13 もう一人のグラワリア王
もともと、自分はやはり王家になど関わるべきではなかったのだ。
スィーラヴァスは、ぼんやりとそんなことを考えながら、窓から「牢獄」のなかに降り注ぐ銀の月を見つめていた。
牢獄とはいえ、その調度は豪華なものだ。
部屋の内装は壮麗なもので、いかにもグラワール公……否、「グラワリア王」がすまうにふさわしい。
だが、とスィーラヴァスは皮肉げに笑った。
厳重に鍵をかけられ、常時、外では「護衛のための歩哨」が立っているこの状況は、ただの虜囚と変わりがない。
あのままグラワリアスの都で、魚売りの子供として生きていたほうが、よほど幸せだったのだろう。
ふとそんなことを夢想するときがある。
正直にいえばこの体に流れる「黄金の血」とやらいうものが呪わしい。
父は先代……いや、先々代のグラワリア王、ヴァラス三世だという。
自分でも半信半疑ではあったが、王宮に出向き、年老いた「父」と対面し、ソラリスの僧侶たちの法力による検査をうけた。
本当に「黄金の血」とやらが自分には流れていたらしい。
驚いた、などというものではない。
自分は一生、魚を売ってすごすものだと思っていたし、まさか王家の血をひいているなどとは夢にも思わなかった。
あれからの運命の変転は、まるでなにかの冗談のようだった。
宮廷では「魚売り」……いや「魚」と呼ばれ、あざ笑われた。
実際、自分でも魚に似た顔だとは思うのだが、それにしても自分で思っているのと他人に言われるのとではわけが違う。
ぎょろりとした目玉。
エラでもついてそうな張り出した顎。
分厚い唇に扁平な顔。
容貌からして、王家の者とも思えない。
それに比べてあの男は……「兄」は違った。
容貌魁偉ではあるが、凄まじい王気とでもいうべきものを備えていた。
その燃え上がるような赤毛と青い炎の如き双眸は、間違いなく高貴な、貴種の生まれものだった。
兄が自分を蔑んだ理由は、よくわかる。
世間では、婚約者であったアンヴリル伯の息女を兄がなぶり者にし、殺したために激怒して自分は蜂起したことになっている。
だが、実際のところはいささか違う。
アンヴリル伯の息女ミルカニアは、確かに美しい娘ではあった。
だが、あの女も自分のことを賎しい魚売り……いや「魚」として蔑んだ。
愛などかけらもなかった。
要するに、自分はアンヴリル伯をはじめとする、反ガイナス派諸侯に利用されたのだ。
実際にその気になったこともある。
自分には内政などの才があることにも気づいた。
特に商業にかけては、なにしろもとが魚売りなのだ、庶民の実体などなにもしらない貴族連中よりも商人たちの気質はよく知っていた。
だが、いつしか自分は貴族たちに担がれているだけだと気づき、なにもかもがむなしくなった。
兄と内戦を戦っている間も、すべてがむなしかった。
さっさと講和したほうが民のためになる、そう考えていたが兄のほうにそんな意思はないようだった。
兄にとって、敵など誰でもよかったのだ。
要するに兄はただ戦争がしたかっただけだ。
一種の戦争狂、それがガイナスという男の本性だと気づかされた。
それでも、兄に対する抜きがたい劣等感は消えなかった。
だから、兄の死を死んだときは、本来、ここで自分は喜ぶべきなのだと思った。
なのに、感じたのは喪失感だけだ。
あるいは兄に自分は好かれたかったのかもしれない。
だからこそ、兄に必要な「敵役」を演じていたのかもしれない。
それなのに……兄は、死んだ。
後には混乱が残された。
大混乱、といってもいい。
グラワリアスからの散発的な情報によると、兄が実質的に自殺を計ったのはまず間違いのないところだ。
あれからダルフェイン伯ボルルスが、王器を獲得したという噂が流れている。
ボルルスは堅実に近場の領地を切り取り、さらには旧ガイナス派の生き残りたちと同盟をくみ、新勢力を築こうとしているようだが、抵抗する諸侯も多い。
旧ガイナス派支配地域は諸侯同士の小規模な戦乱が耐えないという話だ。
一方、「こちら」はこちらで、離脱して旗揚げする諸侯が増えていた。
やはり兄という巨大なたがを失った以上、グラワリアは分裂する道しか残されていないのだろう。
公式には、スィーラヴァスはあれからグラワリア王に即位した。
だが、王器ももたず、叙爵の儀式もしない王にどれほどの正当性があるというのか。
いや、正当性などもうどうでもいいことなのだろう。
アンヴリル伯をはじめとしたいわゆるスィーラヴァス派諸侯は、自分を王にすえることで、なんとかグラワリア平定の「大義」を手に入れようとしている。
なんと愚かしい話なのだ。
すでに玉璽は、兄が勝手に指名したもう一人のグラワリア王、リューンヴァイスとかいう傭兵が持っているらしい。
彼はレクセリア姫とともにアスヴィンの森にむかったらしいが、それからの消息はようとしてしれない。
リューンヴァイス。
さまざまな噂が聞こえてくるが、なるほど、兄が好みそうな男だ。
しかもあのアルヴァドスに一騎打ちで勝利したというのだ。
とてつもなく強い男に違いなかった。
もう、自分のなかに流れる忌まわしい「黄金の血」など意味をなさなくなっている。
くだらない。
このまま幽閉され、用がなくなれば殺される。それが自分の運命だ……。
それならば、もうすこし、なにか新しい商売でも初めてみたかった。
頭のなかには、幾つもの商売の新しいやり方が浮かんでいる。
金儲けが好きなのではない。
商業により人、街が豊かになっていくのが愉しいのだ。
金が増えていくのも遊戯めいているからこそ愉しいのだ。
商売にかけては下手な豪商には負けない自信がある。
だが、商売上手の国王など、この時代に通用するはずがない。
本来の自分は、ある意味では裏方なのだ。
たとえば軍隊が行動するには莫大な金を必要とする。
そうした資金を調達するような役回りこそが自分にはふさわしい……。
そのときだった。
突然、扉が開かれたのは。
驚いてそちらをみると、何人もの見知った顔があった。
スィーラヴァス派諸侯に仕える騎士たちのなかで、個人的に自分のことをやけに高く買ってくれたものたちばかりだ。
「スィーラヴァス陛下」
彼らの顔に、返り血の痕があることにすぐに気づいた。
気がつけば、なにやら外がさわがしくなっている。
「陛下……さあ、お急ぎ下さい! 陛下こそが、正当なグラワリア王! 奸臣であるアンヴリル伯にいつまでも捕らわれているつもりですか?」
「なにを言っている」
スィーラヴァスは、混乱していた。
「一体、なにを……」
「陛下、われらは陛下のために決起いたしました! ダルフェイン伯やアンヴリル伯はみなあまりにも陛下をないがしろにしている! このようなことが許されるはずがない!」
ならばどうしろというのだ。
「ご安心下さい、陛下! 一時的に、陛下はアルヴェイアに亡命、という形をとりますが、アルヴェイアもいまは混乱している。アルヴェイアの諸勢力の一派のいずれかにつけば、必ずや再起の道が開けます」
なるほど、とスィーラヴァスは笑い出したい気分にかられた。
彼らは心底、本気で憤っているのだろう。
王家の血をひく自分が実質的には虜囚の身であることに。
だが、アルヴェイアにいってなにかが変わるのか?
自分はただの商売好きな男にすぎないのだ。
いくら正当なグラワリア王と言われようが、その本質は変わらない。
「さあ……陛下、スィーラヴァス陛下! お急ぎ下さい!」
もう苦笑するしかなかった。
結局、こうして自分はまた周囲に流されていく。
これが自分にファルミーナ女神に与えた運命だというのだろうか。
アルヴェイアにいってどうなるかわからない。
ただ、まだもし彼が生きているとすればの話だが……一度、リューンという「もう一人のグラワリア王」に会ってみたい。
傭兵から、いきなり王になった男。
そして自分は魚売りから王になった。
そんないかがわしい二人の王が出会えば、なにか面白いことが起きるような気がする。
それがどんなことは想像もつかないが。
「わかった……いま、行く」
そう言うと、スィーラヴァスは戸口にむかって歩き出した。
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