6  青い空のもとで

 アシャスのように素直にうかれはしゃぐ者もいたが、百人にまで減ったリューン軍の仲間たちは、みなリューンと同様、自分が見ている光景が信じられないようだった。

 意外と現実はこんなものなのだ、とリューンは妙に醒めた目で考えていた。

 ずっと夢見ていたことが現実になるとき、人は歓喜を爆発させたりはしない。むしろそれが本当に起きているのか疑い、納得したあとも……一種の、放心状態に陥る。


「ははは……なんていうか……あっけねえなあ」


 それは、リューンのまったくの本音だった。

 あれほど広い空を、木に覆われていない青い空を待ち望んでいたというのに。

 現実に、青空の下に出てみると、やはり幻ではないかという思いが強まってくる。

 しばらくの間、アスヴィンの森から出たリューン軍は、岩場に寝ころんだり、あるいははしゃいだり、また馬鹿みたいにぼうっと空を見上げたりしていた。

 なにしろかなりの間、あの森のなかにいたのだ。突然、こうして開けた空の下にいると、かえっておちつかなげな者すらいた。


「しかし……よく、あの森を突破できたものですね」


 岩場に寝転がり、青い雲を流れゆく雲を見つめていたリューンにむかって、レクセリアが言った。

 青と銀の瞳という、リューンと同じ「嵐の王」の瞳の持ち主である。

 途中でばっさり切った長い髪はもつれており、肌のあちこちにもかすり傷や泥の汚れがついている。過酷な旅とせいか、顔も幾分、痩せこけてみえたが、それでもまるで絵画のように美しい、凛然たる気品を失っていないのはさすがといえた。


「まったく……お前が妙な思いつくから、大変なことになっちまった」


 そう言って、リューンはぐっとレクセリアの背中に手を回していた。

 すでに二人は「夫婦」なのである。

 単なる形式上のものではなく、より深い意味で、二人の絆は結ばれているのだ。そのきっかけとなったのがアスヴィンの森での忌まわしい出来事なのだから、運命の皮肉としか言いようがない。


「いまはまだ、無邪気にみな喜んでいるようですが……これから、面倒なことになりますね」


「だろうな」


 リューンは軽く舌打ちをした。

 かつての彼ならあるいは、仲間たちとともにはしゃいでいたかもしれない。だが、アスヴィンでの経験は、彼をすでに一人の「王」と変えていた。

 実質的になんの領土も持たない王国の王など、滑稽としかいいようがない。それはリューン自身、理解している。

 だが、それでも彼は王なのだった。

 王であるからには、彼の「民」であるリューン軍の処遇も、考えておかねばならない。


「もう少し、人狼の民たちが、外の世界のことを知っていればよかったのですが……」


 昨夜、人狼の民にむかって、現在のアルヴェイア王国の政情がどうなっているか問いただしてみたが、得られた情報はごくわずかなものだった。

 とりあえず、すでに大規模な内戦という段階に突入しつつあることは、どうやら間違いないらしい。また、すでにどこかの城塞都市に対する攻城戦や虐殺が行われたという話だが、具体的な地名まではわからなかった。

 内戦は国王派とエルナス公派の間で、行われているようだ。エルナス公はどうやら、実力で王位を狙っている、ということらしい。

 まさにアルヴェイア全土が戦乱の嵐に包まれるただなかに、リューンとレクセリアは戻ってきたことになる。


「まったく……これから、どうすりゃいいんだか……こういうのは、お前のほうが、なんていうか、その、得意だろう?」


 レクセリアは仮にもアルヴェイア国王の王妹なのである。当然、貴族諸侯たちの情勢についても詳しいはずだ。


「とりあえず……エルナス公側には、つくべきではありません」


 レクセリアの顔が、嫌悪に歪んだ。


「エルナスの殿様か……まあ、確かに、あの殿様はな……」


 リューンが額にしわを刻んだ。

 かつて、リューンは傭兵団である雷鳴団を丸ごと、エルナス公の常備軍にした経験がある。エルナス公の旗の下でガイナス王とヴォルテミス渓谷で戦ったが、あのときエルナス公ゼルファナスは、レクセリアの力をそぐためかあえて積極的には交戦してこなかった。

 以来、リューンの中ではゼルファナスという人物に対する不審の念がある。

 さらにいえば、リューンはガイナスに捕虜とされたレクセリアを助け出すために、エルナス公軍から抜けだした。これは、言うなれば脱走である。もしエルナス公のもとにいけば、脱走兵として死罪に処されてもおかしくはないのだ。


「かといって……兄に……シュタルティスの軍勢につくのも」


 レクセリアは吐息をついた。

 リューンも、現アルヴェイア国王シュタルティス二世は、はっきりと嫌っている。国王の身でありながらろくな政事も行わず、戦場に出ることすら恐れているという。

 そもそも、レクセリアとリューンが出会うこととなったフィーオン野の戦いも、本来であれば当時の王太子だったシュタルティスが軍勢を率いるべきだったのだ。もっともそうなれば二人の運命が結び合わされることもなく、まったく別の未来が開けていただろうが。

 いずれにせよ、リューンもレクセリアも、エルナス公側にも、国王側にもつきたくはない。

 ふいに、リューンは苦笑した。


「でも……考えてみりゃ、どっちにつくとかつかないとか、そんな話をしている場合じゃあねえな。こっちは、なにしろたった百人しか手持ちの兵隊はいないんだ」


「確かに。なにしろアスヴィンで鍛えられただけに、一人一人が精鋭ではありますが」


 事実、あのアスヴィン越えに耐えたものは、心身ともに極限状態を味わっている。しかも彼らが戦ってきたのは武装した人間などより遙かに恐ろしい力を持つ魔獣の群れなのだ。

 リューンは人間と戦うよりも、魔獣というけだものと戦うほうが、遙かに恐怖心が大きくなると経験で知っている。そして戦場とは、戦闘行為の技量が問われるのはむろんだが、むしろ恐怖との戦いの場でもあるのだ。


「精兵ではあるが……百人だ。それなのに、俺たちの立場はおそろしくややこしいときている。さて、これからどうなるか……」


 そのときだった。

 地平線の果てから、どうやら武装しているらしい人々の集団が、こちらに近寄ってくるのが見えた。

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