12  大虐殺

 確かにナイアスは陥落する。だが、この大虐殺の噂は王軍の声望を地の底まで落とすのではないのか……。

 そこでまた、ネルトゥスはぞっとした。

 いや、そこから先のこともまた、あのセヴァスティスは考えている。

 もはや武人の誉れ、あるいは軍としての徳望などといったきれい事が通用しないような凄まじい戦をセヴァスティスは始めるつもりなのだ。

 つまり、より周囲を恐怖させたほうが……多くの味方に恵まれる、そういった状況をセヴァスティスは作ろうとしている。

 王軍に容赦も慈悲もかけらもないとなれば、諸侯たちはこぞって「王軍につく」だろう。もし王軍の敵にまわれば、民であっても死は逃れられないのだから。

 だが、だとすれば……だとすれば、エルナス公はどうするのだ?

 エルナス公は……あるいはそれ以上の「恐怖」を演出するしかないのではないか?

 これは少なくともセムロス伯ディーリンの計算から外れた戦争になる。血で血を洗う、アルヴェイアそのものの存続に関わるような大戦になる……。

 そのときだった。

 ナイアスの城門が、内側から開かれた。

 一体誰が開けたのかはわからない。逃げ場をもとめた民衆なのか、あるいはナイアス候の兵士たちがわざと開けたのか。

 いずれにせよ、五千五百の完全武装した兵士たちの前に、まったく無防備な民衆たちが殺到した。


「助けて! ナイアス候は……侯爵様がホスに憑かれた!」


「ナイアス候は乱心なされた! 助けて!」


 奇妙なことに、逃げ出してくるナイアスの住民たちは、老若男女をとわず、みな目の回りに痣のような化粧をしていた。

 そういえば、ナイアス候といえば痣で有名だったが、それとなにかこの怪事は関係があるのだろうか。だが、このままじっとしているわけにはいかなかった。

 ナイアス市民の数が、あまりにも多すぎる。

 まるで怒濤のように人々が迫ってくる。いくら非武装とはいえ、こうなってしまうと人の数だけですでに脅威といえる。セヴァスティスの言っていた、攻撃せねばこちらの陣が崩壊すると言っていたのはあながち大げさな話でもない。

 その危険を本能的に感じとったのか、後ろからは兵士たちの騒ぎ声が聞こえてきた。


「このままじゃまずいんじゃないのか!」


「なんで騎士が突撃しないんだ!」


 戦の作法としては、まず騎士が突撃する。そしてそのあとに大量の歩兵が続いて敵をなぎ倒していく。それが常道というものだ。

 だが、無抵抗な市民につっこめというのか。

 そのとき、本陣のあたりから戦笛が高らかに鳴らされた。それは、突撃を命じるものである。

 同時に、左右に控えていた弓兵が、ついに大量の群衆にむかって矢を射かけはじめた。一斉に放たれた矢はわずかの間、天を翳らせると何百、何千という人々の体に突き刺さった。


「ぎゃあっ」


「ひっ!」


 あちこちで血の花が咲き、人々が転倒していく。だが、それでも狂乱状態になった人々は、まるで救いを求めるようなネルトゥスのもとにむかって駆け寄ってくる。

 限界だ、とネルトゥスは思った。

 いま駆け出さなければ、「敵軍」への衝撃力は弱くなる。この機を逃せば、逆にこちらの陣が崩壊し、壊走させられることになるのだろう。

 いくら相手が武器や鎧をもっていなくても。殺到する群衆にはそれだけの力が備わっている。

 ネルトゥスは歯がみをすると、覚悟を決めた。

 なんという汚い戦だ。否、これは断じて戦などではない。ただの大虐殺だ。

 だが、それでも一度参陣した以上、負けるわけはいかない。

 これ以上、「敗北伯」などと呼ばれたくはない。が、勝ったら勝ったで、おそらくこの「ナイアスの大虐殺」に参加したとして後世に汚名が残ることになるだろう。

 いつからこんなおかしなことになってしまったのだろうか。

 群衆の悲鳴が近づいてくる。何度も矢の斉射をうけても人々はほとんど無尽蔵に城門から吐き出されてくる。

 ネルトゥスは右手を高く掲げると、叫んだ。


「騎士隊! 突撃!」


 同時に馬腹を蹴って、馬を駆けさせていく。

 速度があがる。横には麾下の騎士たちが併走しているのがわかる。群衆の顔が一人一人、識別できる。

 驚いた顔をした若い女。両手をさしのべてなにかを受け止めようとするかのような老婆。肩に刺さった矢を引き抜こうとしている男は、青い絹の衣装をまとっているのでそれなりの富裕階層らしい。

 それにまだ五歳くらいの金髪の少女がいた。その傍らには、卵形をしたなにかの腐ったものをかかえて狂乱している中年男がいた。

 皆、これから死ぬことになる。

 いな、彼らは死なねばならない。ここで彼らを殺さなければ、それこそこちらの陣形が崩壊しかねない。悔しいが、セヴァスティスの言っていることは正しい。

 誰かが咆吼をあげている。

 それが自分の声だということにしばらくの間、ネルトゥスは気づかなかった。

 怒り。哀しみ。そのほかに、このような運命に自分を駆り立てる宿命の女神に対する罵声を混じっていた。またこのようなおぞましいことをさせるセヴァスティスに対する侮蔑すらも超越した憎悪も混じっていた。

 敗北伯にかわって次はなんと呼ばれるのか。

 そんなことを考えている間に、どんどん群衆は迫ってくる。世界から色彩が失われていくような気がする。


「助けてーーーーーーー」


「いやああああああああ」


「やめてくれ! 俺たちは逃げてきたんだ! なんで俺たちがこんなことに!」


 なんで、か。それは俺だって聞きたいことだ。

 たぶん俺たちは運がなかったのだ。あるいはセヴァスティスの手のひらで踊らされていたということか。

 ただ一つ違うのは、俺はこれからお前たちを殺し、後の世に忌まわしい悪名を轟かせるだろうということだ。

 五歳くらいの金髪の少女が泣いていた。彼女はなぜこんなことになったのか、まるでわかっていないのだろう。

 その瞬間、ネルトゥスの愛馬の蹄が、少女の頭を無惨に踏みつぶした。

 


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