5  対面 

 すでにガイナス王の本陣には巨大な天幕が設営されていた。

 王族の所在をしめす黄金旗とグラワリアの旗である赤地に黒い薔薇の旗とが天幕の上で揺れている。

 周囲の警戒は、当然のことながら厳重なものだった。

 赤い軍装に身を包んだグラワリア兵が、何人も天幕の周囲を哨戒している。

 おそらくは近衛兵なのか、金属製の鎧に身につけた者も珍しくなかった。


「陛下のご命令で、レクセリア殿下をお連れしました」


 メルセナが、近衛兵らしい騎士にむかってそういうと、騎士が納得したようにうなずいた。


「ガイナス陛下は、天幕のなかでお待ちしております。陛下はただちにレクセリア殿下にお会いになりたいとの仰せです」


 レクセリアとともに、ヴィオスが天幕に入ろうとすると、入り口の左右にいた騎士が素早く槍を交差させてなかへの侵入を防ぐようにした。


「ヴィオスは、私の供回りのものです」


 レクセリアはそう言ったが、騎士は冷静な口調で答えた。


「この天幕のなかにはレクセリア殿下以外の者はお入れすることは出来ません。ガイナス陛下は、レクセリア殿下との一対一の対面をご所望です」


 それを聞いて、レクセリアは緊張に唾を飲み込んだ。

 これからガイナスと、一人で会うことになる。

 なにしろ相手は敵国の王であり、こちらはといえば敗軍の将である。

 むろん、ガイナスもたとえば蛮族の長などではない、文明国たる三王国の王である。

 無体な真似はしないだろう。

 それでもやはり、恐ろしい。

 あれだけの戦をする男と、これからじかに対面することになるのだ。


「殿下……くれぐれも、その……」


 ヴィオスが青ざめた顔で言うのを聞いて、レクセリアはなんとか笑いをつくると言った。


「安心なさい、ヴィオス。相手は一国の王です。蛮族ではないのですよ。礼節ぐらいはわきまえておりましょう」


 そのままレクセリアは天幕の戸口をくぐった。

 天幕のなかは、ひどく薄暗い。

 だが、天幕の中央のあたりで小さな炎が揺れていた。

 どうやら、蝋燭かなにかの灯明が卓上に置かれているらしい。

 卓の上には酒瓶らしいものや酒杯が並べられていた。

 その向こうに、一人の男が座っている。


「レクセリア殿下……なにをしておられる」


 男の声に、レクセリアは背筋がぞくりとするのを感じていた。

 まさに何百万もの民を治めるにふさわしい、それは王者の声だったのである。

 覇気にあふれ、人に命令するのに慣れた声。

 当然のように臣下と民を従える、王者にふさわしい声。


「わざわざ葡萄酒を支度させたのだ。すでに貴女は我らに降伏した身。戦はとうに終わっている。となれば、戦の話でもしながら、ともに一献、どうだ?」


 レクセリアは相手に気を呑まれぬよう、なんとか声を振り絞って言った。


「陛下の仰せとあれば……いまの私は、陛下の虜囚の身ですから」


「ふん」


 男が、面白そうに笑った。

 その顔が、蝋燭の炎でぼんやりと照らされる。

 顔の部品一つ一つがおおづくりだが、全体の造作は悪くない。

 それなりの美男といっても良いだろう。

 年の頃は、二十代半ばすぎ、といったところか。

 豊かな巻き毛がかった赤い髪が逆立っているさまは、なるほど、まるで燃え上がる炎を思わせる。

 炯々たる光を放つ青い瞳は、高温の炎のようだ。

 ただそこに座っているだけで、圧倒的な覇気と王者の霊気、そして強烈きわまりない熱気のようなものを感じさせる男である。


「ふむ……美しいな」


 ガイナスは、にやりと笑った。


「アルヴェイアの姫は美人揃いとは聞いていたが、レクセリア殿下もなかなかのものだ」


 レクセリアはしばらくなんと答えて良いかわからなかったが、やがて言った。


「ガイナス陛下ともあろうおかたが、私ごときに目を奪われるとは思えませぬ。陛下であれば、私などより遙かに美しい美姫を幾人も目にしておりましょう」


「ああ、美しいだけの女なら、いくらでも見てきた」


 ガイナスは笑った。


「だがな、美しいうえに一軍を率いる女、というのは初めてだ。俺はグラワリアの王、そして貴女はアルヴェイアの王女……どうだ、いっそ夫婦にでもなるか? そうなれば両国の友好の役にもたつぞ」


「陛下……お戯れを」


 ガイナスが、手酌で瓶から二つの銀の杯に葡萄酒を注いだ。


「なに、あながち冗談でもなかったのだがな。まあ、そういう話はこれからいくらでもできる。それよりレクセリア殿下、ともに呑もうぞ。俺は今度の戦で貴女に聞きたいことがいくつもあるのだ」


 ふとガイナスの顔に、ひとなつっこい笑みが浮かんだ。

 火炎王として恐れられる男、というよりはどこか少年のような部分を残した人物に見える。

 人間として魅力的ではない、といえば嘘になる。

 少なくともガイナスには性別を問わずに人の心をひきつけるなにかが確かにある。

 レクセリアは卓のほうにむかって歩いていくと、傍らに置かれた椅子に腰掛けた。

 卓を挟んで、ちょうど正面からガイナスと対面する格好になる。


「では、乾杯といくか」


 ガイナスは杯を片手に言った。

 一体、この男がなにを考えてこんな真似をしているのかはわからない。

 とはいえ、レクセリアは虜囚の身である。

 なにをされても、抵抗できる立場にはないのだ。

 とりあえず、むこうにあわせるしかない。


「では……乾杯」


 二人は銀の杯を打ち合わせると、葡萄酒に口をつけた。

 ガイナスからすれば、これは戦勝祝いとでもなるのだろうか。

 いっぽうのレクセリアからすれば、敗戦の将として屈辱的な立場のはずなのだが、不思議とそういった思いはわいてこない。

 少なくとも、ガイナスが自分を侮辱するためにわざわざ乾杯をしたとは思えなかったのだ。

 この男は、単純に嬉しいのだろう。

 戦に勝ったという事実が。

 戦好きなのだな、とふいにレクセリアはガイナスの本質に触れた気がした。

 要するに、ガイナス王は戦そのものが愉しいのだ。

 だから、敗軍の将と乾杯し、さきほどまで戦っていた戦について語り合うなどという芸当が平気でできる。

 これはガイナス流の外交術や人心掌握術でも、またレクセリアを侮辱するためのものでもない。

 ガイナスは遊び好きの子供のように、戦が愉しくて仕方ないのだ。

 彼にとっては、こうして戦が終わったあとに降伏した敵将と酒を酌み交わすこともごく当たり前のことなのだろう。


「さて……なにから聞いたものかな」


 ガイナスは葡萄酒をあおると、言った。


「とりあえずは、やはりあのクーファー教団の火炎法力を打ち破った、爆発について聞こうか……いったい、どんなまじないを使ったのだ?」


 それを聞いて、レクセリアは淡々と事実を語った。

 たまたま露出した石炭の鉱床のあたりを通り、エルキア伯ヴァクスから坑道での炭塵爆発について聞いたこと。

 そしてそれを再現するためにヴォルテミス渓谷を戦場に選び、大量の石炭の粉をばらまいたこと。


「なるほど……それが、こんな狭い谷をわざわざ戦場に選んだ理由、というわけか」


 ガイナスはようやく納得がいった、といったふうにうなずいた。


「しかし……この谷は死地だ。ましてやこちらにはスィーラヴァス軍という友軍もいる。挟撃をうけることくらい、予想は出来ていたはずだが」


「こちらにも、ゼルファナス軍という友軍がいました。挟撃となれば、こちらだけではなくお互いさまだと思ったのです。ですが……考えが甘かったようです」


 ガイナスが微笑した。


「貴女は戦の経験が少ない。もう少し場数を踏めば、名将になれるだろうがな。少なくともクーファー教徒どもの火炎法力を無力化したあの策だけでも、並の人間ではとうてい、真似はできぬ。いや……」


 グラワリアの火炎王は、真剣な表情で言った。


「もし爆発の規模がより甚大であれば、戦に勝っていたのはそちらかもしれん。俺は幸運にも助けられた」


「ですが、私の見通しが甘かったのも事実です」


 その科白に、ガイナスはうなずいた。


「それは確かだな。戦は賭場とは違う。賭けに頼る将は優れた将にはなれん。策が破れればその次の策を、さらにその次くらいまで用意できねば策に頼ってはならない。レクセリア殿下、貴女は策に溺れたのだ。その策に頼りすぎたあまり、以後の見通しを甘く見てしまった。爆発によっていくらこちらに被害が出ても、レクセリア軍が死地に陣取ったことには間違いはない。戦は、奇策に頼りすぎてはいけない」


 返す言葉もないとはこのことだった。

 ガイナスは冷静に戦局を判断している。


「それと死地に陣取り、消耗戦になると最初からわかっているのであれば、最後まで戦い抜くくらいの覚悟も必要だったな。確かに貴女の降伏の時機は見事だった。負け方がうまいのも優れた将の必須条件ではある。だが……貴女には覚悟が足りなかった。戦に勝つためには、どれほど死者の山を築こうとも、最後の最後まで戦い抜く覚悟が必要なのだ」


 これまた、痛いところをつかれた、とレクセリアは思った。


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