5 妬心
ネスヴィールは、軽い失望を覚えた。
レクセリアを妻とし、嵐の神ウォーザの加護もあるという話ではあるが……このリューンという男には、いま置かれている現実が果たして見えているのだろうか。
新しいものをつくるために、古いものを壊す。
なるほど、そう言うのは簡単だが、彼の言う「古いもの」を守るために、人々はどれだけ必死になっているのか、理解できていないとしか思えない。
「なるほど、高邁な理想ではある」
ネスヴィールは、冷ややかな口調で言った。
「しかしいくら民の国をつくると言っても、そう簡単にいくものだろうか? 古来より、王のもとに貴族が、貴族の元に騎士が、そしてその下には民がいた……そうして、この世の秩序は成り立っていた。民の代表が王というのは、なかなか興味深い考えではあるが……いまの世ではとうてい、受け入れられないと思うが」
「そうだな」
リューンはうなずいた。
「今は駄目だ。それに、いきなりそんなことをしてもみんなついてこないだろう。壊すっていったって、いきなり根っこからひっくり返すような真似をしたらみんな混乱するだけだ。だから、最初のうちは……表向きは、おとなしくしている。ひっくり返すのはあとでいい。とりあえず、世の中、なにをやるにしても『建前』がいる。気にくわねえ話だが、世の中ってのはそういうもんだ」
苦々しげな顔をしてリューンがそう言うのを聞いて、ネスヴィールは彼に対する評価を若干、改めた。高邁な理想ばかりを口にする手合いともまた違うようだ。
もっとも、傭兵など現実主義者でなければとてもやっていけない商売なので、それもあるいは当然のことかもしれなかったが。
「それで……リューン殿。貴殿は、いったいどんな『建前』を用意するというのだ?」
「とりあえずは……『世直しの軍』、あるいは『義軍』ということにする」
青と銀の瞳とがぎらりと輝いたような気がして、一瞬、ネスヴィールは体をすくませた。
「いま、アルヴェイアは二つに割れている。国王派とエルナス公派だ。当然、あちこちで畑を焼かれたり、街が略奪されたり、そういう奴らがたくさん出てくる。そういうのは、それこそ民からすりゃあ、いい迷惑ってもんだろ。喧嘩をしてるのはエルナス公ゼルファナスと、国王だ。セムロス伯って言い換えてもいいが……要するに、貴族同士の争いで民はひどい目にあっている。そうなりゃ、いい加減、ふざけるなって奴らもいるだろうよ」
そこまでの理屈ならばネスヴィールにも理解できる。
「で……リューン軍は、そういう連中を全部、味方につける。国王派もエルナス公派も関係ねえ。普通に平和に暮らしたい奴らを仲間につける」
「そう簡単にいくものかな」
そうは言ったが、奇妙な胸の高まりをネスヴィールは感じていた。それはいままでの人生、つまりはネス伯ネスファーの影として兄を支える人生ではついぞ味わったことのないものだった。
「だいたい、そうした流民が流れ込んでくれば、土地は荒れる。例のごろつきのような奴ばらまでやってくるぞ」
「それはそれでいいんだ」
リューンは笑った。
「ごろつきや野盗が……なんで、村を襲ったり街を略奪したりするか、考えたことはあるか?」
なにをわかりきったことを聞くのだこの男と思いながらも、ネスヴィールは答えた。
「そうしなければ、生きていけないからだろう」
「それは正しい。でも、間違っている」
間違っている。いま、リューンという男は確かにそう言った。
「なにがどう、間違っているというのだ? 野盗などは所詮は食い詰めもの。明日のことなどなにも考えない連中だ。だから……」
「そうだよ」
リューンが、にっと笑った。
「奴らは明日のことを考えない……なんで考えないかっていうと、明日もまたろくでもないことになるって、みんな諦めているからだ。流れ者、あぶれ者、家を焼かれた者、畑を焼かれたもの、子供を殺され、女房を犯された者……戦になれば、そういった連中がごろごろ出てくる。このネス伯領だって、ずいぶんとひどいことになってるじゃねえか」
ネスヴィールは顔をしかめた。
「それは確かに、その通りだ。だが……」
「あんただって、本当はどこかで気づいているんだろう。いままでなんとかネスを守ってきたあんたの腕前は大したものだと思う。でもこのままじゃあ……いずれ、ネス伯領はぶっつぶれるぜ」
それを聞いて、ネスヴィールは沈黙した。
誰よりもネスヴィール自身、そのことは痛感していたからだ。
周辺の諸侯も国王派とエルナス公派で割れている。そのうえ、以前からグラワリア諸侯の領内への侵入は続いている。
くわえてどこからきたかもわからない流民や逃散農民たちが集まり、野盗化している。
実際、すでにネス伯爵領は、行政体としてほとんど機能不全をおこしかけていた。
幾つかの領内の主要な街を守るのが手一杯で、もしさきほどリューン軍が追い払ってくれなければ、あのままグラワリアの諸侯軍に占領されていたかもしれないのだ。
兄であるネスファーが軍事力のほとんどを持っていってしまっている。エルナス公軍との戦いに使うつもりなのだろうが、ネスヴィールとしては正直、それどころではないと言いたかった。
だが、言えなかった。
兄の命令が絶対、というのではない。ネスファーは陽性な若者で、「あとはネスヴィールに任せる」といって自分は「愉しげな」場所に出て行く。
尻ぬぐいをさせられている、とはまではいかないが裏方ばかりやらされていたのは事実だ。
かといって、他の生き方など考えたこともなかった。
ネスファーとネスヴィール。二人は仲の良い双子の兄弟であり、アルヴェイア貴族諸侯の家内平和の象徴のようなものだった。いつも二人で難局にあたってきた。
そして、いつもネスファーが日の当たる場所に出るのだ……。
「なんでえ、兄貴に嫉妬でもしてるのか?」
いきなりのリューンの言葉が胸に突き刺さったような気がした。
「な、なにを……」
「図星か。ってまあ、領地ほっほりだして兵士ひきいて兄貴は戦争に行ったんだからな、ネスヴィール、あんたにゃ同情するよ」
なぜ、こんな傭兵風情に哀れまれねばならないのか。
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