9  精神走査  

 精神走査。

 それは、数ある水系統の心理魔術のなかでも、もっとも人々に恐れられているものの一つである。

 通常は、何人もの高位の水魔術師の使い手が集団で、術を行う。

 この術は、文字通り、対象の心のなかのあらゆる事象を調べるというものだ。

 いわば、心が丸裸にされるのである。

 もともと水魔術にはこうした精神に作用する者が多いが、「心の底まで見透かされる」とも称される精神走査は、特に人々に恐れをもって見られていた。

 誰であれ、心のなかに後ろ暗い秘密を抱えているものである。

 それをのぞき込まれるなど、忌まわしいとしか言いようがない。

 「水魔術師は人の心を読む」などという俗諺もあり、彼らが魔術師のなかで闇魔術師と並んで嫌われているのはそのためだった。

 もっとも、実際には精神走査を行うにはかなりの準備がいるし、また多数の術者の連携も必要とする。

 人間の心はいわば巨大な宇宙のようなもので、対象の心をのぞき込んでいるうちに取り込まれてしまい、発狂する術者も珍しくないのだ。

 つまり、この術は術者にとっても、それなりの危険を伴うものなのである。


(しかし……まさか、精神走査とは)


 傍聴席で、ウフヴォルティアはぎゅっと手を握りしめた。


(いくらなんでも……むごすぎる。仮にも相手はエルナス公家の当主だというのに……)


 ウフヴォルティアの思いも、この時代の貴族としてはもっともなことだった。

 精神走査の術にかけるということは、ある意味では肉体的な拷問を行うよりもたちが悪い。

 なにしろずかずかと術者は相手の精神に直接、立ち入ることになるのだから。

 ゼムナリア信者ということに関係なく、その他のエルナス公ゼルファナスとしての私人としての秘密なども、すべて晒されてしまうことになる。

 むろん、精神走査の結果、得られた内容は術者と王国法務院の官僚により厳重に秘匿されることになる、はずだが……。


(なるほど……あるいは、セムロス伯はむしろ、最初からこちらが目的で……)


 つまりは、ゼムナリア信者の疑義をかけることにより、ゼルファナスに対して精神走査を用いることこそがセムロス伯の目的だったとしたら?

 十分に、ありうる話だ。

 ゼルファナスへの精神走査の記録は、公には王国法務院の官僚が管理し、部外者には閲覧できないようになるだろう。

 だが、いまの法務院の官僚たちは、実質的にセムロス伯の接待攻勢で彼と深い関係で結ばれている。

 その内容をセムロス伯ディーリンが非公式に閲覧するのは、きわめて容易なことだろう。

 そうなれば、エルナス公ゼルファナスの考えることは……丸ごと、セムロス伯の手中に入ることになる。

 たとえば王になる野望はあるのか、シュタルティス王や王家の姫をどう思っているのか、あるいはどのようにセムロス伯派と対抗するつもりなのか……。


(セムロス伯ディーリン……恐ろしい男)


 ウフヴォルティアは、背筋に冷たいものを感じた。

 いかにも性急で強引なやり方だと当初は思っていた。

 ゼムナリア信者の疑いをかけ、汚名をきせたままいけばうまくいけば死罪に処する。

 一種、粗雑といってもいいやり口だ。

 だが、実はその粗雑さの裏で、セムロス伯は巧妙な策を編み込んでいたのだ。

 もしここで、エルナス公が精神走査をうけることを拒絶したとしよう。

 むろん、裁判官である国王シュタルティスが命ずれば、いずれ強制的に精神走査が行われるわけだが、なにしろ国王はあの通りの人物である。

 ましてやいまは、セムロス伯とその娘に完全に急所を握られているようなものだ。

 エルナス公が精神走査をうけることを拒絶すればするほど、人々は「あるいは本当は、やはりエルナス公はゼムナリア信者なのではないか?」と疑いを抱くだろう。

 それはそれで、セムロス伯の益になる。

 一方、もしゼルファナスが精神走査をおとなしく受け入れたとしよう。

 もしそうなれば、彼がなにをたくらんでいるか、どんなもくろみを抱いているのか、そのすべてがセムロス伯に筒抜けになることになる。

 まさか現実にゼルファナスがゼムナリア信者であることはないだろうが、セムロス伯はその他のゼルファナスの秘密をすべて、握ることになるのだ。

 どちらに転ぼうが、セムロス伯ただ一人が得をして、エルナス公は窮地に追い込まれることになる。


(さあ……ゼルファナス。腹黒いあなたは、どうするの?)


 まるで最高の芝居を見ているようだ、とウフヴォルティアは思った。

 なにしろ主役は、美貌で知られるエルナス公ゼルファナスである。

 これだから政争は、権力者になるということは、やめられない。

 エルナス公は一体、精神走査の申し出にどう答えるのか。

 傍聴席の視線が集中するなか、エルナス公は悠然たる態度でやがて言った。


「マイアネス殿の、精神走査を我が身にかけるというお申し出は……残念ながら、お受けいたしかねます」


 おお、というどよめきにも似た声が法廷内にこだました。

 ゼルファナスは闇色の瞳に、暗い怒りのようなものをたたえたまま、マイアネスを睨みつけた。


「マイアネスどのは優れた司直であられるのでしょう。また、己の職務に忠実でもあるのでしょう。しかしながら……貴殿の請求は、ただ私個人のみならず……王権に対する挑戦、そううけとってもよろしいのですかな?」


「王権への挑戦……?」


「どういうことだ……?」


 ざわざわとまた傍聴席がざわめいたが、ウフヴォルティアは即座にエルナス公の言葉の意味を理解していた。


(なるほど……さすかばエルナス公! そういう切り返しをしますか! エルナス公家は親王家であり、彼自身、低位とはいえ王位継承権者である……!)


 事情がわかっていないらしいマイアネスが、かすかに震える声で言った。


「ど、どういう意味か……私には理解いたしかねる。お手数だが、エルナス公閣下にはご説明願いたい」


「真に、簡単な理屈です」


 ゼルファナスはぴんと背筋を伸ばすと、長い吐息をついて言った。


「私は……エルナス公家当主、つまりは親王家の当主です。私は、現在、第五王位継承権者……私自身にはそのつもりはありませんが、私は血筋からして、『いずれ王になるかもしれぬ人間』なのです」


 ゼルファナスの暗黒の瞳が、マイアネスを射抜いた。


「なるほど。ここで精神走査を私にもし行ったとしましょう。そこまではよろしい。ですが……『もし、万一、私が王位に就かざるをえなくなった場合、その記録はどうするおつもりですか?』」


 あっという叫び声のようなものが、傍聴席の片隅から発された。

 人々も、ようやくゼルファナスの主張を理解しはじめたのだ。


「古来より、三王国の王は、絶対者であったはず。太陽神ソラリスの代理人として王国を統治する統治権を与えられた者……それが、王です」


 ゼルファナスの言葉が、静かに法廷に流れていった。


「ですが……もし私がここで精神走査をうけ、そして将来、万一、王となった場合……私は……『精神走査をうけた王』……ということになってしまう。いわば、王にすら精神走査を施してもよい、という先例をつくることになりますまいか?」


 

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