8  ゼルファナスの野望

「……しかしとんだ茶番だったね」


 自らの天幕に戻ると、小姓のフィニスに向かってゼルファナスは言った。


「ラファルもネスファーも、本当は邪魔者がことごとく消えてくれて嬉しくて仕方がないっていうのに」


 それを聞いて、フィニスが言った。


「それは閣下も同じことでしょう。閣下のお嫌いなレクセリア殿下は、ガイナス王の捕虜となりました。内心では、手を叩いて喜んでおられるんじゃないですか?」


 フィニスが差し出したジョナ茶の碗を受け取ると、ゼルファナスは馥郁たる真紅の液体をゆっくりと飲み干した。


「フィニス、君はいつも私を誤解しているようだね。私は、レクセリアを好いてはいない。それは事実だ。だが、彼女は重要な私の手駒でもあるんだよ。なにしろ王家のなかで王族としてまともな能力があるのは彼女だけだ。少なくともシュタルティスよりは、純粋に能力としてみればレクセリアのほうが王……いや女王たるにふさわしい」


 ジョナ茶に口をつけたまま、しばしゼルファナスは秀麗な眉を寄せていた。


「ん……そうか。なるほど。だとすれば、この手は使えるかもしれないな。レクセリアがガイナスのもとにいる間に使える手だ……」


「またなにか、よからぬことを考えておいてですか」


 それを聞いて、ゼルファナスは妖しい笑みを浮かべた。


「王になる、というのがよからぬたくらみというのなら、そうだろうね」


 ゼルファナスは、優雅な仕草でジョナ茶の碗を傾けた。


「でも私が王になるのは、私利私欲のためではない。すべては姉上のためだ……フィニス、君だって理解していると思うが」


「ええ」


 フィニスはうなずいた。


「姉上様の望みも、ゼルファナス閣下が王となってはじめて果たされるものですからね」


 ゼルファナスはそれを聞いて、無邪気な子供のようにあの闇色の瞳を輝かせた。


「きっと姉上は綺麗だろうな……『式』には、どんなドレスが似合うだろう……」


 ふと、なにかに気づいたようにゼルファナスが言った。


「ところで、ネルディはずいぶんと暑いが、姉上のお体は大丈夫だろうか? エルナスでもこの暑さが続いているようでは……」


「平気ですよ。『私の仲間』がちゃんと『姉上様の防腐』を心がけているはずですから」


 フィニスはくすりと笑った。


「しかし今日は、めでたいですね。戦でも人が死に、さらにガイナス王は一万もの兵を殺してくださった。我らの女神も、さぞお喜びかと思います」


 それを聞いて、ゼルファナスが苦笑した。


「全く呪われた女神だね。大いなる死の女神は、自殺、他殺をとわずあらゆる死をよみし給う、か……」


「いずれ、あらゆる者は死にます」


 恍惚とした表情で、フィニスは言った。


「我らの『教団』は、生という不自然な状態に置かれた者たちが死によって解放されることを祝福するだけです。まあ……たまに、いやがる相手がいても無理矢理、解放して祝福してあげますが」


「だったら、どんどん解放してやればいいんだ」


 ゼルファナスが笑った。


「この地上には、どれだけ多くの生あるものがうごめいていることだろう。フィニス、私はいつか話したかと思うが、この生きている者というのがひどく嫌いなのだよ。生きることは醜い。それに比べ……死のなんと美しいことか」


 エルナス公は、目に異様な光をたたえていた。


「だからね……私は姉上が生から解放された瞬間、とても嬉しかった。姉上は私の愛を拒み、私を怪物よばわりした。でも、それは姉上が生きているということが不自然なことだからだ。だから私は姉上の体を、生という不自然な状態から解き放ち、死という素晴らしい贈り物を与えた……」


 いつしかゼルファナスの闇色の瞳が、潤みだしていた。


「ああ! 想像するだけで涙がでる! 私はナイアス候やネス伯のような俗物とは違うんだ! 現世での富や権勢など、私にはまったく興味はない! だが、私はいつか必ず王になってみせる!」


 ゼルファナスはなにかに憑かれたように話し続けた。


「世間の愚か者どもは、姉に弟が恋をしたと聞けばおぞましいという! だが、王になれば……王になりさえすれば、誰もが私と姉上の結婚を祝福してくれるはずだ! 古来から三王国の王家は……王家だけが、姉弟の間での結婚を許されてきたのだから! だから……」


 ゼルファナスは、ジョナ茶を飲み終えると言った。


「私はいつか必ず王座につく。いかなる代価を払っても。いかなる試練があろとうも。いかなる困難にも打ち勝って、私は王となり、晴れて姉上を妻としてめとるのだ」

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