10  砕かれた王国

 落ち着かなげに舌打ちし、ときおり金杯に注がれた葡萄酒をあおるシュタルティスは、どう見ても国王にふさわしいとは思えない。


「真に、陛下の仰せられるとおりです」


 国王の傍らにいた大男が、淡い笑みを浮かべた。


「賊軍どもは、いまや陛下と王家への崇敬の念を忘れ、あの反逆者……エルナス公ゼルファナスのもとに参集しつつあるとか。さらには、あちこちでエルナス公支持を宣言する諸侯も出始めております」


 セムロス伯ディーリンが、なめらかな口調でそう言った。

 だが、ときおり、ネルトゥスはどうにもおかしな違和感を、ディーリンに対して感じることがある。

 セムロス伯ディーリンとは……果たして、こんな「小物」だっただろうか、と。

 大ぶりな顔立ちに大きな目、そして大きな耳。なるほど、一見すると、当たり前の話だがその顔立ちは以前と変わっていない。

 だが、中身はとなるとまるで、大違いなのである。

 一体、人がこれだけの短期間にこれだけの変化を遂げることがありうるのだろうか、とさえ言いたくなる。

 かつてのネルトゥスが知っているディーリンはとてつもない精気に満ちた、一種の巨人だった。体もむろん大きいが、それよりなにより、肉体に治められた器量の巨大さは、誰もが認めるところだった。

 普段は「温顔伯」と呼ばれるほどのにこやかな人物だが、一度、ディーリンが怒ればその目は凄まじい輝きをおびる。政治的な策謀にも長け、アルヴェイア政界の裏にひそかやに君臨していたのだ。

 だが、あのナイアス陥落からこのかた、あまりにもディーリンは変わってしまった。

 あるいは、ナイアスでの虐殺によりディーリンも衝撃をうけたのかとも思ったが、いまでもナイアスのことを、なんでもないように話すディーリンを見ていると、どうもそういったわけでもないらしい。

 ただ以前ほどの、こちらを圧倒するような覇気、あるいは霊気のようなものがまるで感じられなくなったのは事実である。

 ときおり、ふとネルトゥスは思う。

 これは、まさかとは思うが……ただ、ディーリンに似ているだけの別人なのではないか、と。


「……すでにオーヴァンス候ダイセスは、我らに忠義を誓っております。しかしながら、王国南部の諸侯は、王軍につくもの、そして賊軍につくものに見事に割れ……」


 地図の上を指さしながら、流暢に状況説明を続けているディーリンを見ていると、どうにも不審の念をぬぐうことができない。

 ありえないとはわかっていても、ディーリンはやはり別人のような感じがするのだ。

「あの、セムロスでの一件が効いたようですな。セムロスであの男は……エルナス公は、我が民を殺戮した!」


 ふいに、ディーリンが声を荒らげた。

 すでに、セムロスの都での「涙の虐殺」については、このアルヴェィア王都メディルナスにまで話が伝わっている。


「ゼルファナスは、王国の民と称して、我が民を殺してまわった! なんという恐ろしく、そして忌まわしいことだ! その、殺された民の数は五万……このようなことは、とうてい、許せぬ! 奴らは、王軍の非道を糺すためと言って、泣きながら五万の民を殺戮したという! しかし、こんなものは偽善に他なりません! おそらくゼルファナスはやはり、忌まわしい死の女神の信者なのでしょう! その神を捧げるために、あの男はセムロスの領民を……私の民を殺したのです!」


 顔を真っ赤にして、ディーリンは叫んでいる。

 なるほど、たぶん、怒っている……のだろうか。

 だが、そこにもまた違和感を感じるのは、ネルトゥスの気のせいというものなのだろうか。

 セムロス伯ディーリンが、自分の領民を家族のように、あるいは実の家族よりも遙かに大切なものとして扱っていたことは、アルヴェイアの民であれば誰もが知っている。それは、領主と領民というより、実の親子のようなものであったと。

 その「実の子」を五万も殺されたのに、ディーリンの怒りが「この程度で」すむものなのだろうか。

 ネルトゥスも、ハルメス伯という領主である。王国南西部の広大な伯爵領を領している。もともと武人として外征に引っ張りだこの身で、領地にいる時間は実のところさほど長いわけではないが、それでももし領民がこれほど殺されたら、きっと理性を失うだろう。

 しかも、ディーリンは実の子すら、三人も殺されているのだ。

 確かにセムロス伯の子からは三人いても誰もが凡愚としか言いようのない者たちであったという。

 だが、それでも血の繋がった子が三人、殺されたわりにはどうにも、ディーリンの怒りは、浅い。

 いや、それだけの衝撃をうければ、事と次第によっては、ディーリンですら立ち直れないほどの心理的打撃をうけるはずである。

 あるいはそれに耐えた結果が、いまの、どこか精気を欠いたディーリンの姿なのだろうか。

 確かに、そういう見方も出来ないことはないが……。


「しかし、これは、見事にアルヴェイアが二つに割れましたなあ」


 相変わらずくちゃくちゃと音をたてて赤鶏の股肉を食いながら、セヴァスティスが言った。


「王軍に賊軍……まさに、まっぷたつだ」


 実際、地図の上をみれば、いまのアルヴェイア王国の混乱ぶりがよくわかった。

 所領の上には、二種類の小さな旗が立てられている。一つは青で、いま一つは赤だ。

 青はアルヴェイアという国家の色であり、こちらは王軍側のついていることを意味している。

 林立する青い旗の間に割り込むようにして、幾つもの赤い旗が並んでいた。

 赤い旗は、本来は北東に位置するグラワリアの色だが、いまは賊軍の色となっている。

 青い旗のほうがわずかに数が多く見えるが、やはり赤い旗の勢力はほぼ互角、と考えるべきだろう。

 この地図を見ていると、さすがのネルトゥスも肝が冷えてくる。

 二つの軍勢がたとえば王国の東と西で綺麗に分かれているのならば、大軍勢を集めて一回の会戦で勝負がつく、ということもありうるだろう。

 だがこれだけ細かく敵対関係ができてしまえば、王国中で二派に分裂したアルヴェイアの民が、際限なく小競り合いを繰り返すという、ある意味では悪夢のような状況に陥るのではないだろうか?


 

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