5  歴史が動く  

「そん……な……」


 信じがたいことに、まだアルヴァドスは生きていた。

 おそらく、彼にはなにが起きたか理解できていないだろう。

 刀身の破砕されたほうの先端が、いまアルヴァドスの後頭部を貫いている。

 もし切っ先のほうが先端であれば、さらに深く刀身はアルヴァドスの頭のなかへとつっこんでいたかもしれない。

 だが、すでに勝負はついている。

 勝った。

 自分でも信じられないが、勝ったのだ。


「勝ったぞ……」


 リューンは、自らにむかって確認するようにつぶやいた。


「俺が勝った……俺は……」


「馬鹿……な……」


 アルヴァドスの巨体がびくびくっとけいれんすると、彼は最後の言葉を残した。


「傭兵が……王になるというのか……」


 それきり、ゼヒューイナス候は身じろぎもしなくなった。

 血臭と汗の臭いが鼻腔をくすぐっている。

 勝利の味が口の中に広がる。


「おい……勝っちまったよ……俺……」


 なかなか事実が、現実認識となってやってこない。

 理屈では自分が勝利したと理解していても、実感がわかない。

 だが、それは決してリューンだけではないようだった。

 グラワリア貴族たちの並んだ観覧席は、不気味なほどに静まりかえっている。

 さらには決闘場の周囲を囲む無数の兵士たちも、唖然と口を開いたまま微動だにしなかった。

 誰もが、この歴史的な瞬間を、信じられない思いで見つめていた。

 それは、このネルサティア人がセルナーダの地に来航して以来、数百年にわたり「黄金の血」すなわち太陽神ソラリスの血をひくとされる王たちの時代の、終焉を意味していたのだ。


「嵐の王……」


 貴族の誰かが、叫んだ。


「あの者は……嵐の王だ! 見よ、あの不吉な青と銀の瞳を! あれこそは嵐の王の証ではないか! 知っているぞ! 聞いたことがあるぞ! ウォーザの目を持つものがいずれ嵐の王となり、セルナーダの地に恐るべき波乱をもたらすという予言を……」


「おおっ!」


 そのときだった。

 西の空から急速に広がり始めた黒雲が、太陽を覆い隠し始めたのは。

 それが単なる自然現象なのか、あるいは嵐の王、古代セルナーダの王なる神にして天空神だった神ウォーザの祝福なのかは、誰にもわからない。

 だが、雷雲によって太陽が覆われていくというその光景は、グラワリアの貴族諸侯の精神に激甚な衝撃を与えていた。


「太陽が……太陽が、隠れていく……」


「これは……太陽の王たちの時代が……終わりということなのか……」


 人々は、なかば恐慌に駆られつつあった。

 一介の傭兵が、王になる。

 みな貴族たちはどこかでたかをくくっていた。

 いくらなんでもあのアルヴァドスにリューンが勝てるとは、みな思っていなかったのだ。

 所詮は座興と思っていた。

 だが、あろうことか、賎しい傭兵風情が勝負に勝ってしまったのである。

 グラワリア貴族たちは、足下がゆらぐかのような感覚を覚えていた。

 彼らのその感覚は、決して幻覚ではない。

 ある意味ではこの瞬間から、三王国期という時代が終わりを迎え始めたのだから。

 これからはいままでの諸侯の権威、王の権威など飾りにしかならない、あるいは飾りにすらならない時代がくる。

 むろん、数百年にわたり続いてきた秩序が突然、崩れ去るわけではないが、その最初の瓦解はこのリューンの勝利により始まるのだと、誰もが本能的に理解していたのだ。


「おいおい……」


 リューンは、げらげらと派手な笑い声をあげた。


「はははははは! おいおい、勝ったぞ! 貴族の皆様よ! 俺は確かに決闘にかっちまったぞ! あのデカブツを殺してやったぞ! 俺は……」


 リューンはその、妖しい輝きを帯びた青と灰色の瞳をぎらりと輝かせた。


「俺は……次代の、グラワリア王だ!」


 途端に、ざわめき、あるいは悲鳴に近い声が諸侯たちの間から漏れた。


「馬鹿な!」


「そんなことを我らは認めぬ! こっこのようなことが……!」


 すると、ガイナスがすっくと立ち上がった。


「余、ガイナスは傭兵隊長リューンに、王位を譲る」


 いつしかその手には、彼が戦場で愛用していた大剣が握られていた。


「余の決定に、異存のある者はおるか!」


 そのとき、リューンは奇妙なことに気づいた。

 いつのまにか、観覧席にいた貴族たちのうちの何人かが姿を消していたのだ。

 例のタキス伯アヴァールがいない。

 それと、策謀で知られるというダルフェイン伯ボルルスも。

 さらに何人もの、リューンが名前も知らないがおそらくは大貴族であろう者たちがいなくなっている。


(まずいな)


 ほとんど直感で、リューンは理解した。

 なにかひどく面倒なことが迫ってきている。

 そしてガイナス王はおそらく、そのことを知っている。


「さあ……レクセリア姫」


 ガイナスは、隣に座っていたレクセリア王女の手に、いままで指にはめていた指輪を渡した。

 ひどく大きな、四角い黄金の塊のようにものがくっついた奇妙な指輪だ。

 いや、あれはただの指輪ではない。


(あれが……あれが、グラワリア王国の玉璽って奴か!)


 さまざまな重要書類に、この玉璽は押されるという。

 これは単なる黄金の印章ではなく、それ自体、魔術を帯びた魔呪物である。

 玉璽を押された書類は、その書類を手にしたものに「これが王によって押されたものである」と瞬間的に理解される力を持つという。

 逆に言えばいくら王命を下して書類を出しても、玉璽が押されていない場合、それは正式な王の書類とはならないということだ。

 それほどまでに重要な玉璽は、言うなれば王たる者の証である。

 その玉璽がいま、レクセリアに渡された。


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