6 ウォーザの奇蹟
「貴女の花婿のもとに向かうがいい……レクセリア殿下!」
それを聞いて、レクセリアがひどくうつろな顔をして立ち上がった。
まるで亡霊でも見ているかのような、奇妙な気分だ。
そばにはおつきの侍女……いや、宦官らしい水魔術師の姿もあった。
その宦官に手をひかれ、レクセリアが闘技場に降りてくる。
(なんだこれは……一体、なにが……)
理解しろ、この状況を。
そうだ、思いだした。
この勝負に勝ったものはグラワリア王位を得るのと同時に、レクセリア姫を妻として娶ることが出来るのだった。
アルヴェイア王女……いや、いまはもう王妹だ……を、嫁にする。
これはなんという喜劇だ?
(俺はただの傭兵……雷鳴団の団長……だったはずだ……)
だが、いまのリューンはもはや、ただの傭兵ではない。
(俺が……次代のグラワリア王……)
興奮と緊張とに全身が震えてくる。
(おいおい、俺の守り神のウォーザ様よ……俺は『本当に王になる』のか? おふくろ、あんたの予言は正しかったのか? 俺は本当に……本当に……)
その刹那、リューンは己の定めを悟った。
気にくわないが、やはりこれは最初から宿命の女神ファルミーナの持つ「運命の書」に書かれていた事柄なのかもしれない。
だから、俺の妻となる女も……俺と同じ、ウォーザの目を持っているのだ!
レクセリアが、青と灰色の色の異なる双眸を持つ美しい娘が、玉璽をもって、青いドレスを風にたなびかせて近づいてくる。
その瞬間、ごろごろと石臼をひくような音が頭上で鳴り始めた。
続いて、凄まじい破裂音とともに、世界が白と黒とに染め分けられた。
「!」
あるいは、それは嵐の神ウォーザの手荒い祝福だったのかもしれない。
決闘場の端にあったモミの大樹が稲妻をうけてまっぷたつに裂け、少しずつ白い煙をあげて赤い炎で身を飾りつつあった。
「ウォーザの……嵐の神の……嵐の神の選んだ王が……」
兵士の一人が、まるでなにかに憑かれたかのように言った。
「あれが嵐の王……」
「伝説が……まさか、本当に……」
「いや、レクセリア姫の目を見ろ……あれはただの人間の男と、女ではない! 嵐の王と……嵐の女王!」
兵士たちは眼前の光景を、歴史をも越えた一種の神話的光景として理解していた。
かつての王権は、太陽神ソラリスにより与えられたものだった。
だが、いま本来はソラリスよりも古くよりこの地の主神であった神が、新たな力を取り戻そうとしている。
その使者こそが、リューンヴァイスなのだと兵士たちはみな理解していた。
「俺は……」
やはりまるで憑き物にでも憑かれているかのように、レクセリアがリューンのもとに辿り着いた。
いつのまにか、決闘場のまわりを囲っていた炎の壁も消え失せている。
それなのに、奇妙に油と煙のような匂いがするのはなぜだろう。
さきほどの落雷でモミの木が燃え上がったからか。
あるいは……。
「リューンヴァイス」
レクセリアが、古代セルナーダの神々を信仰していたという古代の巫女のような、神懸かりの状態で言った。
「汝を……嵐の王として認める」
そう言うと、レクセリアはリューンの指に、玉璽の指輪をはめさせた。
その光景は、ほとんど神々しくさえあった。
そして同時に血なまぐさく、荒々しい嵐を予感させるものだった。
(これは、とんでもないことになった……)
誰もが、この光景を見てそう考えていたはずだ。
事実、あってはならぬはずのことが、起きてしまった。
「俺は……」
リューンヴァイスは、ほとんど本能的に、アルヴァドスの死体のそばに転がっていた巨大な剣、巨人殺しの柄を握ると、天上にむかって掲げた。
「俺は……王だ! この俺こそが……嵐の王だ!」
その刹那、天が輝いたかと思うと、凄まじい轟音とともに一条の稲妻がリューンの体に降り注いだ。
「!」
誰もが、悲鳴をあげた。なかにはすでに、逃げ始めている者さえいる。
あまりにも強烈な電撃をうければそのままリューンは死ぬはずだ。
にもかかわらず、雷を浴びたリューンは、生きていた。
それどころか、彼の体内を駆けめぐった嵐の神の荒々しい力は、彼の左肩にあった傷をもふさいでいたのである。
それは神々がごくごく稀に、僧侶などの力を介さずに、「直接、介入する」現象……いわゆる「奇蹟」と呼ばれるものだった。
「奇蹟だ……」
誰かがつぶやいた。
「稲妻を浴びたのにあの男は生きている……それどころか、以前よりも、強く、力を取り戻しているように見える……」
神々は、セルナーダの地にあっては単なる信仰の対象ではない。
実在し、ときおり地上に介入する存在なのだ。
つまり、いま眼前で起きた現象は、リューンという男を嵐の王としてウォーザ神が承認した……そのようにしか思えなかった。
「ウォーザの……奇蹟……」
「嵐の王が……」
リューンが、金色の蓬髪をふいに吹き始めた強風になびかせながら叫んだ。
「そうだ……ウォーザ神が俺を選んだ! ウォーザ神が俺を王として承認した! 俺は嵐の王だ……俺こそが旧い時代を打ち壊し、新しい嵐と暴力と破壊の時代をもたらす王だ! 俺の名は、嵐の王リューン! いや……嵐王リューンヴァイスだ!」
「嵐王リューンヴァイス!」
「嵐の王リューン!」
誰もが眼前の奇蹟に戦慄し、恐れ、あるいは感動のあまり泣き出していた。
むきだしになった神々の力が直接、地上に顕現して奇蹟としてもたらされることは滅多にない。
「それでいい……それでいいのだ」
ガイナスが大剣を手にして、にいっと笑った。
「余は嵐王リューンヴァイスを次代のグラワリア王として承認する!」
そのときだった。
貴族たちの悲鳴とともに、観覧席の下から猛烈な煙とともに、火の手が上がり始めたのは。
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