11  異変

 城内でなにか異変が起きていることは明らかだった。

 凄まじい喧噪や人々の悲鳴が、城壁の内側から聞こえてくる。


(一体、あの男は……セヴァスティスは『なにをやった』というのだ)


 昨日、言われた言葉をネルトゥスは脳裏で反芻していた。

 無辜の民を虐殺できるか。

 確かにセヴァスティスはそう言っていた。およそ正気とも思えぬ言葉である。普段のネルトゥスであれば、まともにとりあうこともなかっただろう。

 だが、あのセヴァスティスという男……ただ、残忍なだけの将軍ではない。


(なにか……俺には想像もつかんぬような謀略をしかけたのだ……あの男は、ナイアスの都に間者を放ち、なにかをした……)


 だが、それが具体的にどんなことなのかまでは、ネルトゥスには想像もつかない。

 一部の兵を内応させたのだろうか。が、ナイアス候領の騎士や兵士はみな忠誠心が高く、侯爵に絶対といっていいほどの忠誠を誓っているという。


(どうやって裏切らせた? いったいなにを餌に……)


 さすがのネルトゥスもいま、現実に起きている事態を想像することすら出来なかった。

 つまり「ナイアス候の命令により、城内の騎士や兵士が市内の人々を殺している」という恐ろしい現実を。

 とはいえ、それも無理のないことではある。それは常人の想像を遙かに超えた、異常事態なのだ。


(なにをやった……セヴァスティス……)


 さきほどから、言いようのない悪寒が足下から這い昇ってくる。馬上でこうして城壁を凝視ながらも、人々の悲鳴だけでなかで惨劇が繰り広げられていることは容易に想像が出来た。

 そのとき、伝令らしい騎士がセヴァスティスが本陣を構えている右手のあたりからこちらに駆け寄ってきた。


「ネルトゥス卿! 間もなく、城壁の内側から門が開けられ、大量の避難民が現れるかもしれぬとのセヴァスティス将軍からの伝言です!」


 呆然とネルトゥスは口を開いた。

 なにが起きているのか、まったく状況が予想できない。あるいはセヴァスティスは城内に兵でも潜ませていたのか? それとも……。

 いや、なぜそんなことになっているのかいまさら聞いても仕方がない。問題は……その避難民をどう扱うか、だ。


「相手は無辜の民だ。すでにナイアスは墜ちた……そう考えてよいのだな」


「いえ」


 伝令の声は、心なしか震えていた。


「それが……その、『城外に出てきたものは皆殺しにしろ』とのことです。というよりも、そうしなければ……最悪、こちらの軍が壊走を始めるとセヴァスティス将軍は仰っています」


 馬上でネルトゥスはぶるっと体を震わせた。ひどい吐き気がこみあげてきた。

 五万の敵。

 やはり、あのときセヴァスティスはナイアスの都の住民のことを言っていたのだ。

 五万。

 実際にそれほどの人数が出てくるとは思えない。なぜなら、ナイアスは南岸の都にも城門があるからだ。

 だが、もし城門が開けば、なかから大量の市民たちが一斉にあふれ出してくる可能性がある。

 セヴァスティスの言っていることは、ある意味、間違っていない。

 なにしろ相手は非武装とはいえ数が多いのだ。一歩間違えれば、こちらも陣形が維持できずに壊走状態になる可能性がある。

 この時代の戦とは「壊走したら負け」である。つまり、精神的に戦線を維持できる限界的を越えた時点で、その軍勢は敗北したといえるのだ。


(あるいは……まさか、それをねらったナイアス候の奇策なのか?)


 それは違う。ナイアス候は、民からの信望も厚く、候自身、領民を大切にしていたはずだ。だからこそわざわざ近在の農民を、戦では不利になるのに城内に避難させたりもしている。

 そのナイアス候がなぜこんなことをするのか。

 そうだ。やはりナイアス候になにかあったのだ。そうでなければこの異変には説明がつかない。だが、神ならぬネルトゥスにはセヴァスティスの「罠」がどう機能したのか、想像もつかなかった。

 問題はこれからだ。

 自分は伯爵であり、騎士である。戦場で一度、まびさしをおろせば一つの戦争機械となって戦うことができる。

 だが、これはまともな戦ではない。

 あたりに居並んだ、ハルメス伯家の歴戦の騎士たちも、とまどいは隠せずにいるようだ。彼らはフィーオン野の戦い、ヴォルテミス渓谷の戦いで敗戦し、グラワリアに捕虜として捕らえられ、いわばネルトゥスとともに辛酸をなめつくしてきた歴戦の騎士である。

 その彼らすらも、異様な空気に気を呑まれている。


「閣下」


 傍らにいた股肱の騎士リクスが言った。


「さきほどの伝令……真でありましょうか。とても正気とは……」  


「セヴァスティスは冗談でこんなことは言わない。さらにいえば……将軍は……」


 思わず、ネルトゥスはぎりっと歯を噛みしめた。


「いや、『あの男』は……本気だ。本気で、門から出てきたナイアスの住民を皆殺しにするつもりだ」


 それは、輝かしい戦果などでは断じてない。無抵抗の相手を殺すなど、つまりはただの虐殺だ。それは戦と呼べるものではないはずなのだ。

 だが、ネルトゥスたちの背後に控える、あちこちの諸侯が率いてきた、いわば雑兵たちは、みなどこか浮き立ったような顔をしていた。

 最悪だ、とネルトゥスは思った。

 あの男は最初から、すべてを計算づくでやっていたのだ。アルヴェイア人同士、といった仲間意識を、いまのナイアスの住民に対して雑兵たちはまったくもっていない。

 そこにいるのはただの「殺していい敵」なのだ。

 セヴァスティスが拷問に近いことをナイアスの城壁の前で行ったのは、なかの者を恐怖させるということもあるが、それ以上に「敵軍にはなにをしてもいい」という意識を王軍の兵卒たちに植え付けるためではないのか。

 まずい、とネルトゥスは背筋に寒気を覚えた。

 たぶんこれから、三王国史上、否、セルナーダ史上に類例のない大虐殺が繰り広げられることになる。

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