけた申しようは、所詮はいいがかりにすぎぬ! ゼルファナスの真の目的は、おそらく……」


「アルヴェイア王位の、簒奪」


 ディーリンが、重々しい声で言った。


「エルナス公家は親王家……ゼルファナスには王位継承権はある。それを良いことに、あの卑劣漢は、自らが王位に就こうとしているとみてまず間違い在りませぬ」


 実際の所、それは全くの事実だった。


「しかしながらいまだ自ら王位を僭称せぬところが、またあ奴の小賢しいところで」


 ディーリンが凄みのある笑みを浮かべた。

 髪こそだいぶ薄くなってはいるものの、五十代のわりにはその大柄な体には恐ろしいほどの精力が満ちている。


「ミトゥーリア妃を誘拐し、その御子に王位をなどと……まったく、忌むべきゼムナリア信者の考えることは正気ではない」


 死の女神ゼムナリアこそは、三王国の守護神である太陽神ソラリスの敵対者にして、おそるべき邪神である。

 彼女はその信徒に、自殺、他殺を問わずあらゆる形の死を推奨する。

 遙か古代からゼムナリア信仰はセルナーダ全土で禁じられているが、それでも地下でその信仰は受け継がれているらしい。

 そもそもディーリンは、エルナス公ゼルファナスを、ゼムナリア信者として告訴している。

 その裁判が終わる前にゼルファナスはミトゥーリアとその腹の中の子を連れて、青玉宮と王都メディルナスより脱走したのだった。

 どう見ても大義はこちら側にあると、ディーリンは主張している。

 しかしながら、地方の貴族諸侯の目は、必ずしもそうではない。

 あるいはディーリンの策謀により、エルナス公ははめられたのではないかと考える者も決して少なくはないのだ。

 とはいえ貴族諸侯は本物の「大義」や「正義」のためには決して動かない。

 彼らはあくまで自らの利益のために、そして一族の繁栄のために、動く。大義や正義など、そのための方便だ。

 言うなればいま、アルヴェイアは大きく二つの勢力に割れている。

 つまりはセムロス伯家と王家を中心とした「セムロス派」と、エルナス公を筆頭とする「エルナス派」の二つに。

 現状では、やはり国王と王都、さらにはほとんど機能していないとはいえ王国の官僚機構を掌握しているセムロス派が圧倒的に有利である。

 だが、エルナス公家は独自の軍事力を持ち、正面から激突すれば戦の展開によってはどうなるかわからない。

 そこでディーリンが用意した新たな手札が、セヴァスティス率いる二千五百の「ネヴィオン義勇兵」というわけだった。

 とはいえこれは、一歩間違えればきわめて危険な手札になりかねないと、実とのころ、国王シュタルティス二世は誰よりも深く理解していた。

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