8 ウォーザの老僧
「なるほど……確かに、私の『正体』が露見すると、彼らにも迷惑がかかる……」
実際、レクセリアの政治的な立場は、非常に微妙な位置にあるのだ。
彼女にはまずヴォルテミス渓谷の戦いでの敗北の責任がある。さらにいえば、彼女はアルヴェイア王家の意志に関係なく、勝手に結婚してしまった。もっとも、これはガイナス王により無理矢理「結婚させられた」ものではあるが、それでも王族の結婚というのは、それ自体、きわめて政治性の強いものである。
さらにいえば相手は、ガイナス王から王位を譲られたとはいえ、傭兵くずれの、王家からみればどこの馬の骨ともしれぬ男なのだ。面倒なのは、名目上は彼が……つまりリューンが、誰も認めてはいないとはいえグラワリア王位の保持者である、ということである。
グラワリア諸侯は、少なくともリューンは「王位簒奪者」であると見なしている。もしリューンがこのネスに現れたとしれば、玉璽を奪うために軍勢を差し向ける者もいるだろう。また、レクセリアはレクセリアで、国王派、エルナス公派、いずれからも接触がはかられるに違いない。どう転ぶかは、この段階ではまだまったくわからないが。
もしここで、派手に野盗を退治してあまり大きな噂にでもなってしまえば、今度はネス伯領を中心にして大きな戦が起きる可能性がある。
「まったく……面倒なものですね」
ときおり、レクセリアは王族という自らの地位の重さに、うんざりさせられるときがある。
とはいえ王族たる者、民のために「職責」を果たさねばならない。それが、ヴィオスの彼女に対する「教育」でもあった。
「しかし……いつまでも、ここであいつらとにらめっこしてるわけにもいかねえな」
リューンはそう言うと、背に負った大剣の柄を握りしめ、ゆっくりと構えた。
おそらくその仕草は、農民兵たちからも見えたはずである。
「リューン! いえ、陛下! なにをなさるおつもりですか!」
「心配するな」
リューンは苦笑した。
「このままじゃ、どっちにしろ埒があかないだろ? 安心しろ、俺だって戦には慣れている。とりあえず、こういうときは相手の出方をみるために誘いをかけるのが常道ってもんだ」
とはいえ、話し合いではなくまず先に剣を構えるあたり、いかにもリューンらしいところではある。
「これで、向こうもなにか……行動をとらなきゃならなくなる。さて、これからどうでるかな……」
レクセリアが眉をひそめた。彼女にしてみれば、「夫」の相変わらずの態度に、なかば呆れ、なかば諦めているらしい。
「まったく……野盗とは戦うなといいつつ、農民たちに剣をむけるなとど……」
そのときだった。
農民たちに、変化が起き始めた。
彼らはみな、手にしていた武器を、大地に置き始めたのである。
「ん?」
さすがにこれは、リューンも想定していなかった。
一体、なにが起きたというのだろうか。
自ら武装を解く、ということは少なくともこちらにむけて敵意をむきだしにしているということはない。むろん、それがこちらを油断させるための罠である可能性はあるわけだが。
やがて、茶色に汚れた亜麻のシーツらしいものを木に巻いた、即席の旗を農民たちは振り始めた。
白い旗は、俗に「イリアミス旗」と呼ばれる。イリアミスは慈愛と癒しの女神であり、また平和の象徴ともされる。
この旗は普通、休戦、停戦、あるいは降伏の際にふられるものだ。
「なんだ……いきなり降伏かよ。味けねえなあ」
「陛下」
レクセリアが鋭い目をむけてきた。
「一体なにを期待しておられたのですか?」
「いや、別になにってわけでもねえんだけど、ただ、なんかあっさりしてるなあと」
リューンは笑った。
むろん、あんな農民兵たちと戦うつもりははじめからない。最初から勝負が見えているし、もし戦っても一方的な虐殺となって後味が悪いだけだ。
だがそれでも、ついついなにかもめ事を期待してしまうあたり、リューンヴァイスという男の本質はあまり変わっていないようだ。
やがて、白い旗を振りながら一人の老人がこちらに歩み寄ってきた。
豊かな白い髪に、白い髭を生やした老人である。その衣服も、もとは白いローブだったらしいが、いまでは泥などで淡い褐色になっている。
老人の胸元には、青い稲妻を象った印が縫い取られていた。
それを見て、リューンは相手の正体を悟り、深々とため息をついた。
「おい……ていうか、またかよ! 冗談だろう? 『あのおっさん』はまたぞろ、こんなことを……」
老人がまとっている衣服は、嵐の神ウォーザに仕える僧侶のものだったのだ。
セルナーダの農村部では、俗に「実りの神々」と呼ばれる信仰がある。これは、農産物の生産にかかわるさまざまな神、すなわち太陽神ソラリス、大地母神アシャルティア、そして嵐の神ウォーザといった神々を崇める信仰形態だ。
一応、この地では主神は太陽神ソラリスということになっているが、農村部ではそれ以上に、大地母神アシャルティアが熱心に崇められている。そして実りの雨を降らせてくれるということで、嵐の神ウォーザも依然、重要な神格としての位置を占めているのだった。
そのウォーザの僧侶が歩み寄ってくるのは、決して偶然ではないだろう。
「まったく……どこまでいっても、いちいちいろいろとお膳立てされてるってのも、なんだかなあ」
正直にいえば、リューンには愉快ではない。
だが、ウォーザの老僧は、リューンの両目を見ると感激のためか、体を震わせた。
「おお……まさしく、神託の通り。そして、古来よりの伝承の通り。あなたさまこそが、『ウォーザの目」をもつおかた……すなわち、神により使わされた『嵐の王』であられますか」
「別に、遣わされたってわけじゃねえがな」
リューンはなんとか不快さを押し殺した。
「そのようなことを仰せられても、魔の森といわれるアスヴィンより現れるなど、神の加護なくしておこりえぬこと。私はたしかに神託を受け取りました。あなたさまこそが、このネスの地を平定し、野盗やグラワリアの賊をたいらげる神の御使いであると」
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