11  混乱のアルヴェイア

 建物のなかには、リューン軍の主立った面々が集まっていた。

 ここは、村……名はアンネスというらしい……の村長の家である。

 さすがに大きな家ではあったが、それでもやはり、レクセリアにとっては正直にいって、家畜小屋くらいにしか思えない、みすぼらしい建物である。

 一応は壁は石組みになっているが、あちこちで古びた木材が使われている。床にも敷石などはなく、粘土をかためただけのものだ。寝台もただの木の台で、その下は櫃になっている。実用的といえば実用的だが、装飾らしいものはほとんどない。

 唯一、厨房に置かれた緑青の浮いた銅製の鍋が、どうやらここが村の富農の家である証らしかった。他にはセルナーダの農村では一般的な、「実りの神々」の呪符の類があちこちに置かれている。

 たとえば竈の女神であり家庭の守護神であるワイラナの呪符は、火災よけや夫婦円満といったものだ。他にも落雷よけのウォーザの呪符に、多産を祈る大地母神アシャルティアの護符などもある。

 とはいえ、夜ともなればおそらくはみな、眠りに就くのだろう。明かりとなるのは真鍮の燭台に刺した悪臭を放つ獣脂の蝋燭くらいのものだった。レクセリアが見慣れているような魔術照明など、あろうはずもない。

 これでも、村長の家なのである。ちらりと見た他の家々は、信じられないほどに古びた木造の小屋のように見えた。もし大きな嵐でもくれば建物ごとあっさりとつぶされてしまいそうだ。

 とはいえ、こうした農民が、アルヴェイアの民のほとんどを占めるのである。


「そんなに珍しいか?」


 リューンの言葉に、レクセリアははっとした。


「いえ、その……」


「なに、これでもまだ、ずいぶんとましなほうだ」


 リューンは言った。


「もっとひどい貧乏百姓の家なんか、こんなもんじゃない。冗談じゃなくて、家畜小屋と大差ない。実際、家の中で大兎とか羊とか飼っている家も珍しくないしな。おまけにこんなご時世だ。税だけはやたらととられるくせに、領主もまともな領民を守ってくれない。それどころか、いまじゃあアルヴェイアもグラワリアも内戦はじめて、えらいことになっている。実際、あのウォースクドってウォーザの坊主の言っていることが本当だとしたら……ネス領内もむちゃくちゃだ」


「そのことですがね、旦那」


 髭面の巨漢、ガラスキスがいつもの癖で顔の髭をしごきながら言った。


「どうにもこう……いろいろとそれとなく村人に聞いてまわったところ、本当にアルヴェイアはとんでもないことになってるらしいですぜ」


 ガラスキスは話を続けた。


「まず、諸侯たちは完全に国王派とエルナス公派に分かれている。それで、地方の領主たちがばらばらにそれぞれについて、もう小さな小競り合いが頻発しているらしい。ただ、いまのところは、どうも国王派が有利って話ですがね」


「そうなのか?」


 リューンには少し意外だった。国王派と言われても、まともな武人がいまのアルヴェイアにいるとは思えなかったのである。その点、エルナス公はああみえて軍事などでもなかなかくえない才の持ち主だとリューンは評価していたのだ。


「なに、王様は例によって飾りで、なんにもしてないらしいんですが……国王派の側近のセムロス伯が、親戚のセヴァスティスの野郎をアルヴェイアに招いたらしいんですよ」


 途端にリューンの顔つきが変わった。


「おい、冗談だろう? セヴァスティスって……あの、ネヴィオンの西方鎮撫将軍か!」


 ガラスキスがうなずいた。


「そう……『あの』セヴァスティスの野郎です。しかも二千五百もの兵を率いて、実質、いまじゃ国王軍の中核みたいになっているとか」


「なぜ……なぜ、セムロス伯はそんな愚かなことを」


 思わずレクセリアは叫び声をあげそうになった。

 セヴァスティスの噂なら、レクセリアも知っている。とにかく残虐な男で、アルグ猿の血が混じっているとも噂されているほどだ。


「セムロス伯ディーリンは、確かに妻はネヴィォンのリュナクルス公家から招き、セヴァスティスとは親族とはいえますが……なるほど、ディーリンは軍事は苦手、という話でした。それで、セヴァスティスを招いたのでしょうが……それは、諸刃の剣」


「でも、とりあえず……まあ、緒戦ではセヴァスティスは活躍したらしいですな。王家に反旗を翻したナイアス候ラファルを、あっさりと下している」


 ナイアス候ラファル。いつも顔の半分を髪で隠している端正な壮年の男の姿が、レクセリアの脳裏をよぎった。

 確かに、ナイアス候ラファルはエルナス公ゼルファナスとは、わりと親しい間柄だったと記憶している。しかし、ナイアス候といえば古くからの王家の譜代だったはずだ。

 もう、そんなことが通用する時代ではない、ということだろうか。


「とりあえず、ナイアス候はナイアスの城壁のなかにこもったらしいんです。西からエルナス公がくるのを待っていたんでしょうな。ところが、セヴァスティスの野郎、どういう『魔法』を使ったのか知らないですが、ナイアス候は乱心して、城内の兵を使って、自分の領民を殺そうとした」


 まさにそれは、狂気を司るホス神にでも憑かれた乱心、としかいいようがない。


「それで城門を開いて逃げようとした領民は、そのまま城を包囲していた王軍により、虐殺されたらしいです。数は……五万」


 さすがのレクセリアもぞっとした。


「しかもただ殺しただけではなく……拷問をしただの乱暴をはたらいただの、あげくは料理してくっちまっただの……いろいろと派手な噂が流れています。どこまで本当かはわかりませんが……」


「あのセヴァスティスが率いている兵隊ならやりかねねえな」


 リューンが派手に舌打ちした。


「あいつの下にいる兵士は……どんどんセヴァスティス流のやり方にならされて、おかしくなっていく。しかし、国王派もこのままじゃ完全にセヴァスティスに取り込まれて……気づいたら、国ごとあいつに乗っ取られかねねえぞ」


 それは、レクセリアにはとうてい、笑い事とは思えなかった。


「それで、もう一方のエルナス公のほうですが……こっちはこっちで、またもの凄いことをやっています。エルナス公は、ナイアス候の救援には行かず、なんとセムロス伯の本拠地であるセムロスを急襲した」


 それは、少なくとも戦略としては悪いものではなかった。ナイアスに敵兵をひきつけておくうちに、セムロス伯の領地を占領するという発想自体は、悪くはない。

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