2 ゼルファナスについて

「レクセリア……お前は面白いことを言うな。エルナス公爵といえば、アルヴェイアで最高位の貴族だぞ。領地も豊かで広大だし、エルナスの海洋交易であの男は莫大な富を有している。これ以上、なにが望みだというのだ」


「エルナス公は、確かに力を持っています。ですが……所詮は、ただの貴族。王でありません」


 一瞬、国王は沈黙した。


「滅多なことを言うものではないぞ、レクセリア。お前は……」


「エルナス公は野心家、と申し上げたはずです。あの男は、自分より上の存在がいるということそのものに耐えられないのです。いまはおとなしくしていますが……」


 ウィクセリスは寝台のなかから、娘の顔をしばらくの間、見つめていた。


「用心をするのにこしたことはない。それは事実だ。だが猜疑心を持ちすぎるのは、あまり良いことではないぞ。お前は、エルナス公が王位を狙っているというつもりか?」


「ええ」


 レクセリアはうなずいた。


「少なくともエルナス公爵という立場には、満足はしていないように私には思えます」


「まさかとは思うが、そのことを人に言ったりはしていないだろうな」


 レクセリアは微笑した。どこか冷ややかな、それは笑みだった。


「もちろん、このことをお話ししたのはこれが初めてです。せめて陛下には知って頂きたいと……」


 国王が布団のなかでゆっくりと息を吐き出した。


「お前は……昔から、妙な娘だった。女だというのに女らしい趣味には興味をしめさない。女であれば、ドレスや宝石で身を飾ったり、音楽を愉しんだりしても良さそうなものだが……」


「我ながら不思議です」


 王女は言った。


「ですが、私は狩りをしたり……そうですね、あえていえば政事に関わることのほうが楽しいのです」


「あの林檎酒税だが」


 王は言った。


「あれはシュタルティスの発案、ということになっているが……オーロン子爵、いや元子爵への処置を決めたのもお前だったな」


「さあ」


 レクセリアは澄み切った微笑をたたえて言った。


「シュタルティスお兄さまに助言は多少、いたしましたが所詮は女の言うことです。決断をされたのはあくまでお兄さまですわ」


「高い林檎酒税をかけて南部諸侯領をあえて乱し……ドロウズに兵を起こすきっかけをつくらせた。余から見れば、そういうふうにも見えるのだがな」


 レクセリアはあくまで微笑んだままだ。


「それは結果論ですわ」


「さらに南部諸侯のなかでも、フィーオン野で戦ったのは、いうなれば林檎酒税に反対した庶民を抑えきれなかったものたちだ。つまり、彼らはもともと領地の統治能力が低かった、ともいえる。そんな南部諸侯と、グラワリアと親しかったドロウズを、お前はフィーオン野に集めさせ、綺麗に掃除した……結果論ではあるが、そういうことになるな」


「ですね」


 青と銀との瞳で、レクセリアは父王を見つめている。


「ちなみに林檎酒税は、すぐに撤廃するよう、お兄さまに助言するつもりです。いま考えてみれば、あれは悪税でした」


「お前は」


 国王は、ふと鋭い目で自らの娘を凝視した。


「一体、なにをするつもりなのだ? 兄を廃し、女王にでもなるつもりか?」


「いえ」


 優雅な仕草でレクセリアは口元に手をあてた。


「女王になどなったところで、退屈なだけでしょう。私は、ただ……」


 わずかな間、王女は沈黙した。


「そうですね……もう少し、この国をよくしたいだけです。いまでは王家の力はずいぶんと衰えてしまいました。諸侯たちは好き勝手にふるまって、その結果、国そのものがばらばらになろうとしています。いたるところに野盗が出没し、魔獣も増えていると聞きます。このままでは、アルヴェイアは……」


 レクセリアは、あっさりと恐ろしい言葉を口にした。


「アルヴェイアは、遠からず滅びます」


 これにはさすがの国王も、顔をしかめた。


「アルヴェイアが滅びる? 馬鹿なことを。確かに王家の力はかつてに比べれば衰退したかもしれんし、諸侯どもが好き勝手をやるようになってきたのは事実だ。だが……」


「アルヴェイアだけではありません。ネヴィオンも、グラワリアも同じことです。この二百年というもの、我々は無益な戦を繰り返し、互いに国力をいたずらに疲弊させてきました。少なくともいまのアルヴェイアに必要なのは、かつてのような強力な中央集権制です。王のもとに権力を集中させ、さまざまな古い制度の改革を行う。そのためには、たとえばラシェンズ候や欲得だけで動く南部諸侯を斬り捨てる必要があります」


「お前は……」


 国王は、うめくように言った。


「女の身で、本当にそんなことが出来ると思っているのか?」


 レクセリアはあくまでも平静だった。


「陛下がおっしゃりたいこともわかりますわ。古より、女が国政に関わるとろくなことがないと言いますからね。帝国期の頃は、ヴァーナリス帝の姦婦ウィネアのせいで人々は圧制に苦しみました。カドゥナス帝の娘ミリリアは、自分のための宮殿をつくるために国費を濫用し、そのために帝国中が乱れたといいます。でも……」


 王女は言った。


「私は、そんな女たちとは違います。彼女たちは自分の欲望を満たすために政事を壟断した。でも、私はただ、王国のためを思っているだけのことです」


「王国のため、か」


 国王の顔に苦いものが浮かんだ。


「レクセリアよ、お前はまだ十五の小娘にすぎん。言ってみれば、お前はただの子供だ。子供の理想論は、薬のはずのものを毒に変えることがあるということを覚えておくがいいぞ。たとえば、今度の戦で確かにドロウズは死んだ。ドロウズに連なる南部諸侯も、以前のように王家をなめてかかるようなことはなくなるだろう。だが……戦は、必ず恨みを残す」


 王は話を続けた。


「戦に限ったことではない。いまの王国の仕組みを変えようとすれば、必ず反対者が現れる。お前の理想は、気高いものだ。だが現実は、気高い理想を常に裏切る……」


「かもしれません」


 レクセリアはうなずいた。


「ですが私は、あえて王国の毒になろうと思います。少なくとも、現状を放置しておけばいずれ王国は滅びます。でも、私という毒がうまく働けば……毒が薬に替わるかもしれません。薬はもともと、毒からつくるものと聞きます」


「やめろ、と余が言ったらどうする?」


 王女は父の姿を凝視すると答えた。


「陛下のご命令とあれど、こればかりは譲るわけはいきません。私はたぶん、花やドレスや音楽や宝石よりも、このアルヴェイアという国を愛しているのです」

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