11 王族の宿命
「それは……」
一瞬……ほんのわずかな間だけ、ゼルファナスはその美貌に驚愕の色を浮かべたが、すぐに微笑すると言った。
「まことに、おめでとうございます! これは、まさに王国の慶事といわねばなりますまい!」
「ありがとうございます」
ミトゥーリアが、相変わらず弱々しい笑みをたたえたままそう言った。
ゼルファナスの言うとおり、王妃の懐妊は王国と王家にとって、まさに喜ばしいこととしかいいようがない。
なにしろ昨年の林檎酒党を名乗る南部諸侯の反乱以来、アルヴェイアは多難続きだった。
もしここで王妃の懐妊を発表すれば、民もさぞ喜ぶことだろう。
少なくとも、アルヴェイアの王統は維持されることになるのだから。
だが、物事には何事にも時機というものがある。
なぜミトゥーリアが自分とこうして内密にあい、まるで秘めるべきことのように国王の子の懐妊を告げたのか、ゼルファナスの明敏な頭脳はすぐに理解していた。
「確かにめでたいことではありますが……なるほど、『そういうこと』ですか」
「ええ……」
ミトゥーリアが、体をびくっと震わせた。
「まだこの事実を知っているのは、ソラリスの僧侶とイリアミスの尼僧、それと内々の侍女たちだけです」
「その者たちは皆、信用できますな」
アルヴェイア王国の王妹にして第一王妃は、ゆっくりとうなずいた。
「みな、信のおけるものばかり……だと思います。少なくとも、自らセムロス伯に内通する者はおらぬでしょう……」
セムロス伯。
確かに、第一王女の妊娠は王家の慶事である。
だが、いまちょうど、シャルマニアという娘を国王の閨房に送り込むことに成功したセムロス伯にしてみれば、まるで事情は違ってくる。
シュタルティスは、いまのところ、新たなおもちゃを与えられた子供のように、シャルマニアに夢中になっている。
だが、その彼がミトゥーリアの妊娠を知ればどうなるか?
シュタルティスも人の子である。
我が子が生まれると知れば、当然、喜ぶものではないだろうか?
実の妹との子とはいえ、三王国王家からすればそれは特に忌むべきことではない。
むしろ、血が近しい相手との子ほど尊貴な者とみなす傾向すらある。
さらに、もしミトゥーリアの子が男子であれば、事態はより複雑なことになる。
現在のアルヴェイア王家には、シュタルティス以外の男子がいない。
そのため、残る王位継承権者はみな女子ばかりである。
だが、三王国王家はみな、原則として男系による相続を旨とする。
つまり、もしシュタルティスに王子が生まれなければ、王朝が途絶える恐れさえあるのだ。
その場合、王位は自動的に、王家からの血は何代も前に遡るとはいえもともとが親王家であるエルナス公家当主、ゼルファナスに移ることになる。
中継ぎとしての女王を認めているため、ゼルファナス自身の王位継承権は低いが、シュタルティスに王子が生まれなければ、いずれゼルファナスに王位が就く可能性は高い。
実をいえば、ゼルファナス自身、それがもっとも安楽に王位を得る手だと考えていたのだ。
だが、ミトゥーリアが懐妊したのが男子だとすれば、次代の王位継承権はその子供に移ることになる。
つまり、いまミトゥーリアの腹の中にいる子供が王位を継ぐことになるのだ。
これは微妙なところだな、とゼルファナスは思った。
(だが……こうして、私に秘事を打ち明けてくれるとは、幸いにしてというべきか、いまだ私はことミトゥーリアに関しては信頼されているようだ)
もともとその美しさと妖しい魅力で、ゼルファナスは多くの者を惹きつけてきた。
彼の魔力に近い吸引力から逃れたのは、あの忌々しいレクセリア王女くらいのものだ。
一瞬、不快なことを思いだしてしまい、ゼルファナスは眉宇を寄せたが、すぐに微笑を取り戻すと言った。
「それにしても……この私を信じてくださるとは、臣として嬉しゅうございます」
「エルナス公……いえ、ゼルファナスどのは私の従兄弟でもあるのです。あなたを信ぜずして、誰が頼りになるというのでしょうか」
なるほど、ミトゥーリアの言うこともある意味ではもっともだった。
なにしろこの青玉宮では、いま現在、エルナス公派とセムロス伯派の政争が続いている。
セムロス伯は自らの娘を王に嫁がせようとしたり、あるいは文官たちを買収したりして、王権と王国の力を自らのもとに取り込もうとしている。
そのセムロス伯からすれば、この時期のミトゥーリアの懐妊は、大きな痛手となるだろう。
もしこれで再びシュタルティスの寵愛がミトゥーリアにもどれば、シャルマニアが第二王妃につけるかどうかも怪しくなってくる。
さらにミトゥーリアの孕んだ子が男子であれば、王位継承権者としては完璧である。
そうなれば、シャルマニアが第二王妃となったとしても、その子が王位に就く可能性は限りなく低くなる。
つまり、セムロス伯の野望は潰える。
だとすれば、セムロス伯はどう動くか。
「私は……私は、ディーリンおじさまは大好きです」
ミトゥーリアが、震える声で言った。
「ですが……あのかたは、セムロス伯爵でもある。ディーリンおじさまは好きでも、『セムロス伯爵』が、私は……怖いのです」
個人としての人格と、公人としての人格が違う。
権力者にはわりとありがちなことではあった。
個人としては情の厚い人物だったとしても、権力者、公人としてはいくらでも冷酷になりうるという人物が存在する。
ミトゥーリアは、セムロス伯のそうした一面に気づいているのだろう。
セムロス伯の政治手腕は、ゼルファナスの見る限り、中の上、といったところだ。
それなりに手堅い手を打ってくる精力的な策士だが、飛び抜けたところはない。
温顔伯の異名の通り、一見すると好人物の中年男である。
だが、ミトゥーリアの懐妊を知ったら、どう反応してくるだろうか?
なにぶん、妊婦というものは流産の危険にさらされやすいものだ。
ただでさえか弱い身なのである。
だとすれば……たとえば「不幸な偶然によって」ミトゥーリアの子が流れる、といったこともあるかもしれない。
侍女の不始末、あるいは階段からの転倒といった「不慮の事故」……いくらでも、手はある。
それを、母としての本能でミトゥーリアは知っているのだ。
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