5 侮辱
アルヴェイア王ウィクセリス六世には七人の子があった。
男子は三人いたが、そのうち二人は死没している。
唯一、王家に残された男子は年長の王子シュタルティスだった。
彼はすでに立太子式を終え、王位継承者となっている。
今年で齢二十三になる青年である。
シュタルティスは性状が惰弱なことで知られていた。
とはいえ、彼は王家の唯一の男子である。
林檎酒軍と対峙したアルヴェイア王国軍は、軍旗に黄金旗を掲げていた。
アルヴェイア王家の旗は、青地に金色でアルデアの花を紋章としたものだ。
その上にかざされた金色の旗は、すなわちこの軍勢が王家の一員に率いられたものであるという証だった。
当然、林檎酒軍の者たちはみな、王家の軍を率いているのはシュタルティス、と考えていた。
林檎酒軍もそれなりに王国軍の情報を集めてはいる。
少なくとも彼らが三千ほどの兵を動員していることは確かだった。
また軍旗のなかに黄金旗が含まれていたことから、軍を率いているのがシュタルティスであると推測したのも、無理からぬことではある。
そのため、王国軍より派遣された一人の使者が、「アルヴェイア軍を率いるレクセリア王女よりの使者である」と告げたときには、林檎酒軍の諸侯は、驚きのあまりあんぐりと口を開けたのだった。
「使者だと」
だが、使者当人を目の前にして、ラシェンズ候が顔を真っ赤にしたのは、驚きというよりはむしろ、恥辱のためである。
「いやしくも王家の使いに……この、このようなトカゲを使いによこすか!」
ラシェンズ候が憤慨するのも、ある意味では仕方のないところではあった。
なにしろ王国軍は使者として、文字通り、人ではない者をよこしてきたのだから。
彼の全身は、わずかに褐色がかった緑色をしていた。その肌……というよりは体表というべきか……は無数の鱗に覆われている。
身長はなみの人間より遙かに高く、実に七エフテ(約二・一メートル)近い。
一応は人型をしているが、人間とは異なる種族であることは明らかだ。
使者はトカゲの民、あるいはゼルヴェイアとよばれる非人間種族だった。
セルナーダの地に住む知的種族は、なにも人間だけではないのだ。
ゼルヴェイアは直立歩行するトカゲのような種族である。主に水辺に住まい、泳ぎが得意で、このアルヴェイアでは人間たちの間で特別な地位を占めていた。
王家の近衛兵には「ゼルヴェイア近衛団」と呼ばれる彼らだけの部隊がある。
兵としての総数は五十に満たないが、ゼルヴェイアは王家の友人として遇されていたのだ。
王家からしてみれば、人間だけでなく非人間種族にまで王家の威光は届いているのだということを他の者たちに示すことが出来るし、ゼルヴェイアからすれば、圧倒的な数の人間のなかでも権力者に近づくことで自らの種族を保身の役に立つ。
ゼルヴェイア近衛とは王家とトカゲの民の互いにとって利益があるために生まれた制度である。
だが、このトカゲのような種族を、使者として王家の軍が派遣したというのは、前例がない。
「私は、レクセリア殿下の命により参った。名はクラトゥガのシェキクル」
シェキクルと名乗るゼルヴェイアは、人間とは異なる発声器官を使いながらも、比較的、流暢なセルナーダ語でそう言った。
ただしセルナーダ語は、庶民が使う言葉である。貴族の生まれであれば、まずはじめに古代ネルサティア語を学び、それを母語として用いる。
むろんセルナーダ語も習得するが、基本的にはこの言葉は貴族たちからは「卑しい者たちの言語」と見なされているのだ。
こともあろうに、そのセルナーダ語で、ゼルヴェイアは大貴族であるドロウズに話しかけているのだった。
ただし、ゼルヴェイアはあまりにも人間と口の形状が異なるため、実際には人語を発せない。
また知能のあり方も人とはいろいろ違っている。
なので、これは魔術により、代理に遠方にいる魔術師が「話して」いるのだろう。
「レクセリア殿下よりの伝言を告げる。殿下は、兵を退くようにとの仰せである。王家の意志に背いたとはいえ、妻子まで罰することはないとの有り難き殿下のお言葉、光栄に思うがいい」
ときどき、歯と舌がこすれるしゅっという音が鳴るが、言っている意味は十分に聞き取れる。
「ふざけるな、トカゲ」
ラシェンズ候ドロウズは、怒りのためか肩を小刻みに震わせていた。
「我らは王家を糺すために義挙した。その返礼が、貴様だというのか。古の帝国の時代より、貴様のごときゼルヴェイアを軍使にするなどという無法は聞いたことがない。しかもそのような、卑しき言葉で……」
「無法か」
シェキクルと名乗ったトカゲの民が、わずかに口を開けた。
ずらりと並んだ牙がむきだしにされたその表情は、人の目には恐ろしげに、またこちらを笑っているようにも見える。
「無法には無法を、という考えもあるかもしれんぞ。俺はご覧の通り、なにしろ『人ではない』ので人の考えることはわからぬが」
そう言うと、シェキクルは素早く眼球を覆う瞬膜を瞬かせた。
「この……」
ドロウズが剣の柄に手をかけた瞬間、シェキクルが素早い動きで槍を構えた。
ゼルヴェイア近衛は、独特の武器を使うことで知られている。
骨槍と呼ばれる彼らの槍は、その名の示す通り父祖のゼルヴェイアの骨を削りだして作ったものだった。
柄の部分は死者の背骨を独特の膠と彼ら独自の魔術で固めたもののため、ひどく湾曲している。
その、骨槍を誇示するようにしてシェキクルは何度も虚空に振った。
「どうした? ラシェンズ候……お前は王家に対して兵をむけるような無法者だ。軍使であるこの俺を襲うくらいの真似なら平気でしでかしそうなものだが」
そう言われて、ラシェンズは威厳をつくろうように叫んだ。
「愚かな! この私は、決してアルヴェイア王家に対する忠心を忘れたわけではない! これは義挙である!」
「であるならば、黙して服し、王家に対する忠義を尽くすがよい、とレクセリア殿下は仰せられた」
トカゲの民の兵は、巨大な目で真っ正面からラシェンズを見据えてきた。
この使者をたててきたのは王家の一員でも、王子であるシュタルティスではない。
王女であるレクセリアなのだ。
トカゲの民を軍使をしたてるのも異例であれば、そもそも王女が軍を率いるなど、異常としかいいようがなかった。
二段仕立ての変事の連続に、ラシェンズ候を始めとして、林檎酒軍の諸侯たちはなかば呆然となっている。
「しかし……よもやレクセリア殿下が軍を率いてきたとは、な」
さしものハルメス伯ネルトゥスも、これにはなにも言えなかった。
ネルサティア人によって征服されるまで、このセルナーダの地では女性が戦士となることも多かったという。
現在では戦争といえば男の仕事だが、女性が軍勢に参加する例もなかったわけではない。
だが、さすがに王女が軍を率いるというのは前代未聞といっても良かった。
ましてやすでに戦は開戦の時を迎えようとしている。
このままでは、王国軍の戦の指揮も、レクセリアが行うことになるだろう。
「は、は……」
ふいに、ラシェンズ候ドロウズは、低い笑い声を発し始めた。
「はは……ははは……ははははははは」
ドロウズは、ゼルヴェイアの軍使を凝視して言った。
「なるほど……そうか、そういうことであったか。いやはやなるほど」
ラシェンズ候は、しきりにうなずいていた。
「そうか……これは失礼した。なるほど、レクセリア殿下が軍を率い、トカゲの民がこうして使いに出向く……そういうことであったか。これは、こちらも熱くなりすぎたようだ。つまりは、こういうことだな」
そこでドロウズは鷹揚な笑みを見せた。
「たとえ我らの『義挙』が正しいとしたところで、王家としてはこのままでは面目がたたん。しかし、わざわざレクセリア姫が軍を率い……しかも、トカゲを使者にしたててきた。なるほど、あいわかった。つまり王家は、我らとぶつかる気はない、ということか。しかし臣下である我らに対し、たとえ形ばかりとはいえ屈する形になるのはまずい。だが、軍使がトカゲであれば……」
そこで嘲るような目でドロウズは軍使を見た。
「所詮はトカゲ。知恵のないケダモノのたわごと、ということになる。トカゲの言葉を、しかも卑しき言葉で記した史書は、いまだない。つまり、このトカゲが軍使にしたてられたのは……」
なるほど、と林檎酒軍の諸侯たちも納得した。
つまり、王家としては臣下に屈するような真似をするわけにはいかない。
だが、形式として、兵を集めた南部諸侯に対して王国軍をさしむけないわけにもいかないだろう。
王家にも体面というものがある。
そこでわざわざ第二王女であるレクセリアによって軍を率いさせることで、まず自分たちに戦意がないことを表明した。
さらに、こうしてトカゲの民を使者として使わすことで、「所詮はトカゲの言うこと」と弁明する機会をつくったわけである。
と、少なくとも南部諸侯たちは勝手に納得してあっていた。
このあまりにも不可解な状況を彼らの理性で判断するには、最も合理的と思われる解釈だったからだ。
婉曲な物言いや体面といった政治手法に慣れた者からすれば、そうとしか判断しようがないのである。
だが、そんな彼らの心を見透かしたようにシェキクルが言った。
「ふむ、レクセリアの殿下のご想像通りだな。だが、誤解してもらっては困る。アルヴェイア王国軍は、貴様らの如き反乱軍に屈するわけにはいかん。俺は断じてエンキャク……」
そこで、シェキクルはしいっという歯のこすれるような音をたてた。
「しっ……人の言葉は面倒だな……婉曲に、こちらの降伏の意を伝えにきたわけではない。レクセリア殿下がなぜ、俺を使わしたかわかるか? それは、殿下はお前らを少なくとも自分と対等な人間とは扱っていないからだ」
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