第二章 王都メディルナス

1 父と娘

 メディルナスは、古い歴史を持つ都である。

 ネルサティア人がこのセルナーダの地に来襲する以前から、メディルナスは先住民たちが互いに集まる交易場所として栄えていたという。

 帝国期の頃には、アクラ海に面する西の都エルナスと互いに何度も帝都として遷都を繰り返した。

 だが、最盛期は八十万もの人口を抱えた巨大都市も、現在では人口は十分の一までに減少している。

 むろん、大都市であることには変わりがないが、それでも往時に比べれば都の衰えは隠しようもなかった。

 二度に渡るグラワリアの侵攻によって、かつての帝都の大部分は破壊されていた。

 現在、残っているのはユリディン寺院を中心とした、かつての帝都の中央部だけである。

 ユリディンは魔術神であると同時に、学問の神でもある。

 グラワリアの兵たちも、さすがに神罰を恐れ魔術神の寺院を破壊することはためらったのだった。

 高さ二百エフテ(約六十メートル)もの二基の塔が、立ち並んでいる。

 この二つの塔こそが、ユリディン寺院のいうなれば本体である。

 メディルナス市街はこの塔が立ち並ぶ箇所を中心として、四方に放射状に広がっていた。

 北はアルヴェイス河南岸に接し、南は高さ三十エフテ(約九メートル)の城壁に囲まれている区域のなかに、八万の人々が住んでいる。

 帝国期の頃には比べるべくもないとはいえ、さすがにセルナーダ三大王国の王都の一つである。それなりに、都は賑わっていた。

 王都の北を流れるアルヴェイス河沿いには、何十隻もの川船が停泊している港がある。

 西のエルナス、さらにはその向こうのアクラ海に面する異国から運ばれてきた品々が、波止場で陸揚げされていた。

 水中で船をひく手伝いをしているのは、トカゲの民ゼルヴェイアである。

 アルヴェイス河中流域に棲むゼルヴェィアは王家の人々を守るゼルヴェイア近衛を出していることからもわかるように、人間とは友好的な関係を築いていた。

 「トカゲの民を見て驚く者がいればそいつは田舎者だ」というのはメディルナス市民の間でなかば冗談のように使われる言葉である。

 ユリディン寺院の周囲では、ローブ姿の魔術師や学問を学ぶ学生の姿が見受けられる。

 メディルナスは、セルナーダで最も文化程度が高いとされている都市のため、地方はおろか、グラワリアやネヴィオンといった国々からの留学生も珍しくはない。

 王国の中心地ということで、商工業も盛んである。

 なかでも機織り工や羊皮紙職人、金銀細工師、仕立て屋、蝋燭職人、宝石細工師、代書屋などが多いあたり、いかにも文化の花開く都といった感じだが、他にも鍛冶屋や麦酒の醸造所、酒場に穀物商に革細工師、鎧師に油屋、弓師に陶工、樽職人といった他の都市でもおなじみの業種の人々も当然のことながら数多く見受けられた。

 市場を歩けば遙かな北方、メーベナンからの胡椒や肉桂といった香辛料から、シャラーンの絹や絨毯、あるいはリナフェイルの毛織物やネルディの鉄製品、東の大海で採れる鯨の干し肉に真珠など、実にさまざまなものが店頭に並んでいる。

 およそ世の産物でメディルナスで手に入らぬものはない、というのもあながち誇大表現とも言えなかった。

 だが、それでも、確かに少しずつ、この繁華な王都にも翳りが見え始めていた。

 たとえばかつては貴族の後援者が惜しみなく金を使って絵画工房を支えていたが、いまでは絵や彫像の注文数も減り始めていた。

 文化事業に金を使う余裕も、富裕層の間にはなくなり始めていたのである。

 王国全体の治安が悪化したことで、商品の流通も滞りがちになっていた。

 その結果、王都での商業取引も以前ほど活発には行われなくなりつつある。

 最近のメディルナスで増えたものはといえば、地方から流入する貧民くらいのものだった。

 長い戦乱の時代が、人々の生活をも脅かしつつある。

 戦費ばかりがかさむことで、国庫そのものも空っぽだ。

 帝国期からこのかた、メディルナスの活気はじわじわと衰えていく一方である。

 いわば黄昏の時代だった。

 太陽が空でさんさんと輝くが如き帝国期の栄華は過ぎ去り、帝国が三つの王国に分裂したことでメディルナスは午後の陽光のようにその光を緩やかに失いつつある。

 このままいけば、いずれ長い夜が……すなわち暗黒の時代が訪れるだろうことを、メディルナスの人々も本能的に感じ取っていた。

 そんな人々にとって、「王国軍が南部諸侯の反乱軍に大勝した」という知らせは、ひさびさの吉報といっても良かった。

 当然ながら、アルヴェイア王国軍の勝ち戦は王都の人々に歓呼の声をもって迎えられたのである。


「林檎酒なんてしけた酒を呑んでる田舎者どもが、王家に反旗を翻すからだ。まったく、ざまねえぜ」


「なんでもラシェンズ侯爵は討たれたらしいぞ。エルキア伯爵は、捕虜になったらしい」


「しかし驚いたな、王国軍を率いていたのは、知ってるか? なんと、レクセリア殿下らしいぞ」


「レクセリアって……ええと、二番目のお姫様じゃないか」


「おうよ。なんでもシュタルティス殿下の替わりに、王国軍を率いたらしいぜ。それで五千の敵に勝っちまうってんだから、大したもんじゃねえか」


「いまじゃレクセリア殿下のことを『戦姫』なんて呼ぶ奴もいるらしいぜ」


「へえ……なかなかいいじゃねえか。アルヴェイアの戦姫、うんうん、いい感じだ」


 アルヴェイアの戦姫。

 最近のアルヴェイア王家の威光は、翳りっぱなしである。

 そのなかにあって、庶民の間では『アルヴェイアの戦姫』レクセリア王女の人気は、一気に上昇していた。


 夕方の茜色の光が、西の窓から射し込んでいる。

 窓には、巨大な板硝子がはられていた。

 小金をもった庶民が使うような、小さな分厚い丸い硝子を何枚も鉛ではりあわせたものではない。

 薄い、綺麗な一枚板の高価な板硝子である。

 それは、この部屋の主の富裕さを表すものだった。

 床にはシャラーンからの青い、贅沢な絨毯が敷かれている。

 天蓋つきの巨大な寝台も、やはりさまざまな装飾のほどこされた、贅をこらしたものだった。

 寝台に敷かれている布団は、絹と最上級の羽毛を用いたものである。

 だが、それも当然といえば当然だった。

 寝台に身を横たえているのは、アルヴェイア王国第二十二代国王ウィクセリス・アルヴェイア六世なのである。

 室内には、さまざまな薬草の匂いが漂っていた。

 王の病はいまだ篤いため、癒しの女神であるイリアミス女神に仕える尼僧の治癒法力だけではなく、さまざまな薬草による治療も行われているのだ。


「ふ、ふふ……」


 絹の枕の上で、王が微笑した。

 今年で齢五十二となる。

 この時代にあっては、すでに老齢といってもよい。

 だが、王の顔は、実際の年齢より二十は老齢に見えた。

 顔中に深いしわが刻まれ、青い瞳もひどく弱々しい、潤んだような輝きをたたえている。

 かつては黒く豊かだった髪はかなり抜け落ち、完全に真っ白となっていた。


「ふふ……ふふ、知っているか? レクセリア」


 王は、寝台に身を横たえたまま、傍らの椅子に腰掛けている娘にむかって言った。


「アーティアから聞いたのだがな、下々の者はお前のことを、『戦姫』などと呼んでいるらしい。アルヴェイアの戦姫ということで、お前はずいぶんと人気者らしいぞ」


「それは初耳です」


 レクセリアは、父にむかって言った。


 普段は冷静で、どこかとりすましたようにも見えるその顔に、いまは柔らかな微笑めいたものが浮かんでいる。


「ですが、戦姫というのは良い名ですね。私のような者を妻に娶ろうとする酔狂な殿方もいなくなるでしょう」


 寝台のなかで、ウィクセリスがかすかに眉をひそめた。


「まだそんなことを言うのか。ゼルファナスとは……どうだ?」


 途端に、レクセリアの美しい顔がこわばった。


「エルナス公にふさわしい女性は、他にもおられると思います。私のような者でなくとも……」


「ゼルファナスは、お前の従兄弟だぞ。頭も良いし、なにしろあれだけの美貌だ。お前とは夢のように美しい似合いの夫婦となるだろうに」


 レクセリアは低い声で言った。


「美しい男だなんて、私は嫌いです。それにエルナス公は……どうにも、私は好きになれません」


 国王が嘆息した。


「そういう頑固なところは、母親譲りだな。シャルミアも、一度こうと決めたら梃子でも動かないところがあった。娘たちのなかでは、お前が一番、あやつの血を濃く受け継いでいる……こうして見ると、最近、ますますお前はあいつと似てきた」


「母上様と私が似ているのは、髪の色くらいでしょう」


 レクセリアは無意識のうちに、白みがかった金色の柔らかな髪を指ですいた。


「私は母上様のようにおしとやかでもなければ、よい妻になれるとも思いません。できればこのまま一生、独り身でいたいものです」


「またそんなことを」


 ウィクセリスが目を閉じた。


「まだシュタルティスには子がない。王統を維持するためにも、お前には良い子を産んでもらいたいものだ」


「私は」


 レクセリアが、すっと目を細めた。


「子を産むための道具ではありません。私以外にもネシェリアがいるではありませんか」


 ネシェリアはレクセリアの妹で、第三王女である。

 実はアルヴェイア王家にはもう一人、王女がいる。

 第四王女のファルマイアだ。

 だが、レクセリアは彼女の名をあげることはなかった。

 ファルマイアは、先天的なある問題を抱えているのである。


「ミトゥーリアお姉様がお兄さまの子を産めば、王統は維持されます。陛下も、私よりもそちらに期待されたほうがよろしいかと存じますが」


 ちなみにミトゥーリアはレクセリアの実の姉である。

 その夫、王太子シュタルティスは彼女と血の繋がった兄である。

 三王国の王家は、古くから近親婚によって王統を維持してきたのだった。

 最も多いのは兄妹、あるいは姉弟の間での結婚だが、伯父と姪といった場合もある。

 さすがに父と娘が契りを結ぶことはないが、血は濃ければ濃いほど良い、というのが三王国の王家の人々の考えだった。

 彼らの先祖を辿っていけば、実に太陽神ソラリスの子、初代太陽王ソラリオンにたどり着く。

 彼らはいわば「神の子」なのだ。

 人では決して許されない近親婚を行うのは、王たちが自分たちの神聖さをしめすためである。

 とはいえ、近い血が混じり合えば遺伝的にさまざまな問題が発生する。

 そのため、近親婚以外でも、ときおり外部の血を入れることがあった。

 たとえばレクセリアの髪や瞳の色は、三王国の王家ではわりと珍しいものだ。

 彼らの先祖であるネルサティア人はもともと、黒い髪に黒い瞳、そして褐色の肌の持ち主だった。

 だが、金髪碧眼に白い肌の先住民の血も、いまでは王家の血に入り込んでいる。

 レクセリアはそちらのほうの血が強く出ているのだった。


「しかしなぜ……お前はゼルファナスを嫌うのだ」


 アルヴェイア国王は、娘を見やりながら言った。


「エルナス公家であれば、家格としては文句もない。ゼルファナス自身、まあ、いささか病弱ではあるが、なかなかの男だぞ」


「陛下」


 レクセリアが、冷ややかな口調で言った。


「畏れながら、陛下はあのゼルファナスという男のかぶっている仮面に惑わされていると存じます。あの男……見た目通りのやさ男でも、貴公子でもないと思います」


「では、なんだというのだ」


 しばしの沈黙の後、レクセリアは言った。


「野心家、というべきでしょうね。あの男は、自分の地位に満足していません」


 それを聞いて、父王がかすかに笑い声をたてた。


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