12  絶望の傭兵

(こんな野郎がまだいたのか……)


 幾多もの戦場で転戦を重ねてきたが、まさか貴族のなかに、自分よりも強い相手を発見することになるとは。


(そうだ……こいつは、どう見ても俺より……強い! 全然、比較にならねえ! こいつの持ってる剣は巨人殺しとかいったが……こいつそのものが、とてつもない巨人じゃねえか!)


 ただ一撃をうけただけで、リューンは相手の力量を正確に計っていた。

 剣の速度といい、その威力といい、自分とは桁が違う。

 さらに相手は、鎖帷子という重厚な鎧をまとっているのだ。

 正攻法では決して、このアルヴァドスという怪物には勝てない。

 リューンは冷静に、自らにとっては冷酷な事実を受け入れた。

 厳しい現実認識こそが、傭兵にとっては必須である。

 楽観は戦場ではそのまま死を意味する。


(じゃあどうする……やはり『あの手』でいくしかねえか……)


 しかしただ防戦一方に回るというのも、愉快ではない。

 それに防御し続けていると、自然と心まで萎縮してしまい、反撃の機会を逸してしまうものだ。


(ちっ……これでも、くらえ!)


 無意識のうちに獅子の如き咆吼を放つと、リューンは斜めから相手の肩口めがけて渾身の一撃を放った。

 恐るべき速度と勢いを持つ強烈な斬撃である。

 並みの傭兵であれば、胴体をばっさりと切断されてもおかしくない。

 事実、何人かの観覧席の貴族たちが、悲鳴じみた声をあげた。

 反射的に、アルヴァドスがやられると思ったのだろう。


「ふん!」


 だが、そのリューンの裂帛の斬撃を、アルヴァドスは例の巨大な剣で楽々と受け止めた。

 剣が弾かれる反動に腕がもっていかれそうになる。


(ちょっと待て……なんだ、こいつ!)


 強い。

 アルヴァドスというこの貴族……リューンの予想以上に、強すぎる。

 自分より格上の相手ということは、さきほどの攻撃を受けたときにわかっていたつもりだった。

 だが、攻めが強くても守勢にまわると馬脚を露呈する者もまれに存在する。

 そんな淡い希望はあっさりと打ち砕かれた。

 まるで巨大な鉄の壁を相手にしているような、そんな錯覚にリューンは襲われた。

 どこからどう攻撃を行っても、アルヴァドスは即座にあの巨大な剣で受け止めるだろう。

 そもそもさきほどの一撃を放てたのも、相手があえて誘いをつくった、そんな感触すらある。

 なにしろ本来、こちらより遙かに刀身の長い得物を手にしているのだ。

 一方的に、遠距離から次々にあの剣を打ち下ろされたら、もうどうしようもない。


「ふん……多少は期待したが……この程度のもの、か」


 アルヴァドスの声には嘲弄の色が含まれていた。


「これではつまらんな……座興にすら、ならん! 戦場で鍛えた剣……もう少し、まともな代物かと思えば……はは、はははは」


 笑っている。

 アルヴァドスがこちらを嘲笑している。

 本来であれば、このよなう状況で笑うなどというのは自殺行為だ。

 笑えば自然と隙をつくり、さらには無駄な呼吸をすることになる。

 緊迫した試合の最中に笑えば、気息を乱し敵に打ち込まれる隙をつくることになる。

 それなのに、リューンは二撃目を放たなかった。

 否、放てなかった。

 いままで感じたことのない、まったくの未知の恐怖がリューンの心身を萎縮させていた。


(勝てない)


 それは、俗に絶望と呼ばれる感情である。


(勝てない……こいつにはどうやったって勝てない……こんな、こんな相手とは……戦ったことがないっ!)


 リューンはなまじ優れた戦士であるがゆえに、自らの力量も、敵の力量も正確に推し量れる。

 その、戦士としてのあらゆる経験と計算と本能が「確実に負ける」という結論を下しているのだ。

 いままで何人もの強敵と戦場でまみえてきた。

 だがリューンにとって戦場とは、どこか一方的な狩り場に似ていた。

 どんなに強いと噂される相手も、実際に戦ってみるとさほどでもなかった。

 それで幾度、失望したかわからない。

 だからこそ、強敵にあったときには全身の血がたぎるような興奮を覚えたものだが……いくら強い敵とはいえ、こうしてリューンがいま生きているということは「皆、リューンよりは弱い相手」ばかりだったのだ。

 今回は、いままでのその常識が通じない。

 いや、このアルヴァドスという男のほうがやはり異常にすぎるのだ。

 まともな人間の世界であれば、おそらくリューンはセルナーダ広しといえど最強の傭兵の一人といって良かっただろう。

 事実、その強さに惹かれて雷鳴団にやってきた者は後を絶たない。

 さらには敵も、リューンを狙って集団で攻撃をしかけてきた。

 雷鳴団のリューンを倒したとなれば、傭兵の世界ではとてつもない名声を得ることが出来るからだ。

 その傭兵の世界の常識が、アルヴァドスには通用しない。


(俺は……まさか、この俺が、驕っていたっていうわけかよ)


 ひどく冷静なリューンのなかの一部が、告げていた。

 やはりいままで連戦連勝を続けていたリューンという男のなかには、確かに驕りがあったのだと。

 剣一本でリューンは身をたててきた。

 敵に負けない鋼のような自分をつくるしかなかった。

 いままではそれが通用した。

 だからこそアルヴァドスと戦い、次代のグラワリア王になるというとてつもない暴挙に出ることも出来たのだ。

 アルヴァドスの巨体は認めながらも、どこかで相手を舐めていた、とも言えるだろう。


(参ったぜ……この俺が……俺が……)


 自然と、抑えようのない震えが体中に走る。

 戦場では、恐怖は最大の敵である。

 ときおり戦場で無謀になる者がいるが、それは恐怖に耐えきれなくなり、正常な判断力がつかなくなっていることが多い。

 いままでリューンは一種の狂戦士となり、暴れ回ったことはあっても、心の一番奥底の部分でどこか醒めていた。

 記憶まで飛ぶ、無謀に見える戦場の暴れぶりの裏では本人でさえ気づいていないような計算が働いていた。

 だというのに、今度に限ってはその計算も働かなくなっている。

 歯が自然とがちがちと音をたてて鳴り始めた。

 いまのリューンは、恐怖の虜だった。

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