10  逃げ出した王

「一応、副伯であられるネスヴィール卿が、いまは留守をあずかっておられますが、その副伯閣下にしても、とても領内全部には目が行き届きません……そこを狙い、卑怯な奴らは弱い者が集まる村を襲撃しているのです。いろいろと噂は届いておりますし、この村にもよそから逃げてきたものもおります……」

 

 ふと、レクセリアは周囲を見渡して妙なことに気づいた。

 女がいないのだ。

 あるいはこちらをまだ警戒しているのかもしれない。リューン軍にはランサールの槍乙女たちがいるが、それでも男性のほうが多いことには替わりがない。そして、兵士というのはいざとなれば女に乱暴をはたらくことは、すでに常識となっているらしい。


(ヴィオスからいろいろと聞かされたつもりではあったが……実際に、こうしてみるとひどいものだ……)


 所詮、自分は王族として甘やかされていたのだ、と実感せざるを得ない。


「しかし……伯爵っていうのは聞いたことがあるが、副伯ってのはなんだ?」


 リューンの問いに、レクセリアはあわてて答えた。


「副伯は、ネス伯爵領に独特の制度です。王宮では正式な爵位としては認められてはいませんが、慣習としてはいわばネス伯爵の補佐役とされています。通常は、ネス伯の一族から出るもので……現在のネス副伯は、ネスファーの双子の弟、ネスヴィールのはず」


 それを聞いて、リューンはうなずいた。


「なるほど。つまり領主代理の副伯も、野盗には手を焼いていると……そういうわけだな」


「その通りです」


 ウォースクドが叫んだ。


「まったく、あのグラワリアの赤犬どもが! あいつらには何度、煮え湯を飲まされたことか……」


「待て」


 リューンが、ふいにその目に凄まじい眼光をたたえた。


「グラワリア人だから野盗だってわけじゃない。グラワリアにも立派な騎士もいればまともな農夫だっている。グラワリア人だから問題なんじゃねえ。問題なのは……弱い者をいためつける野盗がグラワリア人のなかに混じってる、ってことだ。それに、アルヴェイア生まれの野盗だっているだろうよ。いいか、悪いのはグラワリア人じゃねえ。野盗、盗賊、流れ者の傭兵くずれだ」


 リューンがあえてグラワリア人を敵視しないよう、釘をさしたのはリューン軍にグラワリア人が多いことを意識してのことだ。こうした些細な人心掌握術が、実はいざというときに大事だということを、レクセリアはリューンを通じて学んでいた。

 一応、リューンは長い間、傭兵団の団長を務めている。自然とそうした技術は、レクセリアよりも実地で鍛えられているのだ。


「確かに……グラワリア人だからといって、敵視するのはまずいかもしれませんな」


 ウォースクドがあわてたように言った。


「しかしながら……グラワリア人のなかには、おかしな奴らもいます。噂では……なんでも、『グラワリア王を探している』のだとか」


 途端にレクセリアは背筋が寒くなるのを感じた。

 まさか、すでにリューンがアスヴィンの森からネスに現れたということが、知られているのだろうか。

 だが、それにしては時期がおかしい。リューンたちが出現したことはいずれ噂になって広まるだろうが、その前にすでにグラワリア人は「王」を探していることになる。


「その王ってのは……誰のことだ?」


 リューンが尋ねた。


「それが……あのガイナス王の弟で、セイルヴァスとかいう者だと。セイルヴァスこそが正統の王だと主張する者が、グラワリアにはいるらしいのです。グラワリアもいまは内戦で大変なことになっているらしいですが……ただ、どうも、そのセイルヴァスが、なんというか……」


 しばし、ウォースクドは言葉を選んでいるかのようだった。


「その、自ら、姿を消した……失踪した、というよりは……まるで、『逃げ出した』ようなのですよ」


「逃げ出した……?」


 さすがのリューンも、呆れているようだった。


「なんだ、そりゃ! 王様が逃げ出してどうするんだ」


 自分もグラワリア王位を継ぎながら逃げ出しているくせに、リューンは叫んだ。


「そんな馬鹿な王様の話、聞いたことないぞ、俺は!」


 思わずレクセリアは苦笑した。やはり、リューンは自分の立場をいまこの瞬間は、忘れているらしい。


「確かに前例のないことではありますが……一説によると、セイルヴァス王は、もともと王にはなりたくなかったようなのです。しかし、周囲の貴族に祭り上げられて、気づくとガイナス王と対抗するための、言うなれば象徴のようなものとして担ぎ出されたと……それで、当人が嫌気がさして、王位を放り投げてアルヴェイア領内に逃げ込んできた、そんな話が囁かれております」


「それじゃあ、セイルヴァスを探しにグラワリアの諸侯も、ネスに軍隊を送り込んでいるわけか」


 リューンの言葉に、ウォースクドがうなずいた。

 どうにも、ネス伯領の情勢は、相当に複雑なことになっているらしい。

 まず、治安はほぼ最悪、といったところだ。流れ者や野盗が好き放題、暴れ回っている。副伯のネスヴィールも、少なくともレクセリアの知る限り、無能な人物ではないが、いかんせん手持ちの兵力には限界があるだろう。

 それにもともとネスは、伯爵領とはいえ相当に広大な領地を持っている。南北に細長いネス伯領は広すぎて一人の領主では統治しきれず、その結果として副伯という独特の習慣ができたとも言われているのだ。

 野盗だけならともかく、もしセイルヴァス「王」がネス伯領に逃げ込んでいるとなれば、彼を担ごうとするグラワリア諸侯たちも必死になっているだろう。本来であればグラワリア兵がネス伯領に入るだけでグラワリアとアルヴェイアの開戦のきっかけになってもおかしくはないが、すでに両国ともそれどころではない。


(ひょっとすると……これならばまだ、アスヴィンの森のほうがいくぶんましだったかもしれない)


 酸っぱい葡萄酒を飲みながらレクセリアは思った。魔獣は即座に敵とわかるが人は誰が敵で誰が味方か、わかりにくいものだ。


   

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る