6  結婚

「大丈夫だ」


 ガイナスは死相の浮いた顔に笑みを浮かべると言った。


「それとも……『俺の代理人』をたてたほうがよかったかな」


 そうつぶやいて、苦笑する。

 ソラリス式の結婚式では、たとえば新郎が病人などの場合、代理人が新郎のかわりに式に出席することも許されているのだ。

 むろん、そうそう滅多にはないことだが。


「まだまだ陛下はお元気ですわ」


 レクセリアはそう言うと、微笑した。


(もう……ガイナス王は長くはない。死を目前に控えた者が、生前の愚行に目覚めた……そういうことかもしれない)


 なんとかレクセリアは、そう考えようとした。

 やがて二人は長い絨毯を歩き終え、祭壇の前へと立った。

 窓の向こうから、太陽の光が聖堂内に射し込んでいる。

 鬱金色のローブをまとったグラワリア大教区の僧正が、緊張した手つきで、黄金の錫杖をまずガイナス王、続いてレクセリアの上へとかざした。

 黄金の錫杖の先端は鏡となっており、窓から射し込んだ光が反射して、まずガイナス王の頭を照らす。


「ソラリスよご覧あれ。かの者こそは、夫となる者なり」


 続いて錫杖の反射光が、レクセリアの白みがかった金髪の上できらめいた。


「ソラリスよご覧あれ。かの者こそは、妻となる者なり」


 実際の、正式なソラリス神式の結婚式はかなり大規模な儀式となる。

 だが、今回のはガイナスの体調を考えた、きわめて簡素な、略式のものだった。


「ソラリスの日の下にて、これなる二人、ともに夫婦とならん……太陽の王、光の主よ、ご覧あれ。これなる二人は、死により生の輝きうせるそのときまで、夫婦なり」


 僧正が、震える声で古代ネルサティア語からなる経文を唱えていた。

 続いて、二人の前に、一枚の羊皮紙が差し出される。

 通常の結婚式では、この結婚証紙はあまり見られない。

 王族や貴族、騎士階級などの結婚式でのみ見られるものだ。

 これに署名することにより、神の前で二人は夫婦として「契約した」ということになるのだ。

 一度、この紙に名前を書いてしまえば、もう、後戻りすることはできない。


「さあ……レクセリア殿下。ここに、ご署名を」


 レクセリアは、緊張に唾を飲み込んだ。

 結婚とはいえあくまでも形式上のものである。

 別にガイナスと契りを結ばずともいいのだ。

 だが、それでも、これがレクセリアにとっては初めての結婚である。

 あるいはガイナスの死後、別の相手と再婚することになるかもしれないが、それでも女にとっては一生の大事だ。


「さあ……殿下」


 なぜか、ソラリスに仕える僧正の額には、汗が浮いていた。

 この聖堂は寒いほどだというのに、やはりさすがのソラリスの僧侶も緊張している、ということだろうか。

 レクセリアは覚悟を決めると、流麗なネルサティア文字で自らの名を一気にペンで署名した。


「ソラリスよごらんあれ」


 ひったくるようにして結婚証紙をレクセリアから奪い取った僧正が、うわずった声で叫んだ。


「これにより結婚の誓いはなされたり! 第二十五代グラワリア国王と、アルヴェイア王女レクセリアは、夫婦となれり! もはやソラリスの意志以外、二人をわかつ者はなし! 大いなる光の王よ、この二人をたたえ、見守りたまえ!」


 その瞬間、レクセリアは奇妙な違和感を感じた。


「よし……」


 ガイナスが、にいっという凄絶な笑みを浮かべる。


「レクセリア殿下……これで貴女は、第二十五代グラワリア王の、妻ということになる。俺も『代理人として』これほど嬉しいことはない……」


 一瞬、ガイナスの言葉の意味がわからなかった。


「陛下? なにをおっしゃって……」


 その瞬間、電撃のような悪寒が背筋を駆け抜けていった。

 いま、ガイナスは確か「第二十五代グラワリア国王」といった。

 だが、ガイナスは「第二十四代国王」のはずなのだ。


「これは……」


「公式な結婚だ」


 ガイナスが笑った。


「なにしろ、この俺も『代理人』として出席したくらいなのだからな。まさか、いまさら結婚を取り消しにしようとしてもそうはいかんぞ!」


 一体、ガイナスはなにを考えているというだろうか。

 いま、レクセリアが結婚した相手は「第二十五代グラワリア国王」……つまりは「ガイナスの次の王」であって、ガイナスではないのだ。 


「なにを……なにをお考えになっているのです、ガイナス陛下! お戯れがすぎます! 私が『次代のグラワリア国王と結婚』とは、一体どういうことですか?」


「あいにくとこれは戯れなどではない」


 ガイナスはにやりと笑った。


「なに……いずれわかるさ。なぜ俺が次代のグラワリア王と貴女を娶せたのか……そして、次代のグラワリア王も、間もなく、決まる」


 そう言ったガイナスの面には、悽愴な笑みが浮かんでいた。

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