7  三つの首

 外からは、人々の悲鳴が聞こえてくる。

 いま、セムロスの都のなかで……史上、例を見ない、まったくの略奪を伴わない虐殺行為が行われているのだ。

 しかも、異常なのはそれだけではない。

 通常、大規模な殺戮、虐殺というのはあまりにも過酷な戦闘で精神的に追いつめられた兵士たちが行うものだ。彼らは戦場であまりにも多くの人間の死を見たため、一時的に精神の平衡を崩す。そのため、無辜の民を殺して回ってもそれがいつしか「ごく当たり前のこと」や快感に変わってしまうのである。

 だが、いまセムロスの都で人々を殺しているゼルファナス軍の兵卒は、決して怒りや狂気、あるいは快楽のために人を殺しているのではなかった。

 彼らは自らの行為が「悪」であると、みな認識していた。なかには涙を流しながら、人々を殺す者も珍しくはなかった。

 これこそが後世に「涙の虐殺」と呼ばれる所以である。

 兵たちを襲っている感情は、ある意味では一種の宗教的情熱に似ていたかもしれない。

 彼らが崇める神は、エルナス公ゼルファナスである。

 ゼルファナスは、大量殺戮を命じた大悪人、という汚名を自らかぶり、王軍と対峙しようとしている。

 いうなれば、王国の繁栄のために、自らを犠牲にしようとしている。

 そんなゼルファナスの「演出」に、兵たちはすっかり丸め込まれてしまっているのだ。

 だから、彼らにとって、この殺人は悪なのである。だが、悪とわかっていても、無辜の民を殺しても、自らの手を血で汚しても……それで、アルヴェイアが過日の繁栄を取り戻すためなら。

 そうした、いうなれば「物語」に、兵たちはすっかり酔いしれていた。

 むろん、セムロスの都の住民のほとんどは、抵抗した。当然といえば当然である。彼らは黙っていれば殺されるのだ。あらがって当たり前だった。

 とはいえ、なかにはゼルファナスの仕掛けた「演出」、あるいは「物語」に取り込まれてしまい、まるで殉教者のように、涙を流しながら殺されていく者もいたのは、やはりゼルファナスという人間がもともともっている、ある種の力のようなものがあるのだろう。


「しかし……むごいですなあ」


 ゼルファナスに向かい合っていた仮面の男が、死者の安息を司る神ネーリルの聖印を、虚空に素早く手で描いた。

 その白い、陶製の仮面は、通常であればネーリルの僧侶がつけるものである。だが、彼らは実のところ、僧侶ではなく、アルヴェイア有数の大貴族だった。

 ウナス伯ユーナスである。

 ウナス伯は、極度の亡霊嫌いで知られていた。だからこそ、いつも悪霊を祓うために、ネーリルの仮面をつけているのだと主張している。実際、ウナス伯の臆病といえば、アルヴェイアの貴族階級だけでなく、人々にまで物笑いの種になっているほどだった。

 実際に、亡霊がときおり存在するこの地にあっては、ウナス伯の恐怖もある意味では迷信というよりも正当なものだ。とはいえ、亡霊など出たら大騒ぎになるほど、逆にいえばきわめて珍しい現象であることもまた事実である。

 だが、今夜に限っては少なくともウナス伯が亡霊、あるいは怨霊といったものを恐れるのも無理はないかしもれない。

 なにしろいまこの瞬間にも、五万もの死者が出ているのだ。


「さすがに五万もの民を殺すとは……どうにも、よい気持ちにはなれませんな」


 それを聞いて、ゼルファナスがわずかに唇の端をつり上げるようにして笑った。

 そのまま、精妙な細工の施された金の盃を片手でそっと掲げる。

 盃に注がれているのは、ヴィンスの最高級の葡萄酒である。

 ゼルファナスは、あざ笑うかのように金杯を掲げて言った。


「五万の死者たちに……乾杯」


 そのまま、赤い、血の色の酒をゆっくりと飲み干していく。この世ならざる美貌を持つゼルファナスがそうして葡萄酒を飲み干すさまは、まるで恐るべき妖魅が血でも賞味しているようにさえ見える。

 ゼルファナスがさきほど、セムロスの民や兵士たちの前でやったのは、むろん、演技である。

 彼にしてみれば、まず単に人を殺したかった、というのが一つ。

 もう一つ、つけくわえれば……守護女神ともいうべきとある女神に対する、捧げもの、という意味もある。

 ゼルファナスが信じる神は、ことの他、人の死を喜ぶのだ。

 だが、セムロスの民に対して行った説明も、決して嘘ではない。むろん、ここでセムロスの民を殺さずに寛大さをしめし、残虐な王軍との対比を明らかにして人心を掴む、という手もある。

 確かにそれで大衆の、つまりは一般の民の心は大きく動くだろう。だが、果たして実際に軍事力を有している貴族諸侯がそれで動くかといえば、はなはだ疑問だった。

 貴族たちは、概ね、利で動く。

 ましてや今回は国王と、国王を凌ぐかもしれない実力を持つ、しかも王位継承権を有する大貴族との間での戦いという図式になりつつある。

 当然、貴族諸侯もどちらにつくが、悩むはずだ。

 すでに国王シュタルティス二世やセムロス伯ディーリンも、国中の貴族に反逆者たちを追討するよう、檄を飛ばしている。むろん、ゼルファナスも悪王を倒すためにと称して同じ事をやっているが、実際に貴族たちがどちらに動くかは、わからない。


「しかし……果たして、諸侯がどう動くか……今ひとつ、読み切れぬませんな」


 ウナス伯の言葉に、ゼルファナスはうなずいた。


「確かに……仰せの通り。だが、だからこそ面白いのではないですか」


 ゼルファナスは端麗な面に、妖しい笑みを浮かべた。


「先のことがわからないこそ、世の中は素晴らしい。先の行動が読めてしまう相手など……面白くも何ともない」


 そう言って、ゼルファナスは木製の卓の上に並べられている、三つの男の首を見た。

 いずれも、セムロス伯ディーリンの、息子たちの首である。


「この者たちは……あまりにもわかりやすすぎた。まず次代当主と見なされる長男ウルトゥスは、当然、徹底抗戦の構えをみせた。そこで我らは二男のタイクスに間諜を送り、寝返らせて城門を開けさせた。裏切りを三男のパティスに知らせると、予想通り、この短気な三男はタイクスを殺し……あまりにも絵図通りで、面白くも何ともない」

 

 三人の、首だけの姿となった愚者たちの顔を見つめながら、ゼルファナスは小さく肩をすくめた。

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