7 炎の葬送
凄まじいまでの混乱が、紅蓮宮に広がりつつあった。
観覧席の貴族たちは、段から降りようと必死になっている。
だが、そんな彼らのもとへと、何人ものランサールの槍乙女たちが駆け寄ってきた。
「おおっ助けてくれ! 私は……」
救いの女神を見いだしたような一人の貴族の胸に、ランサールの槍乙女は無慈悲に槍を突き刺した。
「なっ……」
「どういうことだ?」
「陛下! ガイナス陛下……一体、これはどういう……」
その瞬間、ガイナスが呵々大笑した。
「愚か者どもが……まだ気づかぬのか! 余が貴様らを試していたことを!」
貴族たちはあたりを見渡し、何人かの「知人たち」がいなくなっていることをようやく認識したようだった。
「あの試合に見入っている間に……余は、これより後、生き残るべき者と、それにふさわしくない者の選択を終えたのだ!」
「意味が! 意味がわかりませぬ! 陛下は乱心なされたか!」
そう絶叫した諸侯の一人を、ガイナスは大剣で跳ねとばした。
驚愕の表情を浮かべたままのグラワリア貴族の首が宙を飛び、観覧席の下へと転がっていく。
しばし遅れて、胴体からすさまじい量の血が噴き出した。
「馬鹿者ども! 貴様らは試合に見とれ……自らの命を守るということすら忘れていた! 見よ! アヴァールやボルルスといった連中は、しっかりこの状況でも自らに危険が近づいていることを理解していた! 余が観覧席に油を撒かせ、火をつける支度をしていることに奴らは気づいていたのだ!」
諸侯の一人が絶叫した。
「陛下! やはり乱心なされたか! ホスに憑かれなさったか! 自ら火をつけるとは……」
その光景を、リューンはじっと目にしていた。
指には、玉璽の指輪がはめられている。
(なるほど、ガイナス王は……いや、『ガイナス』は、てめえにふさわしい最後を選んだってわけか……)
リューンには、ガイナスの気持ちがわかるような気がした。
むろん原因は、ガイナスが酒色にふけりすぎたことにある。
言うなれば自業自得で、ガイナスは自らの命を縮めた。
だが、もはやあの体では戦場に出ることも無理だろう。
本当は戦のなかでガイナスは死にたかったのかもしれない。
しかしすでに病魔はガイナスにそれを許さなかった。
火炎王ガイナス。
彼は自らグラワリアを滅亡に導いた暗愚な王として、歴史に名を残すつもりなのだ。
(そこまで……そこまでやるのか)
貴族たちを次々に大剣で殺していく、狂乱したようなガイナスの姿に、リューンはなぜか哀れみに近いものを覚えた。
王位。
それは、ずっしりとガイナスの肩にかかっていた。
彼がどのような幼少期を過ごしたかはわからないが、おそらくあまり幸福ではなかったのだろうと想像はついた。
ガイナスは血統による王位継承を拒絶した。
あるいは彼は三王国の一つを治める王として、王家の一員として、血脈というものが一種の呪縛であるとわかっていたのだろう。
さらにガイナスは、自らの弟であるスィーラヴァスも拒絶した。
それゆえにグラワリア内戦は勃発した。
もしガイナスが弟とうまくやっていれば、あるいは戦も起きなかったかもしれない。
(ガイナス……要するに、あんたは、不幸だったってわけか)
それが、王になるということの意味なのか。
ある意味では、ガイナスは愚王のなかの愚王と言っていいだろう。
いたずらに戦いを行い、民を蹂躙し、街に火を放つような真似をした。
また自らのなかで暴れる獣の衝動に従うかのように、無益な戦を繰り返した。
戦のための戦。
なんの意味もない戦。
一応は、ガイナスが起こしたあらゆる戦にはそれなりの理由がつけられる。
だがガイナスという男にとって、戦の大義名分などどうでもよかったのだろう。
ある意味では、ガイナスは子供だ。
あまりにも巨大な力を持ちすぎた子供だ。
そしてガイナスは、自らに流れる王家の血、黄金の血をおそらくは憎悪していた。
彼を王として祭り上げる貴族たちを内心、嘲弄していたのかもしれない。
「強き者こそが、王としてふさわしいのだ! そして強いということは……死から逃れる力のことだ!」
燃え上がるような赤い髪をなびかせて、ガイナスが吠えた。
「貴様らは……貴族という立場に慣れすぎて、自らの危機を感知する力さえ衰えさせてしまった。だから、余の仕掛けた罠にも気づかず……まるで見せ物のように試合を楽しんでいた! それこそが、貴様らの驕りなのだ!」
ガイナスの笑い声が、なぜか悲鳴のようにもリューンには思えた。
「だから余は……貴族諸侯として残るべきものをこうして『選択』したのだ! 生き残ったものたちはただちに自領に戻り、周囲の領地を切り取り始めるだろう! 貴様らのような愚かな主を失った者たちをな!」
狂っている。
あるいは、人はガイナスのことをそのように判断するかもしれない。
だが、リューンにはガイナスの行為は必然のようにも思えた。
ガイナスにとって支配者たる者、強くなくてはならない。
彼自身が言ったように、死から逃れる力こそが強さなのだ。
つまりガイナスは、酒に溺れて病魔に冒された自らの「弱さ」を理解していたのだろう。
弱者は強者に踏みつぶされるべきだ。
おそらくガイナスはそう考えていたに違いない。
さらにいえば、恐るべきことに自らが弱者となった時点で、ガイナスは王位を放棄し、一種の自殺を選んだ。
観覧席はまるでガイナスを送る葬送の炎のように激しく燃え上がり始めていた。
「余は所詮、弱かった! その弱さは、王家の弱さ! 見よ、新たなる王リューンヴァイス! 弱き者は、このように愚かしく死んでいくのだ!」
炎に包まれながら絶叫するその姿は、まさに火炎王にふさわしい最後かもしれない。
ガイナスは愚かな王だった。
戦だけしか能のない愚者だった。それに気づいた彼は、血統による王統の維持を否定した。
求めるのは強さ。
ゆえに、自らが弱者であると気づいた時点でガイナスは心のなかで王位を放棄していたのだ。
何人もの貴族たちの屍を踏みつけ、大剣を彼らの血でべっとりと赤く汚し、盛大に燃える観覧席のなかでガイナスは笑い続けていた。
「愉快だ……実に愉快だ! だが、リューンヴァイス! 余は確かに王位を貴様に譲ったが、それは『自らの力で維持しなければならぬもの』だぞ! これからスィーラヴァスが、あるいはアヴァールやボルルスといったものが正当なグラワリア王を名乗るかもしれぬ! そして奴らは……リューン、決して貴様を許さぬ! 奴らは貴様を王位僭称者と呼ぶだろう! 嵐王ではなく僭称王と呼ぶだろう! 言うなれば、貴様は全グラワリアを敵に回したようなものだ!」
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