13 釣り針
レクセリアはしばらくの間、ガイナス王の顔をまじまじと見つめていた。
以前に比べればいくぶん精気に衰えが見られるものの、まだまだ王者としての威風は十分だ。
さらにいえば、冗談を言っている顔ではない。
「私が……グラワリア王妃に」
確かにその提案はある程度、予想していたことではあったが、頭のなかで考えるのと実際にこうして口に出されるのとでは、話が違う。
結婚。
この時代の王侯貴族にとって、結婚とはおおむね政治的な意味をもたされる。
二つの家門を結びつける儀式のようなものだ。
ましてや王族同士との結婚ともなれば、その政治的な意味は王国規模になってくる。
いまグラワリア王とアルヴェイアの王女が結婚すれば、さまざまな意味でセルナーダ全土に激震が走るだろう。
まずグラワリアからすれば、ガイナスの王家としての正当性をよりいっそう、強化することになる。
同じ三王国の一つの王女を妻に迎えるとは、そういうことなのだ。
となれば、立場においてガイナスはスィーラヴァスよりもさらに一歩、先んじることになる。
もともとスィーラヴァスは生まれの低い母親からの、庶出でしかも弟なのだ。
王権の正当性は、どう見てもガイナスにある。
一方、レクセリアからみればどうか。
彼女はたとえ妻となったとしても、依然、王位継承権は有している。
もしアルヴェイアの王統が途絶えそうなときは……具体的にいえば、現国王シュタルティス、王妃にして先王の第一王女たるミトゥーリア夫妻が亡くなった場合、女王位につく権利を持っているということだ。
むろん、現実にはことはそう簡単には運ばないだろう。
たとえば、親王家出身であるエルナス公ゼルファナスも王家の一員に継ぐ王位継承権を持っている。
レクセリアより継承権は低いとはいえ、男系を尊ぶ時代の常識からして、エルナス公こそが王位を継ぐにふさわしい、と見る者もいるだろう。
レクセリア自身は、実のところ、女王位にはあまり興味はない。
だが、エルナス公ゼルファナスを王位につけるくらいなら、女王になっても構わないくらいの覚悟はある。
レクセリアは、エルナス公ゼルファナスの残虐な資質を知る数少ない人間の一人なのだ。
たとえばガイナス王も、たとえば後代の人間から見れば「いたずらに戦いばかりを行った暗君」として記憶されるだろう。
だが、それでもゼルファナスを王位に就けるよりはましだ。
レクセリアのなかの直感が、そう告げている。
ゼルファナスのなかのひそむある種の異常さは、ガイナスを遙かにしのぐ。
ガイナスが苛烈な炎だとすれば、あの男は底しれぬ闇だ。
炎は明かりや熱を周囲に生み出し、人の役にも立つときがあるが、ゼルファナスの持つ冷たい闇は、ただ滅びを指向しているようにも思える。
とはいえ、簡単にグラワリア王家に嫁ぐわけにもいかない。
なにしろ王家の一員同士の結婚である。
少なくとも、兄王であるシュタルティスは、この結婚に反対するだろう。
おそらくシュタルティスは、レクセリアがグラワリアの力をかりて王位を奪いにくると思いこむはずだ。
とすれば、アルヴェイアの王国法、さらには昔の帝国法典あたりの事例を探し出し、なんとかレクセリアの王位継承権を取り消すことになるだろう。
いずれにせよ、この結婚でグラワリアとアルヴェイアの関係が、良好になるとはとても思えない。
ガイナスの言うとおり、グラワリア王が妻の持参金としてのアルヴェイア王位を要求すれば、両国の対立は必死である。
結局、ガイナスはまた、戦争の口実を探そうとしているのか。
「もう……戦は、十分なのではありませんか、陛下」
長い沈黙の後、レクセリアは言った。
「私が陛下に嫁げば、グラワリアとアルヴェイアの間で大乱が起きるやもしれませぬ」
「おや」
ふいに、ガイナスがいたずらっ子みたいな笑顔を見せた。
「貴女はなにかを勘違いしているようだが……まあ、いい。とにかく、グラワリア王に嫁ぐつもりはない、ということか?」
しばしの後、レクセリアは答えた。
「少なくとも、今のような状況では。より平和的なものであれば、考えぬこともございませんが」
「ふん」
ガイナスが笑った。
「まあ……貴女の考えは、あながち間違ってもいない。グラワリア王と貴女が結婚したとなれば、一時的に両国の関係は緊張するだろう。だが……『この俺』があとどれほど、生きられると思う?」
その、あまりにも直接的な言葉に、一瞬、レクセリアは言葉を失った。
「お戯れを……陛下。私は……」
「俺は」
凄絶な笑みを浮かべてガイナスが言った。
「もう長くはないらしい。余裕めかして見せているが、正直にいってこうして、ただ椅子に座っているだけでも苦痛だ。肝の臓の病とは面白いもので、最後には吐血して死ぬことが多いらしいが……いつそうなってもおかしくないと、ソラリスの僧侶もイリアミスの尼僧も言っている」
ソラリスは太陽神ではあるが生命を司る神である。
一方、イリアミスはソラリスの娘にして、慈愛とずばり癒しを司る女神だ。
いわばこのセルナーダでの専門医に近い。
「もしそうなれば……あとは、貴女に好きにすればいい。俺が死んだあとは貴女の好きなようにすれば……これが、どんな意味かは、わかるな」
ガイナスは、グラワリア王である。
そのグラワリア王が死ねば……妻が、つまりはレクセリアが絶大な権力を握ることとなる。
そうなれば、スィーラヴァス派との停戦に応じても構うまい。
また、グラワリアのガイナス派諸侯をとりなすことも出来るはずだ。
アルヴェイアの王権はともかくとして、グラワリアに平和をもたらすことは出来るだろう。
ひところはアルヴェイアの戦乙女などと呼ばれたが、実のところ、レクセリアは好戦的なたちではない。
戦という行為そのものに愉しみを見いだしていたときもあったが、そんなものはヴォルテミス渓谷で一万の兵士の悲鳴を聞いたときに消し飛んでいる。
スィーラヴァスが王位につけば、そのままアルヴェイアの王妹にもどるもよし。
また別の諸侯に嫁ぐもよし。
スィーラヴァスと再婚して、グラワリア、アルヴェイア両国の和平の礎を築くことすら可能だ。
だが、おかしい。
なにかが明らかにおかしい。
もしガイナスが死んだ後、妻の自分が好きに出来るようであれば、なぜわざわざガイナスは自分をめとるような真似をするのだろうか。
「どうにも……解せぬことが多すぎますわ」
レクセリアは率直に言った。
「私が陛下の妻となり、未亡人となればどのような行動をとるか、陛下もご存じのはず。それとも『アルヴェイアの戦姫』と呼ばれていたときのように、浮かれた私がまた戦に手を出すとお思いですか?」
「さすがに簡単には釣り針にはかからんようだな」
ガイナスは、青い目にぎらぎらと輝きを宿して言った。
よくみれば、その全身は細かく震えている。
確かに、ガイナスの病がかなり篤いものであることは間違いないようだ。
だがそれは本当に死病なのか。
一時的に自分を欺く方便ではないのか。
ガイナス王の真の目的とは、アルヴェイア王女であるレクセリアを妻として娶り、両国にさらなる戦乱の火種をまき散らすことではないのか。
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