5 囚われの王妹
冬の日射しがきわめて高価な板硝子の窓を通り、伽藍のなかに射し込んでいる。
幾条もの光線があちこちで反射し、金箔をたっぷりと使った聖堂を明るく輝かせていた。
あちこちから、独特の香の匂いが漂っている。
本来であればこの式は、何人ものグラワリア、アルヴェイア両国の貴顕たちが出席すべきものである。
なにしろ一国の王と、王妹との結婚式なのだ。
だが、さまざまな事情がそれを許さなかった。
レクセリアのまとっているドレスも、華燭の典にふさわしい華麗なものとはとうてい言えない。
ごく簡素な、大急ぎでつくらせた白いドレスである。
一方のグラワリア王ガイナスは、さすがに一等礼装をまとっていることもあり、堂々たる男ぶりを見せていた。
だが、よくよく見れば彼の足取りは頼りなく、肌も黄ばみ、目も落ちくぼんでいることがわかっただろう。
ほとんど無人の大聖堂を、二人はしずしずと前方へと進んでいく。
赤地に黒い薔薇を散らした意匠の絨毯が敷かれているが、この絨毯の上を歩くことが出来るのは、グラワリア王国の王族とその配偶者だけ、とされている。
(これで……これで、本当によかったのだろうか)
レクセリアはガイナスにあわせるようにして、ゆっくりとソラリス神の僧正が待ち受けている祭壇の前に向かいながらそんなことを考えていた。
結婚。
まさかヴォルテミス渓谷で戦をしているときは、ガイナス王に嫁ぐとは夢にも思わなかった。
人生とは不思議なものだ、とつくづく思う。
いま、レクセリアはグラワリア王と結婚しようとしているのだ。
最初は固辞するつもりでいたのだが、ガイナスは執拗だった。
あくまでレクセリアはグラワリア王と結婚せねばならぬ、と強行に主張したのだ。
(もし結婚するつもりがないのならば、いっそ貴女は地上から消え失せたほうがいいかもしれんな)
そんな恫喝めいた言葉までかけてきた。
いま、レクセリアは完全にガイナスの掌中にある。
もしその気になればレクセリアの身を自由に出来るのだ。ガイナスの機嫌しだいで、レクセリアが殺されるということもありえたのである。
そうした恐怖も、むろん後押ししている。
だが、レクセリアが最終的にガイナスとの結婚を覚悟したのは、最後には民のため、だった。
なにしろもう五年にわたる内戦で、グラワリアもかなり荒れている。
もしここでレクセリアがグラワリアの王妃となれば、さまざまな事態が進展するはずだ。
そもそも、ガイナスはもう長くない。
ガイナスとしては、レクセリアこそが「戦後処理」を行うのにもっともふさわしい人材、と見こんだのだろう。
もしガイナスが死ねば、「ガイナス派」の諸侯は主を失い、ただの烏合の衆と変わるはずだ。
だが、いままで戦ってきたスィーラヴァス派に、そう簡単に彼らが膝を屈するわけもない。
なにしろ内戦で遺恨もたまっている。
下手をすれば、死んでもスィーラヴァスの軍門になど下るかとむしろ猛烈な反撃を行うかもしれないのだ。
グラワリア全土でそんな現象が起きれば、内戦はかえって激化する。
一時的には、以前よりも激しい戦闘が行われるだろう。
最終的に勝利を掴むのがスィーラヴァス派になるにせよ、それが果たして何年後のことになるかは、誰にもわからない。
だが、そこにスィーラヴァスともガイナス派とも利害関係の存在しない、第三者が一種の「調停役」となるとしたら?
それこそが、レクセリアに求められている役割だ、とガイナスは主張した。
つまり、ガイナスは戦を終わらせたがっている、ということになる。
なにしろ戦好きのガイナス王の言うことなのだ。
最初はたちの悪い冗談のようにも聞こえた。
だが、ガイナスと話し合っているうちに、自然とレクセリアの心境に変化が起き始めた。
なるほど、ガイナスは戦好きである。
それだけは間違いない。
とはいえ、戦が出来るのは生きている間だけだ。
死んでしまえば、もう戦など出来はしない。
すでにガイナスの病がかなり重篤なものになっていることはレクセリアも理解していた。
肝の臓の病は、おそるべき速度でガイナスの肉体をむしばんでいたのだ。
その、いわば死に行く者の願いこそが、内戦にきっちり決着をつけたい、というものだったのである。
ガイナスは自分が死んだ後の事後処理は、すべてレクセリアの好きにしていい、と言っている。
むろんガイナス派諸侯のなかには、突然、ガイナスの妻となったレクセリアを面白く思わない者もいるだろう。
だが、ガイナスに言わせれば、いまいる諸侯のなかから誰か後継者を選ぶよりも「第三者」であるレクセリアが要となったほうが、戦後処理はうまくいくというのである。
もし諸侯の間から後継者を選べば、後継者同士でもめる可能性が高いという。
そこでガイナス派諸侯が分裂して戦を起こせば、もうこの内戦は収拾がつかなくなる。
それを、ガイナスは予見しているらしい。
だが、形の上だけでもレクセリアを妻にしていれば、諸侯も「王妃の意見」に耳を傾けざるをえない。
たとえ彼女が未亡人になっても、である。
むろん、形式上だけとはいえ結婚をするというのは、レクセリアにとっても愉快なことではなかった。
もともと彼女はウォイヤの徒、つまりは女を恋人にするような性癖の持ち主であったし、生涯、結婚などすることなどないだろうと思っていたからだ。
だが自分がガイナスの妻になることで、グラワリア、ひいてはアルヴェイアにも平和がもたらされるとなれば話は違ってくる。
(私がガイナス王の妻となれば、グラワリアだけではなくアルヴェイアとも和平が保たれる……)
なにしろレクセリアは、アルヴェイア王の王妹なのである。
グラワリア内戦がどういう形で最終的な決着を迎えるのかはまだよくわからないが、ガイナス王の王妃がアルヴェイアの王妹となれば、いろいろと役立つこともあるだろう。
最終的に、レクセリアはアルヴェイア、グラワリアの二国に安定をもたらすことになるかもしれない。
さらにいえば、レクセリアにも密かな野望……あるいは大望がある。
それは、グラワリア内戦が落ち着けばレクセリアもグラワリアの軍事力を使える、ということだ。
となれば、グラワリアの力でアルヴェイアでいま実権を握っている諸侯たちを廃し、王を中心とした中央集権制を取り戻せるかもしれない。
つまりこの結婚は、レクセリアとしても決して不利なものとはいえないのである。
(でも……なにかが妙だ)
理性は、これこそが最良の道だと告げている。
ガイナス王と結婚し、グラワリア王妃となればさまざまなことが円くおさまる、と。
(ガイナス王は……本気で、この内戦を穏便に終わらせるつもりなのだろうか)
我ながら猜疑心が強いとは思うのだが、どうにもその一点で、ガイナス王を信じ切れない自分がいる。
そのとき、ゆっくりと絨毯の上を歩いていたガイナス王が、危うく転びそうになった。
この礼拝堂を警護しているランサール槍乙女団の女兵士たちが、悲鳴をあげる。
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