7  病身の火炎王

 赤い刃のヴァラティは、大理石の床の上にあっさりと頽れていった。

 どうやら、頭を殴られて脳震盪を起こしたらしい。その全身が、ひくひくと震えていた。


「あ、兄者!」


 カグラーンが、さすがにうわずった声で言った。


「な、なにを、馬鹿な真似してるんだ! これから仮にも、ガイナス王と接見するってのに……」


「しるかっ」


 といいながらも、リューンは内心、後悔していた。

 なにしろこれから、彼はガイナス王から戦の勲功を褒賞される身なのだ。

 その前に不祥事を起こせば、場合によってはガイナス王を侮辱したと見られかねない。


「いや、なんていうか……つい、かっとなっちまってな」


「かっとなっても、なにもないだろ!」


 周囲のグラワリアの貴顕たちが、なにやらざわざわとささやき交わしている。

 火炎の間の隅に控えていた、稲妻の印を彫り込んだ意匠の槍を持った女たちが、つかつかとこちらに歩み寄ってくる。

 彼女たちが高名な「ランサール槍乙女団」だということは、リューンも噂で知っていた。

 ランサール槍乙女団はもともとはグラワリア独自の嵐と稲妻の女神ランサールに仕える乙女たちからなる武装した尼僧たちだが、彼女たちは神託によりガイナス王の軍勢に帰属したのだという。

 いまでは、ガイナス王の身の回りの警護などは、すべて彼女たちが行っているという話だった。


「貴様! なにをしている!」


 黒髪と褐色の髪の槍乙女が、鎖帷子をじゃらじゃらと鳴らしながらリューンのもとに近づいてきた。


「なにって……みりゃわかるだろう?」


 リューンは肩をすくめた。


「この野郎があんまり馬鹿なことを言うんで、ついかっとなっちまって……」


「愚かな」


 黒髪の槍乙女が言った。


「まもなくガイナス陛下がこの火炎の間にお見えになるのだ。お前はその神聖な場を汚すつもりか」


「だから、そんなつもりはねえよ」


 とはいうものの、リューンもさすがに自分の過ちを悟っていた。

 槍乙女たちに運ばれていくヴァラティを横目で見ながら、つぶやく。


「いや、なんていうか、確かに俺が悪かったから、勘弁してくれねえか?」


 そう言って、情けない思いで深々と頭を垂れる。

 一瞬、黒髪の槍乙女があきれたような顔をした。


「素直なのは結構だが、この火炎の間で、ガイナス陛下への拝謁前に騒ぎを起こしたとあってはただですまぬ……」


「……俺は気にせぬぞ」


 低い声が、どこからともなく、大理石を多用された広間にやけに大きく反響して聞こえてきた。


「とはいえ、これはすておくことはできぬ。何者かは知らないが、ガイナス陛下ご自身でもない限り……」


「だからその俺が、ガイナスが良いと言っているのだが」


 その瞬間、リューンと槍乙女ははっとなって、一段高くなった、玉座の置かれているあたりに目をやった。


 見ると、見事な赤毛の髪を持つ巨漢がゆっくりと椅子のほうに歩みっていくところだった。


「だ、第二十四代グラワリア国王、ガイナス二世陛下の、おなりでございます」


 布令係の声が、わずかにおくれて火炎の間に響きわたる。

 むろん、リューンにとって、ガイナスを見るのはこれが初めてである。

 だが、その風体は、彼の予想を見事に裏切るものだった。


(あれが……おい、あれが、グラワリアの火炎王、慈悲知らずの覇王ガイナスだっていうのか! いったいこりゃ、どういう冗談だ)


 なかば唖然として、リューンはガイナスが大儀そうに玉座に腰掛けるのを見つめていた。

 なるほど、火炎王の二つ名のもととなったという見事な、燃え上がる炎のような赤い髪が印象的な男である。

 その青い瞳も、超高温の炎のようにも見える。

 だがいまのガイナスはどうひいき目に見ても、身体的に弱り果てた、ただの病人にしか見えなかった。

 眼窩はくぼみ、目の下には紫色の隈が浮いている。

 顔全体、否、体中の皮膚が病的に黄ばんでいた。

 体全体の筋肉が、病との戦いによってそぎ取られたようにも見える。

 どう考えても病身ではあったが、それでもガイナスが尋常ならざる気力の持ち主であるのもまた確かだった。

 実際、並の人間ながらこうして起きあがることもできず、いまだ寝台で伏せっているのではないだろうか。

 それなのに、相当に心身に無理はしているのだろうが、ガイナスは凄絶な笑みを浮かべ、いかにも王者らしい覇気をみなぎらせていた。

 はじめのうちはただの病人にしか見えなかったガイナスだが、じっと見ているうちにしだいにその姿が実際より巨大に、そしてまた王気に溢れてみえるあたり、やはりただ者ではない。


(でも……一体、どんな病だってんだ)


 そんなリューンの心を読んだかのように、カグラーンが耳打ちしてきた。


「あれは……ひょっとすると、肝の臓をやられているのかもしれないな。だが……だとすると、もう長くはもたんぞ」


 一体、なにがどうなるというのか。

 いままで、ガイナス王の歓心を買い、なんとか紅蓮宮へ招かれるようにと、あの苛烈なマシュケル包囲戦を戦いぬいてきたのである。

 だが、そのガイナスが死ねば、これから先どうなるというのか?

 落ち着け、とリューンは思った。

 ガイナスが死のうが生きようが、究極的には自分には関係ないことだ。

 自分の目的は、あのレクセリア王女を救い出すことなのだから。

 そのときだった。

 ガイナスの玉座の横にしつらえられた座席に、一人のまだ若い娘が腰を下ろすのが見えた。

 白無垢の簡素なドレスをまとった、白みがかった金色の髪を持つ少女だ。

 その顔は、極度の緊張のためか、ひどくこわばってみえた。

 刹那、リューンは自分の心臓が一拍、打ちそこなうような錯覚を覚えた。

 あの娘には見覚えがある。

 確かにあの日、いまとなっては遙かな昔のようにも思えるフィーオン野で見たときと、彼女はさほど変わっていない。

 そもそも、この世に自分と同じ、右目が青く、左目が銀にも見える灰色の瞳の持ち主などそうそういるはずもないのだ。


(レクセリア殿下……!)


 リューンは、ぎりっと歯を食いしばった。

 彼の求めている娘が、そこにいる。

 そもそもこの紅蓮宮の火炎の間に辿り着くまで、ガイナス派について戦い続けてきたのも、もとをただせば彼女に、レクセリアにあうためなのだ。


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