11 ソロランサの星の下で

 ゼルファナス軍は、ヴォルテミス渓谷の西二イレム(約三キロ)ほどの小高い丘に夜営していた。

 敵兵の夜襲を警戒中の物見の兵たちが手にする松明が、夜の闇のなかでオレンジ色のちらちらと揺れる光を放っている。

 頭上には、満天の星空が広がっていた。

闇色の天蓋には無数の銀の粒をばらまいたかのように、星々が輝いている。

 南の天頂では、星の神の名をとってソロランサの三つ星と呼ばれる三つの星々がちっぽけな人間たちを見下ろしていた。


「いよいよ、か……」


 天幕の外で、リューンは星を眺めながら戦に思いを馳せていた。

 おそらくこのままでいけば、明日には会戦が行われるだろう。

 すでにグラワリア軍のうち、一万七千のガイナス軍はヴォルテミス渓谷の北のあたりに陣取っているらしかった。

 一方、スィーラヴァス軍はその西で野営を行っているらしい。

 つまりガイナス軍はレクセリア軍と、そしてリューンが属するゼルファナス軍は、スィーラヴァス軍を敵として戦うことになるはずだ。

 とはいえ、決して楽観視できる状況ではなかった。

 スィーラヴァス軍の軍勢は一万三千、一方、ゼルファナス軍はといえばわずか七千である。

 ともに諸侯軍を中心とした編成は似通っているが、二倍近い数の敵と戦わなければならないというのは、正直にいって、きつい。


「兄者……星でも見てるのか?」


 ふいに、すぐそばから声が聞こえてきた。

 エルナス親衛隊の副団長にして、リューンの弟、カグラーンである。


「ああ……なんていうか、また戦だからな。こう、血がうずいてたまらねえ」


「くれぐれも、いつもみたいに『やりすぎ』るのはやめてくれよ、兄者。いままでは俺たちは雷鳴団っていうただの傭兵隊だったから、あれですんでるんだ。でも、今度の戦はいままでとは違う。俺たちは、エルナス公家の兵なんだ……」


 カグラーンの言葉に、リューンはうなずいた。


「ああ、わかってるよ……」


 弟の言った「やりすぎ」というのは、要するにリューンに戦いに夢中になりすぎるな、と言っているのだ。

 一度、戦闘の興奮に憑かれると、リューンは狂ったような戦いぶりをみせる。

 そのせいで大量の兵が一斉にリューンめがけて襲いかかってくるため、他の兵が迷惑をうけるのだ。

 リューン本人は、一度に十人近い敵兵と同時に戦うことができるが、一般の兵はそうではない。

 この、いわば強すぎるための悪癖で、リューンは傭兵時代から多くの仲間を失ってきた。


「しかし、加減して戦えっていわれてもな……」


 つい、本音が口をついて出る。


「いや、加減しろとは言ってない。ただ戦ってる最中も、まわりをちゃんと見て戦ってくれ、そう言っているだけだ……ただ、明日は果たして、実際にはどれだけ戦えるか疑問がないこともないが」


 それを聞いて、リューンが苦笑した。


「おいおい、馬鹿なこと言わないでくれよ。これだけの規模の戦となれば、敵なんていくらでも……」


「俺が言いたいのはそういうことじゃない」


 カグラーンが、声を低めて言った。


「いいか、兄者……これだけは理解してくれ。明日の戦、命令があるまで絶対に、勝手に敵にむかって飛び出していったりしちゃあ駄目だぞ」


 リューンは目を瞬かせた。


「なに言ってるんだ。それともあれか、エルナスの殿様にはなにか策でもあるってのか」


 特殊な策があれば、うかつな攻撃を控えろという命令が下ることもある。

 だが、カグラーンの言っていることは、どこか妙だった。


「策……といえば、策だが。正直にいって、ひょっとすると明日はなかなか戦にならないんじゃないかと、俺は思ってる」


 なぜそんなことを言うのか、弟の考えていることがリューンには全く理解できなかった。


「馬鹿言うなよ! 目の前にはスィーラヴァスっていうガイナスの弟の軍隊が迫っているんだろう! 俺が奴らだったら、とりあえずまず俺たちを徹底的に攻めて潰走させた後に、谷間の南に回り込んで王女様の軍勢をガイナス軍と一緒に南北から挟撃をかける! だとすれば、スィーラヴァス軍はとにかく俺たちをつぶしにかかってくるはずだ!」


「兄者の言っていることは正しいし、俺が敵の総大将でもそうするね」


 カグラーンは陰鬱な口調で言った。


「ただ……戦場じゃあ、いつも敵と味方がはっきり分かれているとは限らない。なあ、兄者……スィーラヴァス公はガイナス王とつい先日までグラワリアで戦っていた敵同士だった。それが今回はどういうわけか、一時的に休戦を結んでアルヴェイアに侵攻してきた。でもな……この休戦は、あくまで一時的なものだ。これを忘れてもらっちゃ困る。考えてみてくれ。もし兄者が……たとえばの話で、この俺と戦っているような仲だったとする」


「ま、お互い口喧嘩ならよくする仲だがね」


 ちゃかすような声に、カグラーンがぎょろりと蛙じみた目で兄のことをにらみつけた。


「兄者、俺は真面目な話をしてるんだぞ? でだ、もしそんな関係で、とりあえず敵国に二人で攻め込んだ。この俺、カグラーン様の率いる軍勢は敵と激突して派手に戦ってる。で、兄者の前にも敵がきた……そうしたら、兄者なら……」


「決まってるだろう」


 リューンは胸を反らせて言った。


「おまえに負けないように、もっと派手に戦ってやるさ」


 それを聞いて、カグラーンがうなだれた。


「いまのはたとえがまずかったな……だが、よく考えてみてくれ、兄者。兄者と俺は、故郷にもどればまた敵同士になるかもしれない。そして、俺の軍勢は敵と戦ってぼろぼろになってる……それでも、兄者は敵と戦ってわざわざ自分の兵隊の数を減らすか?」


「それもそうだな」


 リューンが納得がいったようにうなずいた。


「どうせ故郷に戻って、また戦うんだったらおまえの軍勢だけ痛い目にあわせればいい……」


 そこまで言って、はっとリューンは顔をあげた。


「くそっ……おい、まさか、スィーラヴァスの野郎……」


「ようやくわかってくれたみたいだな」


 カグラーンは言った。


「そうだ。俺の読みが正しければ、スィーラヴァス軍はなかなか動こうとはしないだろう。そしてそれは……エルナスの殿様も同じことだ」


 それを聞いた瞬間、リューンは顔をしかめた。


「ちょっと待て。エルナスの殿様はスィーラヴァスとは違うだろう。あの王女様と……」


「仲は、良くないぞ」


 弟の科白に、リューンはうめくような声をあげた。


「でも……それにしたって、レクセリア軍は友軍じゃねえか!」


「レクセリア軍の主体は、王国軍、つまり王家と王国に忠誠を誓う部隊、それに南部諸侯軍だ……それにひきかえ、ゼルファナス軍はいまアルヴェイアで権勢を誇っている貴族諸侯の諸侯軍……つまり、王家が昔みたいに力を取り戻してもらったら困る奴らばかりだ。ガイナス軍が王国軍、つまりは実質、王家の兵と戦えばそれだけ王家のもつ軍事力は弱まる。そうなれば、貴族諸侯の宮廷での発言力もいままで以上に高まるだろうさ……」


 思わずリューンは大地につばを吐いた。


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