6  虐殺

「兵の死に、貴女は耐えられなかった。だが、それは俺に言わせれば偽善だ。大将になるということは、麾下の全軍にいざというときは『死ね』と命じるだけの覚悟がなければならん。もっとも、貴女の場合は今回の戦、自ら望んで大将になった、というわけでもなさそうだからその点については同情の余地はあるが……」


 ガイナスは当然、アルヴェイア国内の国情についてもそれなりの情報を得ているのだろう。


「まあ、シュタルティスがもし軍勢を率いていれば戦にすらならなかったろうな。アルヴェイアは確かによく戦った。それは貴女の功績だ。兵は良い将についていく。だが、相手がこの俺だったのが、貴女の不運だ」


 自慢するというわけではなく、ごく当たり前のことのようにガイナスはそう言った。

 だが、実際、その通りだろうとも思う。

 火炎王ガイナス。

 その戦は炎のごとし。

 噂は嘘ではなかった。

 ガイナスは王というよりも、軍勢を率いる将としてなにより優れている。

 やはり、この男には負けるべくして負けたのだ、としか思えなかった。


「しかし……貴女は、名将になるだけの資質は十分に備えている。なにしろまだ十五なのだからな。十五の小娘があれほどの戦をするとは……俺は、嬉しくてならない。だから……ここで一つ、教育してさしあげよう」


 ふいに、ガイナスが暗い笑みを浮かべた。

 いままでのどこか人好きがするほどの快活な笑いとは明らかに種類の異なる、どこか物騒な笑みである。


「教育……ですか?」


「さよう。そろそろ、聞こえてくるはずだが……」


 そう言って、ガイナスは空になった杯に葡萄酒を注いだ。

 しばしの後、ふいに遠くから悲鳴のようなものが聞こえてきた。

 すさまじい、まるで断末魔の叫びのような声である。

 しかもその声は、一カ所だけではなく、あちこちから聞こえてきた。

 いつしか無数の悲鳴がヴォルテミス渓谷にこだましていた。


「これは……」


 わけがわからず、レクセリアは緊張に体をこわばらせた。


「これは……いったい、何です? 天幕の外で、一体なにが……」


 ガイナスが笑いながら言った。


「簡単なことだ。人が、死んでいるのだよ。より正確にいえば殺されている、というべきか」


「一体、誰が……」


 そこまで言って、レクセリアは恐ろしいことに気づいた。

 レクセリア軍はガイナス軍に降伏し、兵たちはみな投降して武装解除しているのだ。


「まさか……」


 レクセリアは椅子から立ち上がった。


「まさか……この声は……」


「そうだよ、レクセリア殿下」


 ガイナスは葡萄酒の杯を傾けながら言った。


「これは貴女の可愛い兵たちが殺されている声だ。生き残りの総勢は、まあ一万は超えているだろう。なかなかににぎやかなものだな。一万人分の断末魔というものは」


 阿鼻叫喚というのがふさわしい、まさに地獄のふたが開かれたかのような絶望的な悲鳴や絶叫が幾重にも重なってヴォルテミス渓谷で轟いた。


「ガイナス陛下!」


 レクセリアは全身が総毛立つのを感じながら、恐怖と怒りのあまり、卓を激しく拳で叩いた。


「そんな! これでは約束が違う!」


「約束?」


 ガイナスは笑った。


「そんなものをした覚えはないがね。兵の命を助けるなど俺は一言でも言ったか?」


「しかし、それは……降伏した兵に対する常識ではないですか!」


 レクセリアの言うとおりである。

 三王国の間での戦乱は、降伏した将兵は捕虜にとられることはあっても、殺されることはまずないといってよかった。

 それが、文明国同士の戦のいわば不文律のようなものだ。

 だからこそレクセリアも降伏の道を選んだのである。


「誰か決めた常識かしらんが、俺は捕虜を殺すなという条約だの協定を交わした覚えはない」

 

 やはりこの男は異常だ、とレクセリアは思った。

 戦好きなのは確かだし、人間として、王としての魅力も十分に備えている。

 だが、それでいてなにか人として重要ななにかが欠落しているのだ。

 この男はゼルファナスに似ているのだ、とレクセリアはようやく気づいた。

 彼らは人の命など、なんとも思っていない。

 それどころか、殺人行為にむしろ悦びを見いだしているふしがある。


「アルヴェイアの兵たちは、いい声で泣くじゃないか」


 ガイナス王は不気味とすら微笑をたたえながら言った。


「俺は殺される者の断末魔の叫びを聞くのが好きだ。レクセリア殿下、貴女もよく聞いておくことだ。貴女は戦を甘くみていたな。その結果が、これだ。この一万人の死者は……いわば貴女の責任で死んでいくのだ」


 レクセリアは身を震わせたまま、その場で嘔吐した。

 両手で耳を塞ごうとしたが、彼女が率いていた兵士たちの悲鳴はやむことがない。


「いや……やめさせなさい……こんなことは……こんなひどいことは……やめて!」


「ふん」


 ガイナスが、葡萄酒の杯をゆっくりと傾けた。


「これでアルヴェイアの軍事力は致命的な打撃をうける。一万五千もの兵を失ったのだからな……」


「でも……こ、こんなことをすれば……」


 レクセリアはガイナスをにらみつけた。


「ガイナス王! このセルナーダであなたを信用する者は誰一人、いなくなる! あなたは自分がどれだけ愚かしいことをしているか理解してない! このような残虐行為をした国王は……」


「……恐れられる」


 ガイナスは、再び凄絶な笑みを浮かべた。


「なるほど、俺と同盟を結ぼうとする酔狂な手合いはいなくなるだろう。だが、俺を敵にまわそうとする奴もいなくなる。これが火炎王ガイナスのやりかただ。一度でも刃向かった者には、決して容赦はしない。俺に刃向かう者には、絶対の死を。俺に刃向かう都があれば、完全なる破壊を。俺に刃向かう国があれば、地上から抹消する。それがこの俺のやりかただ。それが、俺だ。火炎王ガイナスだ……」


 戦の前の軍議で、ネルトゥスが言っていたことを思い出した。

 ガイナス王は破壊の化身だと。

 あの男はただ破壊のために戦っている異常者だと。

 もっとネルトゥスの言うことに耳を傾けておくべきだった。

 ガイナス王は優れた武将である。

 その点は、疑いようはない。

 だが同時に、戦と殺戮と破壊にしか悦びを見いだせない異常者でもあるのだ。

 天幕の外では、まだ悲鳴が続いている。

 一万を超えるアルヴェイア兵たちが、ガイナスの命令で虐殺されているのだ。

 甘かった。

 最初から最後まで、自分は甘かった。

 これが戦なのだ。

 どちらかが死に絶えるまで徹底的に殺し合うのが戦なのだ。

 戦を甘く見ていた。

 戦という怪物を見誤った代価として、アルヴェイア兵が、彼女が率いていた兵たちが次々に殺されていく。

 レクセリアは涙をぼろぼろと流しながら、暗い天幕のなかで兵たちの断末魔を聞いていた。

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