10 王命

 廷内にびりびりという緊張が走った。

 現在、アルヴェイア王家の威信は極端に低下している。

 実質、王など諸侯の御輿にすぎない。

 言うなれば飾りのようなものだ。

 だが、それでも、あるいはだからこそ犯してはならぬ領域というものも確かに存在するのだ。

 それは、王が絶対者であるという「虚構」である。

 この虚構があるため、諸侯に担がれた御輿にすぎずとも、王は王として存在しており、王国は維持されている。

 もし王が絶対者ではない、という理屈がまかり通るようであればまた先年の南部諸侯の乱のようなものが起こるだろうし、あるいは領主の領地ごとに王国はばらばらに分裂してしまうかもしれない。

 将来、王となる可能性のあるゼルファナスに精神走査をかけるということは、つまりは「王の絶対性」に取り返しのつかぬ、傷をつくることになるのだ。

 もし絶対者である王の心を、魔術師たちが自由に読むことが許されるとなれば、王はもはや王とはいえない。

 絶対性は崩壊し、いままでかろうじて支えられてきた王家を中心とした王国、という概念そのものが崩壊しかねないのだ。


「マイアネスどのも、職務に忠実なため、さきほどのようなことを申し上げたことは、私も理解している」


 ゼルファナスは、怒りを抑えるような、低い声で言った。


「しかし……貴殿の提案は、貴殿ご自身は気づいておられぬようだが、王権に対する挑戦でもあるのだ! そのことに気づかれよ! 貴殿の提案は、絶対者たる国王陛下ご自身の尊厳と絶対性をも揺るがすものと! 貴殿は、もしなにか事情があれば、今上陛下のお心をさぐるために精神走査をかけるつもりか?」


「ま、まさか!」


 マイアネスがうろたえたように言った。


「決して、神々にかけてそのような畏れ多いことは……」


「であるならば……貴殿は同じ過ちを犯そうとしていることに気づくべきだ。私自身は、王位に就くつもりはない。しかしながら、場合によっては、いずれ私が王位に就かざるをえないときもあるだろう。そのとき、私は王として王国のため、また民のために粉骨砕身する意志はある……だが、その王がかつて、『精神走査をうけたことがある』と人々がしれば、どのように思うだろう?」


 ゼルファナスの言っていることは、まったくの正論だった。

 王は絶対者だ。

 だから、当然、王に対して精神走査をかけるなど許されるはずがない。

 だとすれば、未来の王の候補にはどうなるのか?

 精神走査を行ったという記録は、後代にまで残るのだ。


「失礼ながら、マイアネス殿は一介の、王国の法務官僚にすぎない」


 ゼルファナスが、恐ろしい目つきでマイアネスを睨みつけた。


「貴殿は……責任をとることができるのか。未来の王となるかもしれぬ者に精神走査を行えば、王の絶対性は永久に……さよう、永久にこのアルヴェイアから失われるかもしれぬのだぞ? 貴殿は、誰に忠誠を誓っているのだ?」


「それは……」


 マイアネスはぶざまに口をぱくぱくと開けていた。


「む、むろん、王国と、国王陛下に……」


「であるなら、貴殿は自らの忠誠の対象そのものに、傷をつけようとしているということになるな」


 ゼルファナスが、皮肉げな笑みを浮かべた。


「マイアネス殿……貴殿の名はおそらく後代にまで残るだろう……王位継承権者、未来の王になるかもしれぬ者に精神走査を受けさせ、王権の絶対性を揺るがした者として……当然、その覚悟はおありであろうな」


「いや、その、私は……」


 見ているほうが気の毒に思えるほど、マイアネスはうろたえていた。


「ただ私は……法務官僚として職務に忠実に……真偽を明らかにするのが、私の勤めと信じて……」


「それはこの場にいる誰もが理解している」


 ふいに、ゼルファナスが柔らかな声音で言った。


「だが、貴殿のその職務への忠実さは、王権に対する挑戦ともなってしまっているのだ。ゆえに、私に対する精神走査の申し出は、取り下げていただきたい。むろん、今回の不幸な事件の調査に関して、私は協力を惜しまないが……」


 これはゼルファナス卿の勝ちか、傍聴席にいるほとんどの者は、そう思ったことだろう。

 だが、思いも掛けぬ人物が、言った。


「……ま、待たれよ」


 それを聞いて、誰もが言葉を失った。

 まさか、あのおかたが、と彼らは自分の耳が信じられぬ思いだったのである。

 社会的な地位という意味では、この場で彼がもっとも高い。

 だが、彼が一種のくぐつにすぎぬことは、この場に居合わせている者なら誰であれ知っていることだった。

 その彼が……アルヴェイア国王シュタルティス二世が、言った。


「王家に対する挑戦……そ、それは違うぞ、ゼルファナス卿! こ、ここは余の法廷であり、審判を下すのは、余である。さらにいえば、貴殿は王位継承権者ではあるが……」


 シュタルティスは、顔を恐れのためか、奇妙な具合にゆがめながら言った。


「いまの王は、この余である。これより、王命を下す」


 シュタルティスは声を震わせていた。


「こ、これより三日以内に、エルナス公ゼルファナスに、王国魔術院の魔術師たちによる精神走査を受けさせる。これは……王命であり、い、一切の反論は無用である!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る