7 不満

 兵たちは、赤い布を腕に巻き始めていた。

 王国軍との戦いで、同士討ちを避けるためである。

 なにしろそもそもが同じ国の軍勢なのだ。

 装備の意匠なども両軍とも似通っている。

 こうした措置をとっておかなければ、誰が敵で誰が味方か乱戦になればわからなくなる。


「しかし、赤か……俺たちは、一応はアルヴェイアの人間なのにな」


 リューンはしかめっ面をして言った。


「どうにも今度の戦は、気にくわねえことばかりだ。赤っていや、敵の色だろうが」


 それを聞いて、カグラーンが言った。


「兄者、同じアルヴェイア人として気持ちはわかるがな。こればかりは仕方がない。アルヴェイアの青い軍装のままじゃ、同士うちしかねないだろ」


「だからって、もうちょっとましな色はなかったのか」


 腕に赤い亜麻布を巻き付けながら、リューンは不平をこぼしていた。

 赤とは三王国のなかで本来、グラワリアの色なのである。

 いままでリューンは傭兵としてネヴィオンにも雇われたことはあったが、アルヴェイアと戦ったことはない。

 敵は赤い軍装をまとったグラワリアの兵であることが多かったのである。

 その自分が、赤い色で識別されるというのは、なんとなく落ち着かないものがある。

 熟れた林檎の色にあわせて赤にした、とは一応はラシェンズ候の弁だが。


「やっぱり、ラシェンズの殿様はグラワリアと通じているのかな」


 そう囁いている傭兵は、リューンだけではなかった。

 もっとも、傭兵はどれだけ言葉で飾ろうと、所詮は雇われた人殺しの集団である。

 一度、契約を交わした以上、彼らは黙々と仕事に励むだけだ。


 それに比べて、林檎酒軍の騎士や、庶民から徴用された兵たちの間の動揺は、いささか深刻なものだった。


「よりにもよって、赤か」


「俺たちはアルヴェイアの民なのに……グラワリアの色をつけて戦うなんてな」


 そもそも騎士も兵たちも、戦に対して意気盛んなわけではない。

 このあたりの心配りが出来ない点で、ラシェンズ候の実力のほども伺いしれるというものだった。


「どうにもこりゃ、つく側を間違えたかもしれねえな」


 リューンは、苦い顔で吐き捨てるように言った。

 肝心の戦の前に、兵の士気を削ぐような真似をしているのに、指揮官であるラシェンズ候本人はそのことに気づいた様子もない。

 こうした軍勢は、危険であるとさすがに歴戦の傭兵としての経験が告げていた。

 さらに気にくわない点がある。


「魔術師連中が、少なすぎる」


 リューンの言葉に、カグラーンが笑った。


「兄者……魔術師なんて、この御時世、大して使い物にならないじゃないか。いまの魔術師は昔と違って、大した術は使えないっていうぜ? なんでも魔力減衰期とか言ったはずだ」


 カグラーンの言っていることは、間違ってはいない。

 魔術の減衰期とは、つまり魔術そのものの威力がなぜか衰える時期のことである。

 キリコ神の法力も大きな意味では魔術ではあるが、セルナーダ語で「魔術」といえば、普通はネルサティア魔術のことを意味する。

 ネルサティア魔術は万物を地水火風闇の五大元素からなるという思想をもとにした実践魔術である。

 彼らは神の力に頼らず、独自の魔術印と呼ばれるそれぞれ固有の意味を持つ印を駆使することで、超常の力を発揮するのだ。

 なにもないところから明かりや炎を生み出したりもするので、特に帝国期の頃は魔術は軍事にも多用されてきた。

 しかし、この時代、なぜか魔術の効果はかつてに比べて衰えていた。昔と同じ呪文を唱えても、効果は数分の一……下手をすれば、数十分の一にまで落ち込んでいたのである。

 魔術の力は、歴史上、栄える時期と衰える時期があるという。

 カグラーンが言った魔力減衰期とはすなわち魔術の力が弱まったこの時代をさす言葉である。


「馬鹿……なにも、何十発も火球で敵をなぎ倒せなんて言っているわけじゃねえ」


 リューンが鋭く舌打ちした。

 帝国期の頃は魔術師の集中活用による戦術が発達した。

 しかし、今は魔力減衰期であることにくわえ、セルナーダ全土の文化程度が下がっているため力ある魔術師を大量に集めるだけで兵を集めるより遙かに高くつく、つまりは効率が悪くなってしまった時代である。


「魔術師嫌いな兄者らしくもない言いぐさだな」


 カグラーンの科白に、リューンはうなずいた。


「ああ、そりゃ俺は魔術師なんて連中は好きじゃない。わけのわからん言葉で火の玉だしたりするような奴ら、好きになれねえ。神様の力を借りてるっていうんならまだわかるが、五大元素だユリディンの哲理だとか言われてもさっぱりわからねえ」


 リューンの言葉は、この時代の人々の共通認識といってもいい。

 神という力の源がはっきりしている法力にはすがるが、ネルサティア魔術というからくりもわからぬうさんくさい魔術の力には、不審の念が先に立つというのが一般的だったのだ。


「ただな……魔術師は嫌いだが、奴らがあまりいない……いなさすぎる軍隊ってのは、まずいんじゃねえか? 剣を持つ手があっても、『目』がなければどこに剣を振り下ろしていいかもわからないだろ?」


 途端に、カグラーンが眉をひそめた。

 わざわざこんな問答をしなくても、すでにカグラーンは自分たちが面倒な状況に置かれていることに気づいているのだろう、とリューンは知っている。

 弟の知恵と学識がなければ、雷鳴団はいまもただのごろつき同然の傭兵団だったろう。


「確かに……目隠しをして、耳を塞がれたような戦場に出るのは、ちょっと俺も不安だけどな」


 カグラーンがぼそりと言った。

 魔術師の呪文にもいろいろとあるが、実は軍事的に最も利用価値が高いのは、敵のただ中に火球を放ったり、城壁を破壊するような類の呪文ではない。

 情報を収集し、伝達するような術こそが最も役に立つのである。

 具体的にいえばそれば敵情を「偵察」し、また仲間同士の意思伝達をする、つまりは「伝令」の替わりになるような呪文だった。


 林檎酒軍には魔術師の数が極端に少ない。

 おそらくラシェンズ候の傍らにはそれなりの術者が控えているのだろうが、伝令替わりの者がいないというのは、少なくともリューンの見る限りでは物騒としかいいようがない。

 たいていの部隊の長には、伝令役の魔術師が付き従っているものだ。

 同じ伝令役に呪文で言葉を送ったり、また受け取ったりする役目である。

 むろん、魔術師がいなくてもきっちりとした情報伝達手段があればそれにこしたことはないのだが。


「どうにも気にくわないことばかりだな」


 さしものリューンも、戦をひかえてむっつりと黙り込んだ。

 空から高くなった昇った太陽の光がさんさんと射し込んでくる。

 自分の守護神、嵐の神ウォーザの加護が得られそうにない、という点が第一点。

 二番目に、一応はアルヴェイア王国の一員であるのに、赤というグラワリアの色に染めた布を手にした戦わねばならない点。

 そして三番目に、魔術師の数が極端に少ないということ。

 魔術師が魔術を使う際、重い鎧などを身につけていると邪魔なので軽装のことが多い。

 遠距離で魔力によって情報をやりとりする特殊な任務のため、敵に狙われぬよう軽装の鎧をまとって他の兵と偽装した間十士の伝令を使うこともあるが、そういった気配すら林檎酒軍には感じられない。


「気にくわないことが三つ……か」


 リューンは自分たちと対峙するアルヴェイア王国軍の姿を見やった。

 二日前から、アルヴェイア王国軍はこのフィーオン村郊外の原野に陣取っている。

 平坦で視界を遮るもののない光景だが、敵軍の背後に森が広がっているのがリューンの気にかかる。

 敵が凡庸な指揮官であるならば問題はない。

 だが、もしも敵が……。

 一人の巨漢が、リューンの傍らに駆け寄ってきたのはそのときだった。

 単純に背の高さだけで測るなら長身のリューンよりも頭半分ほど高い、巨人といってもよい。

 黒い髪を短く刈り上げているが、顔には濃い髭が密生している。


「聞いたか、リューンの旦那」


 巨漢の言葉に、リューンがすっと目を細めた。


「なにかあったのか?」


「なにかもなにも……さっき、ラシェンズの殿様の陣中に、敵軍からの軍使がきたらしいんだが……」


 諸侯たちが集う本陣のあたりで、ちょっとした騒ぎがあったらしいことはリューンも悟っていた。


「軍使ってのがアルヴェイス河に住むトカゲの民だってだけでびっくりだっていうのに、そいつが言うにはなんと王国軍を率いているのは、王女様なんだってよ!」


 これにはさしものリューンも唖然とした。


「王女? って、ガラスキス! お前、まさか女が、軍隊を率いているってのか?」


 ガラスキスと呼ばれた髭面の巨漢はしかつめらしくうなずいた。


「なあ、驚きだろ? なんでも、レクリ……ええと、レキリ……」


「レクセリア、だろう」


 カグラーンが言った。


「アルヴェイア王家の第二王女の名が確か、レクセリアだった」


「それだ、それ」


 ガラスキスがうなずいた。


「さすがにカグラーンの旦那は物知りだな……で、そのレクセリアが軍を率いてるって話だぜ? 俺たちゃ、これから女が率いてる軍隊と戦うらしい」


「しかもまだ十五だ」


 カグラーンの言葉に、リューンは驚いて叫んだ。


「十五? まだ女ていうより、それじゃあただの小娘じゃねえか!」


「小娘だよ、兄者」


 カグラーンはうなずいた。


「ガラスキスの話、どこまで信じていいかはわからないが、本当だとすれば俺たちゃ十五の小娘の率いる相手と戦うことになる」


「けっ」


 リューンが天を仰いで、言った。


「これで気にくわないのが四つ目になったな……敵は、十五の小娘が指揮下している」


 にやりと笑った兄の顔を見て、途端にカグラーンがあわてた。


「兄者、また悪い虫が騒ぎ出したんじゃあるまいな。今度はラシェンズの殿様が雇い人だっ。それに俺たちはもう、昔みたいなただの流れの傭兵じゃない。いつぞやみたいに、兄者の気まぐれで敵に寝返るなんて真似はできないぞ!」


「わかってるよ」


 リューンは笑みを秀麗な面にはりつかせたまま言った。

 青と銀の瞳が、それぞれぎらぎらと輝いている。


「ただな……なんだかこう、ここまでいやな条件が揃っていると、逆にぞくぞくしてきたんだよ。数にまかせた楽な勝ち戦じゃない……この戦、なんかこう、もっと面白い戦になりそうな気がしてきてな」


 兄の言葉に、カグラーンが苦笑した。


「兄者のいう『面白い戦』ってのは……つまり、俺たちゃただじゃあ勝てないってことか。兄者の勘が確かならば、どうにも面倒なことになりそうだ」


 小柄な雷鳴団の副団長はそう言うと、向かい合っている敵陣に鋭い視線を投げかけた。

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