6 哀れまれるもの
ざわざわと、林檎酒軍の諸侯たちの間から動揺するようなどよめきがわき起こった。
「お前らなぞは、俺のようなトカゲ同様……否、それ以下の者だとレクセリア殿下は仰有られていた。俺は降伏の使者などではないぞ。誤解するな。俺は『お前たちが降伏をするようであればその声を殿下にお伝えする』ように命じられただけだ。お前たちがあくまで王家に反逆するというのであれば……」
シェキクルが、手にした骨槍を空で何度か振り回すと叫んだ。
「俺はお前たちの意向を、レクセリア殿下にお伝えするまでのこと。王家の軍に従うか、それともあくまで逆賊としてレクセリア姫に弓ひくか、答えよ!」
「我らは」
ドロウズが歯噛みして言った。
「あくまで王家の過ちを糺すために兵を集めた。主君が聞く耳もたぬというのであるならば、仕方がない」
ラシェンズ候は、不快げにトカゲの民の使者を見た。
「レクセリア殿下には、それなりのお覚悟をしてもらおう。王家がどのように我らを扱うつもりであるかは、よくわかった」
「いや、まだお前はわかっていない」
再び、シェキクルは一同を嘲笑するかのようにかっと口を開けた。
「レクセリア殿下は、こうも仰せであった。『幼少の頃より、ラシェンズ候には世話になった。候が命を無駄に捨てるというのであれば、死への手向けとして戦場でともに見事に踊ってみせようぞ。ただし、ラシェンズ候は昔から踊りが下手なゆえ、妾についてこれるかは保証しかねる』とな」
そう言って、シェキクルはその場で宮廷舞踏を踊るかのように、くるりと体を一回転させた。
ラシェンズ候は、アルヴェイア宮廷では昔から踊り下手で知られていた。ここまでくれば、あからさまな侮辱である。
レクセリア姫は、戦場での戦いを候が苦手だった宮廷での舞踏会にたとえているのだ。
「もうよい!」
憤激をあらわにしてドロウズが吼えた。
「トカゲ! 貴様なぞここで斬り捨てるの価値もない! しっかりとレクセリア殿下にお伝えしろ! 戦場は乙女の遊び場にあらず、おいたがすぎると大怪我をする、とな!」
かくて、この時点で両軍の戦いは不可避となった。
ゼルヴェイアの軍使を追い返すと、ラシェンズ候は改めて一同を見渡した。
「残念ながら、あれがいまの王家の姿だ。正義は我らとともにある。臣として王家の過ちは糺さねばならん」
そう言ったラシェンズ候の声は、怒りのためかいささか裏返っている。
怒っているのは彼だけではない。南部諸侯を率いる二人のうちのもう片方、エルキア伯ヴァクスも短躯に怒気をみなぎらせていた。
「これではアルヴェイアも終わりだ。トカゲの民を軍使につかわし、戦場を女の舞踏になぞらえるとは!」
実をいえば、ヴァクスも宮廷舞踏は苦手なことで知られている。
シェキクルというさきほどの軍使の言上は、彼らの神経を逆なでするには十分すぎた。
いままでは、ラシェンズ候、エルキア伯の二人の胸中には、どこか甘い気持ちがあった。
なにしろ彼らは五千もの兵を集めたのである。
対する王家は、他の諸侯の援助すら得られずに三千の王国軍を集めることしか出来なかった。
野戦では、数はそのまま力となるのだ。
さらに、両軍は質的には異なる。
林檎酒軍のほうは重装騎兵である騎士を実に一千、揃えている。
それに引き替え、王国軍は基本的に歩兵の集団だ。
優れた騎士による突撃をうけた歩兵は、その衝撃に耐えられない。
確かに王国軍の歩兵はグラワリアやネヴィオンといった異国の軍勢との戦闘経験を踏んだ古強者の集まりではあるが、それでも騎士の絶対的な優位はゆるがないのだ。
常識的な思考をすれば、一千の騎士を含んだ総勢五千の兵は、三千の歩兵の集団に負けるはずはないのである。
とはいうものの、林檎酒軍に欠点がないわけでは、むろんない。
少なくとも、ある程度の戦場での経験を踏んだハルメス伯ネルトゥスの目には、こちらの弱点は明らかだった。
たしかに兵力では勝っている。五千対三千となれば、兵数の違いは倍近いといってもいい。
(だが、我らは寄せ集め、という見方もできる)
それが、ネルトゥスがひそかに危惧している点だった。
林檎酒軍には、しっかりした指揮命令系統が存在しないのだ。
これこそが、諸侯が参集した軍勢の最大の欠点といってもいいだろう。
一応は、軍勢はラシェンズ候の指揮下にある。
だが、兵はあくまでその下の諸侯それぞれが独自に集め、運用しているものである。
対する王国軍が、果たしてどのような指揮のされ方をしているのか、そこまではネルトゥスにもわからない。
だが、王国軍はもともとがアルヴェイア全土から王国のために徴用された兵士たちの集まりなのだ。
もともとの兵制で動いている、とみるのが妥当だろう。
(おそらくは千人隊が三つ、というところだな。うち一つが中軍でレクセリア殿下の直卒、残る二つも、王国軍の千人隊長に率いられているとすると……)
アルヴェイアの兵制は、基本的に帝国期のものを踏襲している。王国軍には、騎兵という兵科はない。
騎士は諸侯が集めてくるものだからだ。
歩兵はあくまで補助兵、とみなすのがこの時代、戦術の常識である。
王国軍の兵制は、諸侯が騎士という騎兵を集めてくることを前提に編成されているのだ。
(王国軍には騎兵がいない。騎士がいない軍勢を指揮するのは……つまりは、長剣をもった相手に短剣だけで挑むようなものだ)
というネルトゥスの考えは、決して間違ってはいない。
(となれば……やはりこの戦、我らのほうが有利だな)
寡兵で多数の兵を破る、というのは軍事的な大功といえる。
それはつまり、数量的な有利さは戦ではそれほど大事ということなのだった。
そもそも、数が少ない兵で戦場に挑む時点で、その者は敗北しているともいえる。
つまり、ラシェンズ候の兵五千を超える兵を集められなかった、というその点からして王家は戦わずして負けているともいえるのだ。
(しかし……まさか、あの姫が本当に軍勢を率いてきたとは)
ネルトゥスのなかに、なんとなく予感めいたものがなかったといえは嘘になる。
彼女は、王家の一員にあって一人、浮き上がったような印象があった。
決してそれは、良い意味ではない。
例えば彼女はその両目の色で「不吉な子」として見られることも多かったのだ。
彼女に対し、なぜ親近感を抱くようになったのか、ネルトゥスは覚えてはいない。 ただ、実の娘ほどにも歳が違う少女に、父親のようなというものとも違う、なにか肉親の情めいたものを感じたのは事実だった。
あるいは伯父と姪の関係、というのが感覚的に最も近いかもしれない。
父と娘というほどの繋がりはないが、互いに決して無視はできない親族、といった感じである。
しかしなぜ彼女が王国軍を率いているのか。
(本来であれば王太子たるシュタルティス殿下が軍を率いるべきであろうに)
おそらく王太子は自らの責任から逃げたのだろう、とネルトゥスは考えていた。
宮廷でのつきあいもあり、シュタルティスのことはある程度、知っている。
暗愚とまでは言わないが、とにかく臆病なのだ。
幼少の頃から、剣をとるよりはスリフィドと呼ばれる楽器をいじっていることが多かった。
音楽の才はかなりのものだが、この乱世に次代の王たるもの、形だけでも一軍を率いることが出来なければ話にならない。
この王国の難事に、シュタルティスは王子であることを放棄したのだろう。
しかし、まさか王女であるレクセリアが軍を率いることになるとは。
(やはりアルヴェイア王家には、新しい血が必要なのかもしれない)
陰鬱な思いに、自然とネルトゥスの顔は曇った。
ラシェンズ候ドロウズの息子に王家の姫が嫁げば、少なくともアルヴェイアの王統は維持されることになる。
林檎酒税という無茶な税のおかげで南部諸侯が発起したわけだが、諸侯たちのほとんどはラシェンズ候の個人的野心に気づいているはずだ。
臣下によって王の首がすげ替えられる新たな先例をつくることになるかもしれないが、それでも王家をこのまま放置しておくよりはましというものかもしれない。
ラシェンズ候は「アルヴェイア王家の非を糺す」と馬鹿の一つ覚えのように繰り返しているが、それが南部諸侯にはそれなりの説得力をもって聞こえるのもいまの王家のていたらくがあるせいだ。
(哀れなことだな……レクセリア殿下も)
いくら怒り心頭に発しているとはいえ、ドロウズも王女を殺すような真似はしないだろう。
だが、この戦が終わり、ラシェンズ候が王家を牛耳るようになればレクセリア王女にとって状況が良くなるはずもない。
実のところ、林檎酒軍に参じた領主たちのなかは、ネルトゥスと似たような考えをしている者も少なくなかった。
彼らはまさか、自分たちがいまのこの瞬間、逆にレクセリアに哀れみをうけているとは夢にも思っていない。
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